2023年のベネチア国際映画祭銀獅子賞受賞作は観客に大きな問いを突きつける。濱口竜介監督の新作『悪は存在しない』は、映画を観るプロにもクエスチョンを投げかける。
英ガーディアン紙の映画評で著名な映画評論家であるピーター・ブラッドショーはこう評する。「この映画は理解しがたく、ある意味不自然で多くの人を激怒させるだろうし、同じくらい多くの人が興味をそそられるだろう」と。
濱口の前作『ドライブ・マイ・カー』はカンヌ映画祭の脚本賞、米アカデミー賞の国際長編映画賞を受賞するなど、世界で受賞ラッシュとなったが、この新作はまた趣を変えた仕上がりとなる。
物語は長野県の山間の小さな町を舞台。芸能事務所が大きなグランピングの施設を計画し、そこから汚水が流れる可能性があることがわかる。地元の人々と東京の事業者との説明会は紛糾し、町の娘が行方不明になり、衝撃的結末を迎える。
この映画は成り立ちからして独特なものだ。
「最初にミュージシャンの石橋英子さんから『ライブパフォーマンスをする際の映像を作ってほしい』という依頼があったんです。石橋さんには『ドライブ・マイ・カー』で音楽をやってもらって、石橋さんの音楽に合うものを作らなきゃいけないという思案からショットが発想されていったんです。
当初は物語を想定してなかったんですけど、最終的に映画という形態にしようとなった時に、やはりそこには物語が必要なのではないかと。今まで映画に音楽をそれほど使うことはしてなかったので、今回は音楽を大きく使うことで、堂々たるフィクション性が与えられるかなと思ったんです」
本作では濱口監督が得意とするドキュメンタルなシーンが多い。なかでも住民説明会の緊迫感溢れるリアリズムはまったく演技を感じさせないものがあり、これがシナリオどおりに演出されたものとは信じられないほどだ。濱口竜介は劇映画のリアリティの解像度を一段上げている。
濱口「リアリティを上げていくことだけがいいことだと思っているわけではないんです。フィクション度の高い、ケレン味の高い映画作りの方がずっと難しいんですよ。
映画のフィクション世界を観客が納得してくれる方が難しくて、リアリティの追求の方が観客と付き合っていく上では、我々の規模でもできるし、それを本作ではちゃんとやったということだと思うんです。でもそれだけが正解ではないし、フィクション性も大事だとは思ってます。
ただし、僕の場合は、フィクションを撮る時もある種ドキュメンタリーを撮るようにと。現実と付き合いながら、フィクション性を最大限高めようとしているんです」
試写を観て「結末には椅子から飛び上がるほどびっくりさせられました」と語るのは写真家の畠山直哉。アートの領域で、ドキュメンタリー性を踏まえながらも計算された構築的ルックを追求する畠山は本作をこう語る。
「映像の流れと自分の意識が時間上でぴったり合わさっている感じ。ずっと眼球に力を込めて観ていた気がします。あまりドキュメンタリーのようだとは感じませんでしたね。フィクションという言葉も頭に浮かばなかった。なぜか演劇の舞台を観ているような気がしました。ただ観客席からではなくて、舞台上から観ている感じです」
『悪は~』の国際的に物議を醸す点は衝撃的なエンディングだ。そのエンディングは濱口が若い頃に見た映画の影響だという。
「僕が映画に夢中になったのは1990年代から2000年代初めぐらいで、当時は今よりもはるかに曖昧なエンディングの映画が多かったと思うんです。黒沢清さんとかショーン・ペンの監督作などですね。『これは一体なんなんだ?!』という手触りを残す映画が多かったし、それは映画にとって全くマイナスではないというのが映画ファンとしての自分の感覚です」
畠山は濱口の国際的な評価の理由をこう捉える。
「インテンショナリティ(志向意識水準)に関して、映画芸術家の立場から過去の遺産を参考にしつつ粘り強く考え、その思いを率直に表現なさっているからではないでしょうか。『人間』の伝統が存続するかどうかが議論されている国々で共感を呼ぶのは当然のことと思います」
極めて少人数で、演技経験者も少ない俳優陣で撮られた本作で、ベネチアを含む様々な賞を受賞した濱口は、今までの映画作りへの新たな可能性を提示する。
「今までの映画の作り方が間違っているとは思わないけれど、『昔からずっとこうやっていたから、そのままやり続けている』という事例は日本映画界でも多いと思うんですね。大きい規模の映画だとシステムが組み上がった中でやるので、監督すらもお客さんのようなところがある。でも『本当はこうしたらいいのでは?』と思うことは、小さいモデルであっても自分で立ち上げた方が実践しやすいというのは実感です」
濱口映画の特徴として、開かれたオープン・エンディングな終わり方がある。いわば「Life goes on/そして人生は続く」なエンディングと言えようか。
