原作者と劇伴音楽家が探求する、“ストリート”であることの強さ
原作は2020年から週刊ビッグコミックスピリッツで連載され、現在NHK総合テレビにてテレビアニメ版がオンエア中の『チ。−地球の運動について−』。作品の原作者である漫画家の魚豊から、アニメ化に際し唯一のリクエストが、作品のサウンドトラックを牛尾憲輔へ依頼することだったという。
魚豊
もともとエレクトリックミュージックが好きで、テクノやEDMを聴いてきました。僕にとって、圧倒的に一番好きな漫画のアニメ版『ピンポン THE ANIMATION』(2014年)を観ていたら、音楽がカッコよくて。調べてみると牛尾さんの劇伴でした。
それ以来、本人名義の曲や、映画劇伴も聴くようになって。『チ。』がアニメ化される時は、「絶対、牛尾さんに音楽をお願いしたい!」と、思っていたんです。
牛尾憲輔
2022年に共通の友人から紹介していただいて。初対面の時から、嬉しい話をいただいたけど、原作者さんと劇伴担当の間には、監督や脚本家、アニメーターなどを含むスタッフが大勢いらっしゃる。その間を飛ばして、2人だけで話をしてしまうのは、「正直危険かも」という話をしましたね。
魚豊
少し冷静になれました(笑)。僕は基本的に原作とアニメは別のものだと考えているので、ほとんどタッチしないんですが、つい、興奮してしまい……。
牛尾
その後、正式にオファーをいただいて。原作が興味深いテーマだったので、お引き受けし、音楽の構想を練り始めました。
物語の舞台となる15世紀のヨーロッパは、まだバッハの登場前、近代和声も成立していない時代。ただ当時の音楽を調べていくと、宗教音楽であるグレゴリオ聖歌がありました。譜面は五線譜だけど、今では使わない形の音符があり、小節線も曖昧。楽章ごとに図面のような絵も入っている。現代の譜面の礎になるものですが、似て非なるものだった。
実際に聖歌を聴いてみると、読み取れる箇所もあったので、そこから音楽と図面の音形を読み取り、シンセサイザーで音の塊を作っていきました。中世音楽の研究レポートとして、サントラを作ったんです。それゆえに、大いに誤読を含んでいます。
魚豊
『チ。』は“真理の探究”と並び、“誤読”も、大きなテーマの一つにして描きました。例えば、15世紀ヨーロッパでは、天動説が正しいとされていました。実際数理モデルも正確でしたが、今では地動説に取って代わられている。この世は、常に“間違い”が発生する。でも、僕は誤読自体、決して悪いことではないと描きたかった。
誤読は物事を探求するうえでは欠かせない、大きなモチベーションだと思うし、一面では知性だと思っていて。『チ。』で描いた研究は、アカデミックではなく、アンダーグラウンドかつ、ストリートのものです。
牛尾
『チ。』という作品の内容やテーマは、教養に富んでいるし、岩波新書から出版されてもおかしくない内容だと思う。ただ、セールス的な意味で突破力が違っているのは、ストリートに基づいているのかもしれない。
魚豊
ストリート文化という点では、個人的にはサンプリングに対して肯定的で、自分も気づかないうちにやっちゃっています。現代では図書館やブックオフが、街の文化資本になっていて、誰でもアクセスすることができる。その影響から生まれた作品は多いと思う。
牛尾
そういう意味では、今回『チ。』のサントラ制作では、レアグルーヴのブレイクビーツと、グレゴリオ聖歌の譜面の両方を、サンプリングしている。結果的に、興味深い話になったね。