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アート作品は世界情勢を映す鏡。第60回ヴェネチア・ビエンナーレのTOP5パビリオンをレポート

1895年に初めて開催されて以来、幾度となく緊迫した国際情勢やパンデミックを乗り越えて、2年に一度開催されてきた歴史的にも重要な国際美術展である「ヴェネチア・ビエンナーレ」が今年も開催されている(ビエンナーレを過去の記事でおさらいしよう!2022年度開催の記事はこちら)。今回は、ブルータスが気になった5つの国のパビリオンと、話題になったあのニュースをご紹介。

Photo: Lorenzo Dalbosco / text: Wakapedia

アート界の一大イベント「ヴェネチア・ビエンナーレ」は今年で60回目!

ヴェネチア・ビエンナーレでは毎回、その時の世界情勢や、私たちが意識化すべきことなどを反映したテーマが掲げられ、各国のパビリオンで、国代表のアーティストが関連したインスタレーションを行い、賞を競い合う。言わば、アート界の万博博覧会だ。メイン会場となるのは、アルセナーレとジャルディーニだが、ビエンナーレの開催期間中は、オフサイトの展示が街のあちらこちらで開催されているので、見どころ盛りだくさん!

第60回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展のキュレーションを手掛けるのはブラジルのサンパウロ美術館のアーティスティック・ディレクター、アドリアーノ・ペドロサ。ヴェネチア・ビエンナーレ史上初のラテンアメリカ出身のキュレーターだ!

展示には、90カ国、332組のアーティストが参加し、ベナン共和国、エチオピア連邦民主共和国、東ティモール民主共和国、タンザニア連合共和国の4カ国が初めてパビリオンを構える。さらに、アーティストの多くは、南半球に位置するアジアやアフリカ、中南米地域の新興国・途上国の総称である「グローバルサウス」出身で、今回初参加を果たす。

クレール・フォンテーヌのシリーズ作品『Stranieri Ovunque 』
アーティスト集団のクレール・フォンテーヌのシリーズ作品『Stranieri Ovunque』。このフレーズが、多言語かつさまざまな色のネオンで記されている。今年のビエンナーレのテーマにも起用された。

テーマは『Stranieri Ovunque/Foreigners Everywhere(どこにでもいる外国人)』

彼らの作品は「Foreigners Everywhere」という言葉をネオンを用いて多言語で記したもの。キュレーターのペドロサは、「Stranieri Ovunque」の意味について、「まず第1に、どこへ行っても、どこにいても、必ず外国人に遭遇するということ。第2に、どこにいても、自分は心の奥底では常に外国人であるということだ」と語る。「Strano(奇妙な)」という語源を持つ、「Stranieri(外国人)」がキーワードである今回の展示では、移民、外国人、難民、クィア(性的マイノリティや、既存の性のカテゴリーに当てはまらない人々の総称)、先住民など、社会的に偏見や差別の対象になってきた人たちにスポットライトを当てることで、現代が抱える課題に直接対話を試みている。

たくさんの面白いアートが詰まった宝箱とも言えるこのビエンナーレを全部見ようと思ったら、いくら時間があっても足りない!「でも、見どころは押さえておきたい!」そんなあなたに、今年のとっておきパビリオンTOP5をご紹介!

ドイツ館 -『Thresholds』

ヤエル・バルタナ『Light to the Nations(諸国民への光)』
ドイツ館の作品はアーティストの国籍も多彩。こちらはイスラエル人アーティストのヤエル・バルタナの作品、『Light to the Nations(諸国民への光)』。旧約聖書の一書であるイザヤ書の一節にちなんで名付けられた宇宙船だ。現在の環境破壊と政治的破壊の危機に瀕している地球から、人類を救済すべく、未知の銀河へと運ぶことを表現している。薄暗いパビリオン内を照らすこの物体はまさに暗い宇宙を照らしながら進む宇宙船のようだ。

今回のビエンナーレで出会ったアート業界人の多くは口を揃えて、「ドイツ館の展示は素晴らしかった!」と言った。話題性がある理由は、展示の会場をジャルディーニとラ・チェルトーザ島の2つに分けたという点と、キュレーターやアーティストに多様なバックグラウンドを持つメンバーを選んだ点にもあるだろう。この展示のテーマである『Thresholds(境界)』をさまざまな角度から表現している展示だ。

『Thresholds』のジャルディーニ会場では、トルコ生まれのドイツ人であるエルサン・モンターク、イスラエル人のヤエル・バルタナが作品を制作し、トルコ生まれのチャーラ・イルクがキュレーターを務めている。展示はパビリオンのファサードを土で覆った、エルサン・モンタークのインスタレーションからスタート。パビリオンの中央スペースには、エルサン・モンタークの『無名の人への記念碑』が現れる。この数階建ての塔の螺旋階段を上っていくと、質素な移民労働者の生活風景がそのまま残された、泥とほこりまみれの廃墟に迷い込む。流れてくる独特のフォークロア音楽には、憂鬱さと不穏感を煽られた。