「登場人物が本当に物語の世界で生きているとすると、そんな簡単に人生は終わらないと思うんです。その人物が抱えている大きな問題は、ひとつの映画で解決されることはほとんどないのではと。だから、その人の人生がまだ続くんだろうなと思える終わらせ方にしたいなと。『悪は~』も『あの主人公はこの後どうするんだろう?』と私も思います(笑)」
今月の流行写真 TOP10
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10 : “SNOW ON THE BEACH” by Maria Moldes for THEM Magazine April 2024
ビーチの陽光と日中ストロボ・シンクロ撮影が相まって笑えるくらいのギラギラしたビーチ・ファッション。
https://themmagazine.net/magazine/10th-anniversary/ -
9 : Miuccia Prada by Stef Mitchell for VOGUE US Mar. 2024
どこのおばさんが表紙かと思えばミウッチャ・プラダ。雑誌を作る人も出る人も読者も高齢化が進む象徴。撮影は若手注目のステッフ・ミッチェル。
https://www.vogue.com/article/miuccia-prada-march-cover-2024-interview -
8 : Chloé Sevigny by Larissa Hofmann for VOGUE FRANCE Feb 2024
アンファン・テリブルなクロエ・セヴィニーがすっかりエレガントな女優に。ホフマンの写真にほんのりとオルタナな香りが。
https://www.vogue.fr/article/chloe-sevigny-star-cover-vogue-france-fevrier-2024 -
7 : 『あんのこと』監督:入江悠
クドカンの「不適切にもほどがある!」で大ブレイクした河合優実がシャブ中の女性を演じる本作はドキュメンタルな撮影手法が功を奏す。
https://annokoto.jp -
6 : 『アイアンクロー』監督:ショーン・ダーキン
1980年代プロレス・ブームを牽引したフォン・エリック家族の悲劇的実話を映画化。まるでプロレス版『ゴッドファーザー』な格調高い映像。
https://ironclaw.jp/ -
5 : “Oh, grandmother, what a horribly big mouth you have! All the better to eat you with!” by Marili Andre for AnOther Magazine S/S 2024
ギリシャ出身ロンドン拠点のマリリ・アンドレの写真は短編アート・ムーヴィのようなドラマ性とギミック性。
https://www.instagram.com/p/C38WXVPNjmt/?img_index=2 -
4 : “Call of the Wild” by Nicolas Kern for Wallpaper Magazine March 2024
『ウォールペーパー』ファッション特集は最近『ヴォーグ』よりもいいかもレベル。デザイン誌らしいディテール重視の仕上がり。
https://www.wallpaper.com/fashion-beauty/ss-2024-womenswear-looks-channel-freedom-and-escape -
3 : Yelena Yemchuk「MALANKA」
ウクライナ出身NY在住のエレナ・ヤムチュックが2019&2020年にウクライナで撮影した伝統行事の写真集は平和な時代の貴重な記録。
https://www.editionpatrickfrey.com/en/books/malanka -
2 : “ Best Performances” by Juergen Teller for W Magazine Vol.1 2024
毎年恒例『W』のハリウッド特集は今回もテラーが全撮影。しかも実際のハリウッドの街の中でセレブをストリート撮影。
https://www.wmagazine.com/culture/best-performances-2024-margot-robbie-ryan-gosling-photos -
1 : 『オッペンハイマー』監督:クリストファー・ノーラン
ようやく日本公開の米アカデミー主要部門制覇作。IMAXカメラの真価を発揮した超高画質&超絶音響で描く、神の領域に近づいた男の葛藤。
https://www.oppenheimermovie.com/