小津夜景
忘れたくない一行
1940年作。翠溪は日系移民としてハワイに生きた自由律俳人。自由律といえば一般的には山頭火だが、同じ『層雲』の井泉水門下でもまるでノリが違う。コーヒーの香りとハットハウス(温室)の植物を楽しむ極上の朝の風景。片岡義男の短編のタイトルかと見紛う掲句は、南の島の風土を日本語の韻律に写し取った最適解だと思う。
忘れたくない、自身の一行
堀本裕樹
忘れたくない一行
東京での生活に疲れ、一時帰郷して、フリーターをしていた頃に励まされた句。「いそぐないそぐなよ」のリフレインが胸に沁みるのは、散り急ぐ木の葉に呼びかけると同時に、そのとき病に侵されていた作者が、自らにも言い聞かせる心情が伝わってくるからだ。この句を読んで僕も「今は耐える時期や。急いだらあかん」と己に言い聞かせた。
忘れたくない、自身の一行
堀田季何
忘れたくない一行
「老成」とは無縁の俳人が95歳で上梓した句集『ひめむかし』。その瑞々しさは、俳壇で大きな話題になった。柿本多映は、90代半ばでも芸術の第一線に立てることを証明してみせたと言っても過言でない。掲句では、生死の境さえも超越し、ダンスしながら軽々と往還する。作者の天衣無縫な境地は、多くの読者を勇気づけている。
忘れたくない、自身の一行
阪西敦子
忘れたくない一行
雰囲気を読みすぎないこと」。ずっと通り過ぎていたこの句に、急に日が当たったのは、自分で読むことの大切さに気づいたから。夏から秋へ、大きくて縮れた桐の落葉が告げるのは、日が衰える季節でもある。しかし、この句の桐の葉は日差しをたっぷりと浴びて空中にある。まだ秋の寂しさはない。明るく軽やかな秋もある。