これは、1968年に労働者としてトルコのアナトリア地方から西ベルリンに移住し、アスベスト工場で働いたが、その仕事で体に蓄積された有毒物質が原因でこの世を去ったモンタークの祖父へのオマージュだ(運が良ければ、5人の俳優による、当時の虚無感を体現するかのようなパフォーマンスも見られる)。作品に使用されている土や、塔の中に広がる匂いが現実と想像の境を曖昧にし、ないはずの記憶が蘇ってくるような感覚に陥り、息苦しくなるかもしれない。それこそがモンタークの狙いなのだ。この作品は、彼の祖父のような移民や労働者の生活と歴史を記憶し、称えることを目的としている。

エルサン・モンタークの『無名の人への記念碑』
トルコ生まれのドイツ人舞台監督エルサン・モンタークの『無名の人への記念碑』の内部。1960年代末の労働者の生活が垣間見える。空気が濁って見えるこの空間では、俳優(写真左)による当時の虚無感を体現するかのようなパフォーマンスが繰り広げられていた。

歴史体験した後は未来へレッツゴー!私たちを待っているのは、ヤエル・バルタナの手掛ける壮大な宇宙への旅だ。これは、ユダヤ教の神秘的教義であるカバラを重ね合わせた森林の中での儀式から始まっている。女性が輪になり踊り、宇宙船を呼んでいるかのように見える意味深なこの作品のタイトルは『Farewell(別れ)』だ。環境的および政治的破壊の危機に瀕した地球、そして現代に別れを告げた我々人類は、『Life Inside the Generation Ship(ジェネレーション宇宙船の内部での生活)』と題された宇宙空間へと導かれていく。この空間では、ソファに寝そべりながら重力を忘れ、宇宙ステーションから見える景色を眺めると同時に、人類の未来をシミュレーションしているかのような感覚さえ覚えるのだ。

第2の会場となるラ・チェルトーザ島は、ヴェネチア市内から水上バスで少し移動が必要な会場。ミヒャエル・アクスタラー、ニコール・ルイリエ、ロバート・リポック、ヤン・セント・ワーナーがそれぞれの展示を展開している。この島は、1199年から修道士の本拠地として使用され、18世紀末には軍事施設としての役割を果たすなど、何世紀にもわたってさまざまな用途に使われてきた。観光客にはあまり知られていない場所だ。メイン会場やヴェネチア市内から、別世界へワープしたような平穏を感じられる場所で、アーティストたちはその自然環境や島の空間をアートに上手に組み込み表現しているのだ。

ドイツ館の展示は、国、土地、バックグラウンド、アイデンティティ、時代、思想など異なったテーマの「境界」の重なりから構成されている。それは、「境界」という限界を超えて繋がり、協力し合い、絶望的に見える状況でも希望を見出すことを私たちに促しているのかもしれない。

日本館 -『Compose』

アーティスト・毛利悠子のインスタレーション『Compose』
アーティストである毛利悠子による日本館のインスタレーション、『Compose』。使用されているバケツ、パイプ、花瓶などの日用品は全てヴェネチア近郊で入手している。

日本館の展示を手掛けたアーティストである毛利悠子は、日本館初の外国人キュレーターであるイ・スッキョンとタッグを組んだ。今回のビエンナーレのテーマ、『Stranieri Ovunque/Foreigners Everywhere(どこにでもいる外国人)』を反映させたのかも?ちなみにイは、ロンドンのテート・モダン(近現代美術館)インターナショナル・アート部門のシニアキュレーターだ。

『Compose』は、日本の地下鉄の駅構内で時折起こる雨漏りに対し、駅員さんがバケツなどで緊急処置をしている様子からインスピレーションを得ている。展示では、人工的に作り出された水漏れを、ヴェネチア近郊で入手したさまざまな日用品を用いてカバーしている。この「水」が引き起こす「危機」への対処法を日本風に演出しつつも、つまりはヴェネチアが直面している洪水や、世界で問題視されている不安定な気候変動を重ねて表現しているのだ。

さらに、この作品は他にも「水」に関連したあるものが使用されている。腐りかけのリンゴなどのフルーツだ!今にもカビが生え出し、悪臭を放ちそうなフルーツには、電極が刺してある。この電極はフルーツの水分量を読み取り電気変換することで、低いオルガンのような持続音を奏で、意思があるかのように明るくなったり暗くなったりしながら電球を灯すのだ。この水分量は時間の経過とともに変化し、電気信号は弱まり、音と光は静かに役割を終える仕組みになっている。

