少年時代、オリンピックの開会式で指揮をする姿を目にして以降、坂本龍一から多大な影響を受けたというサンダーキャット。20代になった彼は、不思議な偶然によって坂本との出会いに導かれる。はじめての対面から心を通わせた数分間のダンス、音楽的な影響から形見のお茶缶まで、サンダーキャットが坂本龍一を語り尽くす。
2人の親友が、龍一さんのところへ導いてくれた
──坂本龍一さんの音楽との出会いはいつですか?
サンダーキャット
すごく若かったと思う。14歳とか15歳くらいじゃないかな。絶対に忘れないよ。キーボーディストのキャメロン・グレイヴス、長年俺と共同制作しているプロデューサーのタイラー・グレイヴス兄弟の家に行ったとき。彼らの家には録音機材やテープがあったから、いつも練習したり録音したりしていたんだよ。
彼らの父親のカール・グレイヴスさんはOingo Boingoっていうバンドのキーボーディスト/ボーカルで、家に行くとよく音楽を聴かせてくれていたんだ。ある日、練習の準備をしてたらグレイヴスさんがリビングに俺たちを集めて、1992年のバルセロナ・オリンピックの開会式を観せてくれたんだ。そこでは龍一さんが作曲を手がけた「地中海のテーマ」を指揮してた。ダンサーたちと一緒にものすごい演出をしていて、信じられないくらい美しかったよ。本当に美しかった。
グレイヴスさんは龍一さんがどれだけ偉大なミュージシャンかを説明してくれて、それに強く刺激を受けて練習に入ったのを覚えているよ。これが坂本龍一の音楽との出会いだね。
──実際に対面したのはいつですか?
サンダーキャット
これは俺にとってすごく悲しいというか……トラウマのような出来事がきっかけだった。俺が20代前半の頃で、アルバム『Apocalypse』を作っている時期。親友でピアニストのオースティン・ペラルタが亡くなって……彼が22歳のときだったかな。喪失感に打ちひしがれていたとき、見かねたフライング・ロータスが「日本に行かないか?」って誘ってくれてさ。彼が大阪のフェスでショーをやる予定だったから、ベーシストのデイブ(デイヴィッド・ウェクスラー)たちと一緒に大阪に行ったんだ。そこに龍一さんも出演していたんだよ。たしか、エレクトロニックな感じの、普段とはちょっと違うタイプのセットで演奏していたと思う。
「地中海のテーマ」と出会ってから、彼の音楽もYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)も全部聴いていたし、俺はもう興奮して興奮して。「うわあ」って感じで。それで「龍一さん!」って思い切って声をかけたんだ。で、自分がオースティンの親友だってことを伝えると、龍一さんはすごく悲しそうな顔をしていた。俺はすごく感情的になっちゃって、つい龍一さんを抱きしめたんだけど、彼はあの瞬間ですべてを理解してくれた気がするな。
──つらい出来事があったけれども、それがこの出会いに導いてくれた側面もあるわけですね。
サンダーキャット
そう。『Apocalypse』の最後に収録された「A Message for Austin / Praise the Lord / Enter the Void'」はオースティンに捧げた曲なんだけど、「地中海のテーマ」をサンプリングしているんだよ。キャメロン、タイラーと一緒につくったんだけど、どうやったら許諾がとれるかわからなくてね。そしたら本当に不思議な偶然が重なって大阪で龍一さんに会えた。許可をもらえないかとたずねたら、「うん、どうぞ」って。これが龍一さんとの最初の出会いだよ。本当に美しい瞬間だった。
フライング・ロータスとはスピリチュアルでコズミックな、お互いをすごく理解し合う関係の親友でさ。オースティンの死がきっかけだったけど、フライング・ロータスという親友が俺を日本に誘ってくれて、龍一さんとの出会いの瞬間も側にいてくれた。そして、もうひとりの親友を一緒に次の世界に送り出すような……。2人の親友が俺を龍一さんのもとに導いてくれたんだと思う。記憶に深く刻み込まれた、本当に意味深い出会いだったよ。
「シンプルさ」という坂本の本質
──お気に入りの作品は?
サンダーキャット
たくさんありすぎるよ。YMOも含めてマジで「全部好き」といいたいところだね。「ライディーン」とかもそうだし、彼がマスタリングをしたバスクのスポーツのアルバムも。ソロだったらアルバム『スムーチー』(1995)。2曲目の「愛してる、愛してない」は素晴らしいよ。『戦場のメリークリスマス』(1983)もすごく美しい。それとそれと、最初のソロアルバムの『千のナイフ』(1978)も美しいったらないね。
──坂本龍一さんの70歳を記念して制作されたトリビュートアルバム『A Tribute to Ryuichi Sakamoto - To the Moon and Back』(2022)では、アルバムタイトルと同名の楽曲「Thousand Knives(千のナイフ)」のリモデルで参加していますよね。その経緯は?
