音楽を含む編集を徹底的に省いた作品で知られる奇才ツァイ・ミンリャンが『あなたの顔』(2018)の劇伴を坂本龍一に依頼したことは記憶に新しい。この例外的なコラボレーションはどのように実現したのか。なぜ坂本でなければならなかったのか。その理由を探るべく、台北市郊外の新店の山上にあるツァイの自宅兼スタジオに向かった。
出会いは映画祭で。「私たちは握手を交わした」
——坂本龍一を知ったきっかけは?
ツァイ・ミンリャン
大学時代から彼の音楽をよく聴いていたよ。当時、坂本さんの音楽が好きな友達がいてね。彼は坂本さんの音楽を真似て作曲して、私が作った映像に合わせたりしていたから、僕たちは坂本さんの音楽に詳しくなっていった。
アルバム『Beauty』で坂本さんが歌っている「安里屋ユンタ」が特に好きだな。民族性があって、歓楽的で、リラックスしていて、でもどこか荘厳な感じもするよね。
その後も映画『戦場のメリークリスマス』や『ラストエンペラー』を観て、旋律の美しさに感激したね。彼とベルナルド・ベルトルッチとの協業はとても成功していたと思う。
——坂本さんと最初に会ったのは、いつのことですか。
ツァイ・ミンリャン
2013年のベネチア国際映画祭だね。坂本さんはベルナルド・ベルトルッチらと一緒に審査員を務めていて、そこに私の作品『郊遊 ピクニック』がノミネートされ、最終的に審査員大賞を受賞した。授賞式の日に劇場に入ると、目の前に坂本さんが座っていた。彼は私を見ると立ち上がり、私は彼のところまで歩いていって、私たちは握手をした。
その後、2017年にVR映画『蘭若寺の住人』がベネチア国際映画祭に出品された時に再会した。映画祭が手配してくれたホテルに泊まり、朝食後にホテル沿いのビーチを散歩する坂本さんを見かけて、思わず声をかけて一緒に歩いたんだ。私は決して英語が堪能ではないんだけど、そのおしゃべりの時間はとても幸せだった。
どんな音楽を作るかは坂本さんが決め、どう使うかは私が決めた
——坂本さんとお仕事をされたきっかけはどんなものだったんでしょうか。
ツァイ・ミンリャン
坂本さんとは映画祭で会っては別れを繰り返していたわけだけど、台北に戻って『あなたの顔』を撮り終え、編集をしていた時に、「坂本さんに見せて、音楽を作ってもらえないか聞いてみるのはどうか」と思い付いたんだ。私の映画には基本的に音楽がない。古い流行音楽なんかを除いてはね。
だけどその時は衝動に駆られるようにそう思い立った。もしかしたらその頃に聴いていた坂本さんの音楽が、『戦場のメリークリスマス』や『ラストエンペラー』のような美しい旋律とはまた違ってきたと感じていたからかもしれない。
メールで尋ねてみると、彼は映像を送ってみてくれと言ってくれた。言われるままにラフカットを送ったんだけど、1ヶ月ほど経っても音沙汰はなかった。私も催促するようなことはしなかった。そして突然、坂本さんから12の曲が届いたんだ。とても嬉しかったね。何の打ち合わせもしていないのに、私のために音楽を作っていてくれたんだよ。
音楽を聴くのはちょっと緊張したんだけど、実際に聴いてみると、とても好きな音楽だった。それはこれまでの彼の音楽とは違った、秩序のない12曲だった。坂本さんはメールで、「全部使ってもいいし、全部使わなくてもいい。どれをどのくらい使うのかは、あなたが自由に決めてください」と言ってくれた。
結局、私は12曲のうちの10曲を使わせてもらった。どんなふうに使うかを彼に相談することもなく、自分で決めたんだ。どんな音楽を作るかは坂本さんが決め、どう使うかは私が決める、みたいな感じかな。ずっと坂本さんの音楽を聴いてきたけど、一緒に仕事をすることになるとは思ってもみなかった。
——坂本さんとの思い出は?
ツァイ・ミンリャン
2019年、『あなたの顔』が台北で上映されるタイミングで坂本さんがたまたま別の仕事で台湾に来ていたから、「光點台北」という劇場での舞台挨拶に顔を出してもらった。坂本さんは台湾でとても人気があるから、ファンたちが熱狂的に喜んでいたのを覚えているよ。
舞台挨拶の後、劇場近くで一緒にシーフードを食べた。その時、記念に坂本さんを描いたパステル画をプレゼントしたんだ。その直後から坂本さんが治療を始めたから、結局それが彼との最後になってしまった。実は彼の映画を撮ってみたいと思っていたんだけど、叶わなかった。坂本さんと過ごした時間は短かったけど、私は長年の坂本龍一ファンなんだ。
彼の音楽は映画の歴史とともに、ずっと変化の中にある
——坂本龍一のどんな部分を後世に残したいと思いますか?
ツァイ・ミンリャン
彼の音楽だよ。彼の作品こそが彼の精神だからね。彼の音楽は映画の歴史とともに歩んできたから、ずっと変化の中にあるんだ。私は坂本さんの5歳年下で、ほぼ彼と同じ時代を生きてきたから、そこにすごく共感する。
さっき私は「坂本さんの音楽が昔の旋律とはまた違ってきた」と言ったね。これは私の仮説だけど、彼は音楽の持つ力について考え始めたんじゃないかなと思っている。時代とともに移り変わる市場のニーズに応えて音楽を創るのではなく、“音楽に何ができるか”“音楽によって、人が思考する空間を創り出せるか”といったことに挑戦しているように思う。
彼の音楽は聴いた人を刺激して、この世界のさまざまなありようを発見させてくれると思うし、そういう意味で私もずっと坂本さんと同じことに挑戦している。娯楽のためではなく、物語を語るための道具でもなく、何かを感じ、心の目を開くような体験をしてもらいたいと思って映画を創っているからね。
ツァイ・ミンリャン
だから私は映画にたくさんの要素を詰め込むのではなく、様々な要素を一つひとつ検証して、本当に必要なのかを考える。そんな私の映画にとって音楽とはとても効果的で、容易に厚みが出すぎてしまうものなんだ。
坂本さんの後期の音楽は、純粋なものになっていったように思う。坂本さんのドキュメンタリー映画を観たら、彼は風や雨の音を聴いたり、鍋に水滴が落ちる音、氷が溶ける音を聴いていた。彼はきっとそうしたものたちを音楽にしたのだろうと思う。私の映画では生活音こそが音楽であるように。
音楽を聴く人も、映画を観る人も、同じようなものにばかり接していると慣れてしまう。人間は慣れると自分で考えなくなる。観た人が「何だろう?」となるようなものを、私は創りたい。だから長回しで映画を撮るし、編集しないことだってある。そうした実験を、坂本さんもしていたんじゃないかなと思うよ。