広瀬大志
忘れたくない一行
その禍々(まがまが)しい言葉を目にした時に震えが走った。若者で賑わう刺激的な街「下北沢」がネガフィルムのように反転し、遠く「下北」半島の恐山に集結する霊魂のざわめきと通底したのだ。この呪的な言葉は、時空をこじ開けるようにして生まれた想像力の通路なのだ。詩のすごみを思い知った圧倒的な一行。
忘れたくない、「自身」の一行
松本圭二
忘れたくない一行
アントナンとはアントナン・アルトーのことであろう。ここで稲川はアルトーの「狂気」と対峙している。その「狂気」はとても詩的であり魅惑的だ。詩はいつだって狂気と隣接している。萩原朔太郎や中原中也の時代から。しかし稲川はその「狂気」を拒絶し、訣別を宣言している。強靱な精神と緻密な筆記によって詩を前進させるために。
忘れたくない、「自身」の一行
和合亮一
忘れたくない一行
靴を磨く。とても特別で、どこかお洒落と言おうか、とがったような心持ちで詩を書き始めるのだという実感が伝わってくるフレーズである。詩歴を重ねてきたけれど、創作のセオリーはこれからも見つからない気がする。あるとすればこの一行だと思う。
忘れたくない、「自身」の一行
小笠原鳥類
忘れたくない一行
不思議があるから、生きられる。入沢康夫(1931~2018)の詩は、わーっと現れる、おばけだ。ガゼルも、ががががが。こわいけれど、うれしい。現代詩は難しいのでもなくて、ほんとうにいる、わけがわからない言葉の、ばけものだ。