アーティスト・毛利悠子のインスタレーション『Compose』
アーティストである毛利悠子による日本館のインスタレーション、『Compose』。腐りかけのフルーツに繋がれた電極はフルーツの水分量を読み取り電気変換し、音や光を生成している。

そして、私たちが直面している「危機」には、暴力や権力、財力でもなく、創造性がもたらすことのできる小さな希望があることを忘れてはいけない。この腐りかけのフルーツが私たちに考える時間を与え、いずれ腐敗し、コンポスト(堆肥容器)に蓄積され、ビエンナーレの会場であるジャルディーニの植生を育てる糧になるように。

チェコ&スロバキア館 -『The Heart of a Giraffe in Captivity is Twelve Kilos Lighter』

エヴァ・コチャーコトヴァ『The Heart of a Giraffe in Captivity is Twelve Kilos Lighter』
エヴァ・コチャットコヴァによる『The Heart of a Giraffe in Captivity is Twelve Kilos Lighter』。レンカ(キリン)の体の一部を連想させる布製のトンネル。中で流れてくるレンカのストーリーをさまざまな角度から解釈したナレーションを聞き、語り手と聞き手の感情の共有が促される。

エヴァ・コチャーコトヴァが手掛けた『捕らえられたキリンの心臓は12キロも軽い』を意味するこの展示は、1954年にケニアで捕獲され、プラハ動物園に移送された「レンカ」というチェコスロバキアで初めてのキリンの物語に基づいている。レンカは檻の中で2年しか生き延びることができず、その後、剥製にされ、2000年までプラハ国立博物館の収蔵品として展示されていた。グローバルサウスから移送されてきたレンカは、亡くなってからも珍しいもの見たさで集まってくる人間のために利用されたのだ。

パビリオンには、子供心をくすぐるキリン模様の布製のトンネルがあり、中は寝転がったり、椅子に座ってゆっくりできるようになっている。一日中頭も足もフル回転し、疲れきった私たち観客は、この巨大なぬいぐるみの内部で一息ついているうちに、睡魔に襲われるかもしれない。しかし、私たちの耳に聞こえてくるのは、夢のあるおとぎ話や、優しい子守唄ではない。レンカのストーリーをさまざまな角度から解釈した子供たちや教育者、年配の人々によるナレーションなのだ。

はっと目を覚まし、慌ててトンネルを抜け、インスタレーションを隅々まで見てみると、プラスチックでできた心臓や皮膚の破片などのグロテスクなディテールに気が付くはずだ。さらに、パビリオンの中央の地面には、亀裂が入り、ぽっかりと穴が開いている。それは、人間と自然の危機的な関係性や、私たちの共感する心の喪失、そして、レンカの失われた心臓を象徴しているのかもしれない。

さて、キリンの心臓そのものの重さだと推測できるこの「12キロ」。人間が動物や自然界のバランスを考えずに、他の国に存在する珍しいこの生き物を鑑賞するという自分勝手な欲を満たした結果、心臓が機能しなくなり、命を落としたレンカのストーリーがそこに凝縮されている気がした。この作品の鍵はあなたがパビリオン内で感じただろう「共感」にある。

プロジェクト全体は、「Gesturing Towards Decolonial Futures(脱植民地的未来に向けたジェスチャリング)」との共同制作。「国家」や「アイデンティティ」といった私たちをカテゴリー分けする概念ではなく、人々との感情の共有、触れ合い、自然との調和のとれた関係性こそが、私たちの真の「居場所」を形成してくれるということではないだろうか?

オーストラリア館 -『kith and kin』

アーチー・ムーア『kith and kin』
アボリジニのアーティスト、アーチー・ムーアによる『kith and kin』。白いチョークで真っ黒な壁一面に描かれた系図と、空間の中央にある、警察の拘束下で死亡したオーストラリア先住民の死に関する監察医の調査を示す書類の束。

アーチー・ムーアにより手掛けられ、エリー・バットローズがキュレーターを務めた『kith and kin』は、今年の最優秀ナショナル参加賞の金獅子賞を獲得した。正直なところ、記憶に残る展示や感銘を受けた展示が賞を受賞するとは限らないと言われがちなビエンナーレだが、今年のオーストラリア館の受賞は多くの人が納得のいく結果だったのではないだろうか。

展示のタイトルである『kith and kin』は、中世の英語で「同胞」と「祖国」を意味するが、現在はもともとの意味が失なわれ、「友人や親戚」を意味する言葉として認識されている。この背景には、英国からの侵攻・植民地化に伴い、先住民の言語や方言が激減し、残虐行為により、先祖の生きた証しを消されてきたという知られざる歴史がある。『kith and kin』では、オーストラリアの先住民族を何世代にもわたり苦しめてきた、植民地主義がもたらす負の影響にスポットライトを当てると同時に、一人一人のストーリーを風化させないようにし記録し、追悼しているのである。

