日本列島最後の音楽秘境、宮古諸島に奇跡的に残る神歌のえもいわれぬ心地よさ
宮古島の空港に降りるとまず目を引くのは、地元らしき人たちの容姿の多様性だ。よくこの小さな島にこれほどのバラエティが詰まったものだと感心する。まるでミニ合衆国の様相だ。明らかに遠いDNAが、永い時間をかけて緩やかに混じり込んだように見える。
そして言語上、沖縄の言葉とも異なる宮古の言葉は、上古代語の保有率が非常に高いといわれる。DNAの多様性と古代性。一見ちぐはぐに感じられるのだが、実は原日本を説明するかのように思われる要素が宮古の最大の魅力だ。そして、以前はコミュニケーションが困難なほど、この小さい宮古諸島には強い方言がいくつもあった。
島民の性格は開けっ広げで饒舌な人が多いので、リサーチには好都合、というわけで4年間で十数回という訪問になってしまった。毎回汲めども尽きない井戸のようにフレッシュなテーマが現れる。1980年代初頭よりずっと留守にしていた沖縄だったが、とりわけ「神歌」という祈りの歌に出会ってからは、今まで以上の密な関係になってしまった。
そんなわけで、宮古に関する数枚のCDを発表し、大西功一監督とのコラボでドキュメンタリー映画も完成した。その映画『スケッチ・オブ・ミャーク』は、早々とスイスのロカルノ国際映画祭のドキュメンタリー部門で準賞という評価を受けることになる。
文化的には遠いはずのヨーロッパの観客が驚くほど熱い反応を示したのが力強く思えた。スイスに続き、アジア各地やアメリカの映画祭からもお誘いがかかっている。そして、現在は宮古島での2011年11月4日のプレミア上映の後、来年春以降の国内公開を目指している。
さて、この「神歌」というものだが、宮古に辿り着く前の私には、ほとんどその知識がなかった。70年代後半に沖縄や八重山では継承の困難さから、地元のノロや司を中心とした信仰と祭祀はなくなってしまった、とは伝え聞いてはいた。しかし宮古諸島で古謡の調査を始めると、衰退してはいるものの、まだまだ現役が神行事を引き継ぎ、その祭祀には様々な歌が歌われていることを知った。
誰も聴けなくなってしまう前にぜひ録音しようと、訪問の最初の1年はほぼ調査と説得に終始。しばらくして、宮古島西原地区の90歳代の3人の女性が録音を決意、そのCD発表と同時に、やはり池間系、佐良浜の準現役の神役の5人が録音に賛同、さらなるCD音源発表につながり、赤坂の草月会館で開催された『宮古古謡のコンサート』で総勢30名近いツアーを経験することになる。この5人は「ハーニーズ佐良浜」と名乗ることになり(私が提案)、現在に至る。
映画『スケッチ・オブ・ミャーク』でも重要な役割を果たすこの5人は、11月13日、初めての那覇公演を桜坂劇場で行うが、先島から登場する現役の司たちの歌声が、祭祀が消滅して久しい沖縄本島の人たちにどう響くかは興味深い。そこで5人のハーニーズ(池間方言で長女の意味)に集まってもらい、神歌について語ってもらった。
「神に捧げる歌だから最初は緊張感はとても強いけど、歌っていくうちに、1時間も2時間もかかる儀式の歌がひとりでに口をついて出てくる頃には、心も満たされ、気持ちがよくなるというか、癒される気分になってきて、自然と涙が溢れることもある」
満員になった草月会館でのコンサートは儀式的な色彩が強く、観客の中にも強いバイブレーションを受け止めた方は多かったようだ。600人の観客を前にしての神歌初の公演とは到底想像もつかないほどの堂々とした歌いっぷりだった。「雨乞いの歌」の後、会場の外では祝福の小雨が降り、宮古では天の蛇とも呼ばれる虹が空に現れた。
「本当に口伝えだけで伝承していく神歌。島は人口も減っていくし、この神司の仕事への若い世代の意欲が低下している。本当は断れないのが昔からの言い伝えだが、神行事に関わったら普通の仕事は続けられないので、その存続は困難。でも実際引き継いでみると、つくづく素晴らしさが理解できる。そんな神歌を伝承していきたい」と願いを語る。さらに「音楽だけでも、調子だけでも残すことができたらいい。都会でも神歌を信じてくれる若い人たちが目覚めてくれたらうれしい」とも。
神歌が、放射能問題を抱え経済と価値観の混乱で取り返しのつかなくなったように見える日本を救えるかどうかは全くわからない。ただ私には、古代から連綿と続いた神概念を思い出させてくれる貴重な歌であることははっきりと確信できる。
久保田麻琴プロデュースの宮古のフィールド録音CD