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生きざまと引き際、その哀愁。俳優人生と重なる「トワイライト・ムービー」を辿る

俳優たちの代表作へのリスペクトが詰まった秀作を、「トワイライト・ムービー」と名づけてみることにしよう。

Text: Mikado Koyanagi

ここ数年、ベテラン俳優が、キャリアの終盤を迎える頃、意識的にか無意識的にか、その人がこれまで辿ってきた実人生や俳優人生とどこかクロスするような作品に出演し、さらにはそれらの作品が秀作ばかりであることに気づく。仮にそうした作品を、人生の黄昏時の映画、「トワイライト・ムービー」と名づけてみることにしよう。

初めにそう思ったのは、ハリー・ディーン・スタントン主演の『ラッキー』だった。

この作品は、まさに彼の実人生を振り返るような映画だ。太平洋戦争の沖縄戦に従軍した時の記憶や、口癖の「ナッシング(ろくでなしめ)」という悪態の由来は、すべてスタントンの実話に基づいている。

かといって、この映画はドキュメンタリーではなく、あくまで劇映画なのだ。スタントン自身をスタントンが演じることで、彼の俳優人生もそこに重なって見えてくるせいか、『パリ、テキサス』で彼が演じたトラヴィスのその後の人生のようにも思えてしまう。

そして、この映画は結果的に彼の最後の主演作となるのだが、バート・レイノルズも、同じ頃撮影した自身の俳優人生をパロディにしたかのような『ラスト・ムービースター』が惜しくも遺作となってしまう。

この映画でレイノルズは、ユーモアたっぷりに、落ちぶれたかつてのスターを演じているが、さらにはそこに、自身が実際に出演した『脱出』や『トランザム7000』の映像が流れ、若きレイノルズと今の彼が共演を果たすサービスカットまであるのだ。

自身の若い頃の映像が出てくる映画という意味では、その翌年に撮られたロバート・レッドフォードの引退作『さらば愛しきアウトロー』も忘れられない。

レッドフォードが名作『明日に向って撃て』や『スティング』で演じた強盗や詐欺師というキャラクターを彷彿とさせる紳士的な銀行強盗役というのもたまらないが、これまで彼が行った16回もの脱獄を恋人のシシー・スペイセクに語って聞かせる場面で、彼の若き日の姿が現れる『逃亡地帯』の映像がさりげなくインサートされるなど遊び心も満点なのだ。

それは、今年公開されたクリント・イーストウッドの『クライ・マッチョ』もしかりであろう。

91歳にしてまだまだ衰えを知らぬイーストウッドだが、この映画で彼が演じたカウボーイ役は、キャリアの原点となったテレビドラマ『ローハイド』にまで遡る。そして、誰かをどこかに送り届けたり、誰かを伴って車を走らせたりするロードムービーは、『真昼の死闘』や『センチメンタル・アドベンチャー』を持ち出すまでもなく、イーストウッドの映画でどれほど観てきたことか。

『クライ・マッチョ』も、その俳優人生をなぞるような映画だったのだ。

新作に映る、2人の人生。

そして今年、もう一つのトワイライト・ムービーが日本に紹介される。現在93歳のジョージアの女性監督ラナ・ゴゴベリゼが2019年に撮った『金の糸』である。

ゴゴベリゼは、故アニエス・ヴァルダと同年に生まれた女性監督のパイオニアの一人で、その母・娘と、ジョージアの苦難の歴史の中、親子3代で映画を撮り続けてきた。

その27年ぶりの新作は、彼女の実人生を投影した小説家エレネを主人公に据え、割れた器を金で修復し、新たな強度と美しさを持つ器に甦らせる日本の伝統技術「金継ぎ」(ジョージアではそれを「金の糸」という)のように、エレネが旧ソ連時代の痛ましい過去の記憶と折り合いをつけようとする物語だ。

そして、そのエレネを演じるのは、同じくジョージアで活躍する映画監督ナナ・ジョルジャゼ。そこには、彼女の人生も二重に投影されているかもしれない。中庭を「コ」の字で囲むジョージア風の集合住宅を巧みに使い、エレネの向かいに住む若いカップルを自分の若い頃の姿に重ねて見えるようにするなど、視覚的な演出も素晴らしい傑作である。

映画『金の糸』主演 ナナ・ジョルジャゼ
©3003 film production, 2019