軽妙洒脱な恋愛劇に腕を振るってきた今泉力哉監督が新しい境地を切りひらいた。豊田徹也の漫画を映画化した『アンダーカレント』は、人間の閉ざされた心に踏み入り、その影の部分を深く掘り下げた、シリアスなタッチの人間ドラマ。「感動的だった」と感想を告げると、彼は答えた。「よくわからないんですよね、そういう評価と自分の実感が釣り合わなくて……」。彼はまだ周囲の高い評価に戸惑っているところだった。
BRUTUS
これまでとは毛色の違う作品だという自覚はあるんですよね?
今泉力哉
脚本を書いてるときの感覚は、これまでとは違ったかもしれないです。向き合う時間がけっこう長かった気がするので。ただ、今までにまったくなかった作品かというと、『ちひろさん』や『退屈な日々にさようならを』も同じようなモチーフに触れているし、恋愛映画だったとしても、ある種の寂しさや理解できなさをベースにしてきた。そういう部分はいつもと同じなんですよね。
原作の力を借りたから表現できた
BRUTUS
たしかに恋愛を題材にした作品でも、今泉さんは人間を理解することの難しさを描いてきました。人は一面的には捉えられないものだ、と。
今泉
昔、山下敦弘監督から「一人の人間が一つの感情だけで動いていたらおかしい」みたいなことを言われたことがあるんです。例えば、会う人によって違う態度を取るとか、昨日言ってたことと今日言ってることが違うとか、他人には筋の通って見えないことでも、当人の中では通っていることがあるよねって。
そういう理解できなさを、キャラクター作りのときには意識的に考えたいと思ってますね。脚本だけでなく、現場の思いつきでそういう部分を加えたりもしますから。
BRUTUS
とはいえ、今回の作品は恋愛劇ではないし。
今泉
そうですね、うん。
BRUTUS
なにより今泉さんの持ち味だった“軽やかさ”“みずみずしさ”ではなく、“重さ”“暗さ”が際立ちます。そういった重さや暗さと向き合うことは、ずっと避けてきたことじゃないですか?
今泉
避けてきたとは言わないまでも、今回みたいに死をモチーフにすることはあまりやらないようにしてきたかもしれないです。泣くシーンについても、感情がワーッとなる瞬間を表現するのってめちゃくちゃ怖いことなんですよ。
感情的なシーンを観たときに自分自身が冷めてしまう感覚もあるし、そういうシーンを撮って観客の感情を動かすのはすごく楽だから。
その点、原作の力を借りたから表現できたところもあって、表現のトーンとしてはそういう重さをどうすれば出せるのかなと、参考にダルデンヌ兄弟やミヒャエル・ハネケの映画を何本か観ました。
BRUTUS
これまでは“日本のエリック・ロメール”“日本のホン・サンス”と称されてきましたが……。
今泉
言われてただけで、参考にしたことはないですから(笑)。でも今回は、特にダルデンヌ兄弟の『イゴールの約束』を撮る前に何度も観ました。抱えたものがあるのに、それを言えないみたいな瞬間がたくさんある作品なので。
BRUTUS
今回は原作ものですが、オリジナル脚本だったら新しい領域には踏み込めなかった?
今泉
そもそもいろいろなものを撮りたいという興味がそこまでないんです。興味だけで言うと、例えば12時開店のお店で、11時から店員が掃除をしたり仕込みをしたりしている、その誰も見ていない、でも当たり前に存在している時間にいちばん興味があって、それは映画で描く意味がすごくあると思ってるんですね。
ただ、明確に描きたいと思ってるテーマはあまりない。原作があると、それが興味の幅を広げてくれる気がします。自分では思いつかないものを描けたりするので。俳優の存在も大きいですよね。
今回はまず真木よう子さんが主演に決まったことで、永山瑛太さんやリリー・フランキーさん、江口のりこさんといった過去に真木さんと接点のある俳優たちを配役して、みなさんのこれまでの人生の時間も作品に乗せることができた。それが作品の深さだったり、強度だったりにつながっている気がします。
BRUTUS
結果として、これまでとは異なるタイプの素晴らしい作品が出来上がりました。
今泉
でもオリジナル作品の方がキャラクター設定を自由にできるし、やっぱり楽なのはオリジナルですね(笑)。