小さな漁村で守り貫かれた、潜伏信仰の足跡。
天草に到着すると、頬を切るような北風が吹いていた。
それでも海面を照らす陽光は、そこかしこに潜む生命の息吹を呼び起こすような鮮やかさ。冬と春のちょうど境目のような一日に、旅はスタートした。
九州本土と「天草五橋」と呼ばれる5つの橋で結ばれている天草は、上島と下島を中心とする大小約120の島からなる諸島。最初に目指したのは、本土から最も離れた下島の南西部に位置する﨑津集落だ。
キリスト教の禁教期、250年もの長きにわたり仏教や神道と共存しながらひそかに信仰を守り、漁村の暮らしに溶け込む独自の信仰形態を育んだ潜伏信仰の中心地。
歴史を物語る資産が数多く遺されていて「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界文化遺産に登録されている。
﨑津では、思わぬ場所でも信仰の跡に出くわした。ウニを目当てに訪れた一軒の寿司店だった。
3月初旬、天草では紫ウニの漁が解禁される。年間を通じ良質なウニが獲れる天草だが、紫ウニの甘味の強さは別格で、春の味覚の代表格だ。
創作寿司で人気の〈海月〉のカウンターで、紫ウニにサクラダイ、タチウオなど旬魚のにぎりを一通り楽しむうちに、店主・宮下剛さんとの会話が信仰についての話に及ぶ。
「先祖は潜伏キリシタンだった」と話しながら、古い銭貨を見せてくれた。「潜伏時代は、身近なものを十字架や聖像に見立てたといわれています。この銭貨を十字に並べたり、合わせた手の間でこすり合わせたりして、祈りを捧げていたのだと」
角が取れ、薄くなったひと握りの銭貨。仏教徒を装うために参拝した神社や、踏み絵が行われていた場の跡に建てられた教会などと同様、いやそれ以上に、当時の人々の祈りの強さを、肌に生々しく伝えてきた。
海、川、山、ひと続きの自然が
あまたの恵みをもたらす。
翌朝、﨑津集落から車で10分ほどの場所にある大江漁港へ出かけた。
多くの漁港を有する天草は、ウニに限らず海の幸の宝庫。この日の大江港は、ブリの大漁に沸いていた。海の豊かさは、大地の豊かさの証しでもある。標高682mの倉岳をはじめとする山々、険しい森。
急勾配の峠道の至るところで、海と海岸線と小さな島々がつくる絶景に足を止めたくなる。山から湧くな水は川になって田畑を潤し、大地の滋養を海へと運ぶ。
豊かな大地は地質も地層も多彩を極め、米から果樹まであらゆる農産物をよく育む一方、日本一の陶石の産地としても知られる。
300年以上前に発見されたという天草陶石は、全国の陶芸家に使われており、天草の陶磁器製造の歴史も古い。陶芸家の一人、余宮隆さんを訪ねた。余宮さんが登り窯で焼く器は、窯変に独特の色艶がある。
「材料である土はもちろん、燃料の薪も天草産。土地の自然と人の手でつくる器は、質の良いワイン同様、テロワールを表すものであったらと」。食いしん坊を自認する作家らしい言葉で、自らの器を説明してくれた。
この土地の美しさに、
導かれてやってきた人々。
天草には、県外からの移住者も増えている。新たなカルチャーやコミュニティの担い手は、この土地に魅せられ拠点を移した人々だ。
九州本土から見た天草の玄関口・大矢野島でカフェ〈麻こころ茶屋〉を営む小沢麻裕さん、朋子さん夫妻は、関東からの移住組だ。
山に暮らすつもりが天草の海景色に心を撃ち抜かれ、鮮魚店を改装してカフェを開いた。
現在は、自家焙煎コーヒーと自家製ドーナツをメインに、朋子さんが選んだ器や雑貨も紹介している。おから入りの生地でつくるドーナツは、もちっと、でも油の重さがなく、大きいのに2個目に手が伸びるおいしさ。海辺のロケーションとここにしかない味で、本土からも人を呼ぶ指折りの繁盛店だ。
倉岳の麓で半自給自足生活をするのは、谷口有磨さん、有加さん夫妻と長男の根優斗くん。
国内外さまざまな土地で暮らした経験を持つ谷口夫妻だが、東日本大震災を機に有磨さんのルーツである天草に移り住んだ。
倉岳を選んだのは「水がきれいだから」。谷口家では、料理に使うのも畑に撒くのも山の湧き水だ。夫妻は〈9ratake Art Studio〉を立ち上げ、有磨さんはデザインや企画の仕事を、有加さんは自家栽培のハーブ、ホーリーバジルでつくるお茶やコーディアルの製造を手がけている。
アーユールヴェーダでは「不老不死の薬」といわれているホーリーバジル。お茶をいただくと、爽やかな香りと優しい甘味に体の中を洗われたかのよう。暖炉で沸かした湧き水も、清らかな味の一因に違いない。
谷口夫妻は、漁師や農家、飲食店の主まで地元のあらゆる人々と友人のように付き合っているのが印象的だった。もちろん、小沢夫妻とも。
天草愛あふれる新しい住人たち。心を惹きつけてやまない自然と、暮らしに根づく祈りの場が残る美しい島に、新たな人のつながりが生まれ、土地の魅力は日々、更新され続けている。