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流行写真通信 第13回:篠山紀信の死を海外の視点から捉え直す

編集者の菅付雅信が切り取るのは、広告からアートまで、変貌し続ける“今月の写真史”。写真と映像の現在進行形を確認せよ。

text: Masanobu Sugatsuke / Editorial co-operation: Aleksandra Priimak & Faustine Tobée for Gutenberg Orchestra

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写真の巨星墜つ。日本で最も高名な写真家、篠山紀信の訃報が1月5日に届いてから約1月半が経つ。この間、さまざまな関係者が追悼コメントや記事を寄せているが、この私も1月7日に『WWD JAPAN』に追悼文を寄稿したところだ(※「編集者・菅付雅信が見た篠山紀信 大判カメラで人も時代も『激写』」を参照してほしい。)

篠山紀信

では、篠山の死を海外の写真関係者はどう捉えたのだろうか?彼は海外の出版社からも幾つもの写真集を出版し、晩年になるにつれ海外での注目が上がっていた。そこで海外の視点で篠山紀信という日本人にも把握しにくい写真の巨人を捉え直し、改めて追悼してみたい。

「篠山がジョン・レノンとオノ・ヨーコを撮ったアルバム『ダブル・ファンタジー』が家に飾ってありました」と篠山を知ったきっかけを語るのは、ニューヨークを代表するアートブック出版社リッツォーリの編集者イアン・ルナ。

彼は篠山が撮影した中でも、最も門外不出と言われていた三島由紀夫の自決直前の写真をまとめた話題の一冊『YUKIO MISHIMA :THE DEATH OF A MAN/ OTOKO NO SHI』(リッツォーリ 2020年)を手掛けている。

『THE DEATH OF A MAN/ OTOKO NO SHI』
篠山紀信『YUKIO MISHIMA : THE DEATH OF A MAN/ OTOKO NO SHI』(Rizzoli) 表紙 2020

「私の父親は1970年代の日本の写真アンソロジーを何冊も持っていて、そのアンソロジーを借りた時に初めて篠山紀信の作品を見たんです。そこから興味を持ち続けていました」

パリの世界的な写真編集者パトリック・レミーは篠山とルイ・ヴィトンの旅の写真集シリーズの一冊『FASHION EYE/ SILK ROAD』を手掛けている。レミーは篠山との最初の出会いを振り返る。

「篠山の名前は1980年代から日本の雑誌で見て認識していました。それからパリの書店でとても美しい写真集『少女たちのオキナワ』(新潮社 1997年)を見つけました。写真も印刷自体も気に入って、本自体も美しいものでしたし、本当に素晴らしかった。その後、ニューヨークの書店でも篠山のいくつかの素晴らしい本を見つけましたよ」

ロンドンの写真のギャラリストで写真のコレクターとしても知られるマイケル・ホッペンは日本に旅をした時に篠山と出会い、衝撃を受けたという。

「2007〜08年頃、編集者の後藤繁雄に篠山を紹介されました。そして数日東京で一緒に過ごして、彼の膨大な作品を見せてもらったんです。篠山の有名な1970年代のモノクロシリーズの作品がすべて完璧な状態で保存されていることに驚きました。その結果、私のギャラリーで彼の素晴らしいヴィンテージ・プリントを何回も展示できたのです」

ホッペンは篠山の人柄をこう語る。
「彼はいつも元気で過去の世界中の撮影のエピソードを話してくれました。彼はよく旅をし、欧米の文化もよく理解し、異文化にも興味がある好奇心旺盛な人物でした。そして、まだ私と仕事できるかどうか決まってない時に彼がランチに誘ってくれたんです。その時に生まれて初めてスッポン料理を食べたのですが、その食事会で私は試されていた気がしますね。そして話が弾み、彼の展示をやることになったんです」

ちなみにレミーも篠山を思い起こす際に食事のことを真っ先に思い浮かべるという。
「2013年に私が主催する南仏ドーヴィルの写真フェスティバルに篠山を誘ったんです。すると彼が日本人の女性モデル2人と4人以上のチームを連れてきて、ドーヴィルで撮影を始めたんですね。現場で見ていて、それは最高の撮影でした。何より感心したのが、篠山が食に貪欲なこと!」

ルナは三島由紀夫の写真集の編集過程における篠山のエネルギーを思い出すという
「コロナ禍での作業だったので、篠山とZoomミーティングをやったんです。彼は三島との最後の数ヵ月の出来事をまるで昨日の出来事であるかのように、生き生きとエネルギッシュに語るんです。篠山と亡くなった三島の間の友情は本物だと感じましたね」

ひとりの写真家として世界記録級の膨大な写真集を世に送った篠山だが、彼ら海外の関係者はどれを評価するのだろうか。パリのレミーは複数のタイトルを挙げる。
「篠山の作品を知り始めた時、彼にはさまざまな側面があることがわかりました。スティルライフは『食』(潮出版社 1993年)が傑作で、『晴れた日』(平凡社 1975年)も素晴らしいです」

ロンドンのホッペンは彼が最も評価する双子のヌード作品を含む『nude』(毎日新聞社 1970年)を挙げる。

「この写真集は篠山の中で最も時を超える潜在能力があります。これは日本の写真の代表的作品としてずっと残り続けます」

ニューヨークのルナが最も評価する篠山の写真集は『シルクロード』シリーズ全8巻(集英社 1981~1982年)。

篠山篠山の写真集『シルクロード』
篠山紀信『Louis Vuitton FASHION EYE/ SILK ROAD』(LOUIS VUITTON) 表紙 2018

「奈良からトルコのボスポラス海峡までのアジアを横断する壮大な旅を描いた『シルクロード』シリーズは一番衝撃的でした。これは人間性の讃歌であり、もはや存在しないバーミヤンやパルミラの仏像の姿に感動します。この作品はアジア人のために、アジア大陸の壮大かつ親密な美しさを取り戻し、逆方向に進んだ現代のマルコ・ポーロなのです」

これら外国人の三者三様の篠山の捉え方が、篠山の巨大な多面性を示すものだ。では篠山紀信を日本の、そして世界の写真史の中でどう位置付ければよいのだろうか。ホッペンは篠山の写真には強い渇望があるという。

「篠山はまぎれもなく革新者であり、芸術的な渇望を写真作品に取り入れることができた人物として歴史に残るでしょう」

ルナも篠山の存在感の大きさを讃える。

「篠山は戦後日本のポートレイト写真の巨人であることは、誰も異論がないはずです」

しかし、レミーは篠山の功績はまだ十分評価されていないと嘆くのだ。

「私は日本の写真史に関する本を数冊持っていますが、それらの本では、ほとんど篠山に言及していません。それはとても残念なことです。篠山は素晴らしい本を出しているにもかかわらず、彼は商業的すぎると考えられているのです。そして何より残念なのは、彼が成し遂げたことがきちんと評価されていないこと。彼は荒木経惟や森山大道のようなスター写真家よりもずっと前から海外に日本の写真を紹介するのに貢献したのですから」

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