サンダーキャット
プロセスはどうだったっけな。正確には覚えてないんだけど、たしか純粋にやりたくてつくり始めていて、パーフェクトなタイミングでコラボの話が来た感じだったよ。
誰か憧れの存在に会ったとき、少なくとも俺の場合は「一緒に仕事しましょう!」なんて考えは全然ないし、言えないよね。特に龍一さんの場合、ミュージシャンとして、アーティストとして、クリエイターとして……彼へのリスペクトが大きすぎて到底無理だったよ。だけど、龍一さんはコラボレーションに心を開いてくれて。だから本当に自然なかたちで協働が実現したと思う。これって大事なことなんだよね。予想外だったけど、あの瞬間にすごく感謝しているよ。
──カバーする楽曲は「千のナイフ」で即決だったんですか?
サンダーキャット
いろいろ考えてはいたよ。「愛してる、愛してない」とか、自分にとって特別な「地中海のテーマ」とかね。それこそYMOの曲も。「いやいや、でもやっぱり『千のナイフ』だ!」ってね。
──それはなぜ?
サンダーキャット
ファーストアルバム『千のナイフ』におけるシンプルさとエレクトロニックな部分が、龍一さんというミュージシャンの本質を美しく表現しているから。すごく複雑で大きな動きをしていて全然シンプルじゃないんだけど、シンプルに聴こえてしまう。こういうミュージシャンって本当に少ないんだよ(個人的にはジャズ・ピアニストのジョージ・デュークもそう)。特にBセクションのハーフディミニッシュの動きとかね。
俺とタイラーでこの曲を学んでるときはブッ飛んだね。「マジかよ、龍一さんの頭の中ではこれがシンプルなんだ!」って。解釈するプロセスでこの楽曲の美しさに気づくんだよ。ポップとエレクトロニックな作曲の完璧な出会い。「千のナイフ」はその象徴的な一曲なんだ。
──話す熱量からも、どれだけ坂本龍一さんがあなたに影響を与えているかがわかります。
サンダーキャット
影響はあまりにもデカいよ。とてつもなく。音楽的な側面でいうと、メロディの見つけ方は、部分的に龍一さんから学んだな。メロディがどれだけシンプルであり得るか。そしてシンプルなメロディからいかに世界をつくり出すかを教えてくれた。あなたにとって坂本龍一とは?そう聞かれたら「Simplicity(シンプルさ)」が答えだ。そして、唯一無二の「Originality(独創性)」と「Greatness(偉大さ)」。そういうほかないと思う。
坂本との、2分間だけのダンスタイム
──坂本龍一さんとは何回くらいお会いしたんですか?
サンダーキャット
対面で会ったのは数えるくらいだね。ニューヨークでは(闘病の)痛みを抱えるなかで遊びに来てくれて、フライング・ロータスの家だったかな。あとは、エースホテルでの彼との時間は一番の思い出だね。
当時、龍一さんはあまりピアノを弾きには出てこなかったと記憶している。でも、そのときは体調も良い状態だったみたいで、ロサンゼルスのエースホテルで何年かぶりのショーがあったんだよ。俺はそこにマック・デマルコとか何人かの友達と遊びに行ってたんだ。マックは「わっ、坂本龍一だ……」みたいな感じだし、みんなすごく慎重に接していてさ。
かくいう俺はというと、龍一さんを見つけるなりぎゅっと抱きしめて、手を取って一緒に踊ったんだ。マックや周りの友達は「えっ!」みたいな感じで驚いてた(笑)。俺は「マックも来いよ!」って言ったんだけど、恥ずかしかったのか怖かったのかわからないけど顔を赤くして、「あ、あ……」って感じで恐縮しきりだったな(笑)。
──とてもスイートな瞬間ですね。
サンダーキャット
そうだね。そして、俺と龍一さんは、会話しながら頭の中にある音楽に合わせて踊った。2、3分くらいだったかな。脳が完全にシンクロして、彼の直感とつながった気がした。彼も、その一瞬ですべてわかってくれている。そう感じるくらいにね。最高に特別な瞬間だったよ。あの場にいられることが、龍一さんにとってはとても嬉しいことだったはず。だから、龍一さんは俺にとって、オープンで、優しくて、そしてとても美しいひとなんだ。
インタビューが終わると、サンダーキャットは「ちょっと見せたいものがあるんだけど」と、自宅のある一角に招き入れてくれた。亡くした友人やメンターの写真が並ぶ祭壇スペース。そこには、かつて坂本龍一から贈られた一保堂の煎茶缶が、未開封のまま大切に飾られていた。