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流行写真通信 第27回:木村伊兵衛写真賞受賞者の長沢慎一郎は見えない歴史を可視化する

編集者の菅付雅信が切り取るのは、広告からアートまで、変貌し続ける“今月の写真史”。写真と映像の現在進行形を確認せよ。

text: Masanobu Sugatsuke / editorial cooperation: Aleksandra Priimak & Faustine Tobée for Gutenberg Orchestra

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「人々が見落としがちのところに目を向けるのは、写真というメディウムの大きな力だと思うので、その力を信じたいと思っています」

と語るのは長沢慎一郎。3月27日に発表となった第49回木村伊兵衛写真賞受賞者だ。今回受賞した作品は小笠原諸島の第二次世界大戦後の米軍占領時代の影響や痕跡を描いた写真集『Mary Had a Little Lamb』(赤々舎 2024)。長沢の前作となる写真集で、同じ小笠原諸島の父島の欧米系島民を捉えた『The Bonin Islanders』(赤々舎 2021)との一連の作品群が評価されての受賞となった。

その長沢は、木村伊兵衛写真賞受賞者にしては珍しく広告写真畑の出身である。日本写真芸術専門学校で写真を勉強し、10BANスタジオを経て広告写真の巨匠・藤井保のアシスタントを4年半務めた経歴を持つ。

「母親が藤井さんの島根県の同級生で、直接の知り合いではないですけど、知り合いの知り合いでした。母から『有名な写真家がいるから行ってみない?』と勧められたんです。当時、藤井事務所には瀧本幹也さんと高柳悟さんがいて、アシスタント枠が一杯だったのと、藤井保写真事務所はスタジオマンの経験がないと入れないんです。そこで瀧本さんの紹介で10BANスタジオに入りました。10BANスタジオではいろんな撮影ができるので、ファッションやムービーなどを1年9ヵ月ほど勉強しましたね。その後、ロケーション・アシスタントをしながら藤井事務所の枠が空くのを待っていたんです」

師匠である藤井保は長沢のアシスタント時期をこう振り返る。

「アシスタントは私が写真を撮るための片腕であって、個性よりもいかに私の撮影を助けてくれるかの技術的、かつ肉体的な仕事になります。長沢君に限らず私のアシスタントである時にはみんな同じ方向に向かって仕事をしますが、その時に何を学んでいるかで独立してからの方向が決まるように思います」

だが、長沢の場合は、2006年に独立したが方向が決まるのは簡単ではなかった。

「師匠だけでなく、瀧本幹也さんという大スターが前にいて、自分はそうではないという気持ちがありました。独立した最初の頃は美術館のポスター、中刷り広告、雑誌の『Number』などが多かったですね。独立した時に考えたのは、ノーマルな写真で行こうかと思って、敢えてイメージをコントロールしようと思いませんでした。ノーマルとは、自分ならではのイメージを強調する世界ではなく、ニュートラルな写真ですね」

しかし、長沢が求める「ノーマルでニュートラル」な題材と出合うには紆余曲折がある。

「最初は作品撮りとしてメキシコの覆面プロレスに惹かれて、何度もメキシコに撮影に行っていたんです。その途中で小学館のアウトドア雑誌『BE-PAL』の記事で小笠原諸島に先住民がいることを知ったんです。『これはメキシコに行ってる場合じゃない!』と衝撃を受けましたね」

長沢はその直後から小笠原諸島に通い続ける。その期間はなんと13年間にもわたる。

ピンクドルフィン船長 南スタンリー(STANLY GILLEY)/Captain Stanley Minami (Stanly Gilley) of the Pink Dolphin『The Bonin Islanders』より。Photography by Shinichiro Nagasawa

「最初に小笠原に訪れた時、現地の人は『俺たちは見せものじゃないんだ。俺たちは歴史に翻弄されて迷惑してんだ。帰れ!』と撮影を拒絶したんですね。いったん東京に帰って、小笠原人とはどういう意味なのか調べ直して、そこから雑誌に出た方に声をかけて、何度も訪れて、少しずつ小笠原の写真がたまってくると、『じゃあ、撮影していいよ』と関係が深まったんです。ある日、彼らの出生証明書を見たら、彼らは日本人でもアメリカ人でもなく、『Bonin Islanders』(※小笠原諸島の米軍占領時代の小笠原人の呼称)だと気づいて、グッと作品をまとめやすくなりました」

今回、木村伊兵衛写真賞を受賞した『Mary Had a Little Lamb』はその続編にあたる。

「彼らと話していると、やっぱり占領時代の話になっていくんです。その話のひとつで、占領時代は小笠原には米軍の核弾頭が貯蔵されていたと知ったんです。当時は秘密にされていたんですけど、当時の住民は『今日はカーテンを閉めて外を見るな』とか『あそこには絶対近づくな』と言われたそうです」

写真家で木村伊兵衛写真賞の選考委員である長島有里枝は長沢の選考理由を次のように記す。「戦後、アメリカの占領下にあった父島にひっそりと隠されていた核兵器の、格納庫として使われていた壕の内部の写真。それだけで一冊の本を作るという試みそのものが、チャレンジングなことだとわたしには思われた。高い技術を駆使した写真はコミッションワークに見えてしまう危険性もはらんでいるうえ、長沢さんはこの写真集に自分の言葉を寄せていない。鑑賞者によっては不親切でわかりにくいとさじを投げるかもしれないプレゼンテーションにわたしはむしろ、この歴史をもっとも誠実に提示する方法はなんだろうかと悩み抜いた写真家の、心の逡巡の軌跡を見たような気がした」

日本軍トーチカ跡/Abandoned pillbox of the Japanese Army『The Bonin Islanders』より。Photography by Shinichiro Nagasawa

長沢自身は、広告写真という「コミッションワーク」(依頼仕事)と今回受賞したプライベートな作品のふたつの写真世界を統合させるのか、割り切るのか、いまだ模索しているという。「仕事の写真と作品の写真は別と割り切るのは僕には難しいんですね。統合するのが望ましいですが。藤井さんがやってきたようなスタイルができるといいなとは思うんですけど」

師匠である藤井保は長沢の受賞についての「ハンディ」を語る。

「木村伊兵衛写真賞や土門拳賞などは、広告の仕事をしている写真家は最初からハンディがあると言われています。そこを乗り越えての受賞、“良い写真は良い”という審査結果、何かが一歩進んだと思います。仕事が評価されたのだから、これからも少しの自信(過信せずに)を持って次の作品に向かってください」

長沢の小笠原諸島を巡る写真は、今まで見えてこなかった日本の歴史を可視化させたものだ。そしてそれは「見えない政治」とも言えるだろう。長島有里枝は語る。

「これまでの選考会でも毎年、日本社会において十分に可視化されてこなかった政治的な諸問題と取り組んだ作品を、高く評価してきたと自負しています」

長沢は早くも次の作品制作に取り掛かっている。それは私たちの日常の中に入り込んでいるが、可視化されていない歴史を紐解くものになるという。

「フランスの宗教史家・思想家のエルネスト・ルナンは『国民とは何か』というスピーチで『国家の本質は、すべての個人が多くの共通点を持ち、また多くのことを忘れていることである』と語っています。戦争があったとしても、みんな時間とともに忘れてしまいます。そういう記憶を共有するために自分が何をできるのか、そこに僕は興味があるんです」

長沢慎一郎セルフ・ポートレイト
長沢慎一郎セルフ・ポートレイト

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