パビリオン内の高さ5メートル、長さ60メートルに及ぶ真っ黒な壁一面に、白いチョークで丹念に描かれた系図が無数に枝分かれしている。それは、オーストラリアの先住民というバックグラウンドを持つムーア自身と先祖の繋がりを、65,000年以上前(=最初にオーストラリアにヒトが到着したとされる時期)まで遡り記す試みだ。ムーアは、このミニマルでありながら最も効果的なインスタレーションを通じて、負の歴史を振り返りつつも、私たちの描く未来を静かに考える空間を提供してくれた。微かな希望の光を見せてくれたのだと思う。

ギリシャ館 -『Xirómero/Dryland』

「Xirómero/Dryland(キシロメロ/乾燥地帯)」
「Xirómero/Dryland(キシロメロ/乾燥地帯)」の主役とも言える、農業用の散水装置。流れ出す水により、装置の下には水溜まりができている。

「Xirómero/Dryland(キシロメロ/乾燥地帯)」は、パノス・ジャンニコプロスがキュレーションを行い、タナシス・デリギアニスとヤニス・ミシャロプロスによって構想され、エリア・カロギアンニ、ヨルゴス・カイヴェルニティス、コスタス・チャイカリス、フォティス・サゴナスらとともに制作された。展示は、西ギリシャのイオニア海に望む地方であるキシロメロ地方、そして中央ギリシャのテッサリア地方でのパニギリアというギリシャの伝統的な祭りでの経験からインスピレーションを得ているという。

パビリオンの中は、少し薄暗く、無機質で打ちっぱなしの壁や地面が倉庫を連想させた。ひときわ存在感を放つのが、パビリオンの中央に設置された農業用の散水装置。この装置は円を描くように一定のペースで時計のように回り出し、水が流れる。その臨場感あふれる「パフォーマンス」に同調するかのように、周囲のサウンド、映像、照明が加わる。それはまるで、農業はもちろんのこと、生きるために欠かせない「水」が生活のリズムや社会的な繋がりを形成し、維持することを示唆しているかのようだ。

さらに、辺りを注意深く見渡すと、空間の片隅に乱雑に積まれたプラスチック製の椅子、祭りを思わせるズラッと並んだ簡易的テラスを映したスクリーン、賑わう祭りの様子を捉えた携帯の画面などに気がつくだろう。私たち観客は、このパビリオン内で刻まれる独自のリズムに導かれ、足を進めていくうちに、彼らのストーリーの一部になっているような没入型インスタレーションになっている。

「Xirómero/Dryland(キシロメロ/乾燥地帯)」
「Xirómero/Dryland(キシロメロ/乾燥地帯)」の農業用の散水装置が回り出し、奥にあるスクリーンがそれに反応するかのように映像を映し出す。

この作品は、祭りや農業などのローカル文化を通し、生活に欠かせない「水」をテーマの中心に置くことで、世界共通の重要な資源の希少性や豊かさ、浪費、社会的な意味合いなどにも言及している。さらに、それを取り巻くテクノロジーが農村の風景や文化の多様性に与える影響に焦点を当てることで新しい文化の価値を探求しているのだ。

昨今の世界情勢により、注目が集まったパビリオン

閉館していたイスラエル館
「イスラエル館のアーティストとキュレーターは、停戦と人質解放の合意が達成されたときに展覧会を開く」という張り紙がされ、閉館していたイスラエル館。パビリオンでは、ルース・パティールの『(M)otherland(母なる大地)』のインスタレーションが予定されていた。

開催前から注目が集まっていたのは、ウクライナへの侵攻が2年以上経った今でも続いているロシアの所持するロシア館。2022年度は、開幕直前で自国の政治や戦争に対する、非暴力的で文化的な抵抗として、参加を辞退したため、「今年はどうなる!?現状に言及するアートインスタレーションとなるかも!?」と期待されていたが、今年も辞退し、代わりにボリビアに建物を譲った。ロシアと並んで開催前から何かと話題に上がっていたのは、2023年からパレスチナとの関係性が激化したイスラエル館であり、さまざまな国の著名アーティストたちが閉館を呼び掛け署名活動を行っていた。

一方でビエンナーレ運営側はアートは政治に抑圧されない自由な表現の場であるとして、参加を認めていた。しかし、開催初日にイスラエル館の前に行ってみると、「イスラエル館のアーティストとキュレーターは、停戦と人質解放の合意が達成されたときに展覧会を開く」という張り紙がされ、アーティストとキュレーターはイスラエル政府に事前に知らせることなく、突然、開館拒否を表明するかたちをとったのである。

いわば、アート界の万国博覧会。ヴェネチア・ビエンナーレのこと、ちゃんと知ってる?