『The Milk of Dreams』って何を意味しているの?
第59回ヴェネチア・ビエンナーレのキュレーターは、ニューヨークを拠点に活動するチェチリア・アレマーニ。実は、イタリア人女性が就任するのは今回が初めて。全体のテーマは、シュルレアリスムの女性画家・小説家として活躍したレオノーラ・キャリントンの一連のデッサン作品や絵本に由来し『The Milk of Dreams』。
この意味についてチェチリアは、「人生は常に再認識されるもので、誰もが変化・変身し、イマジネーションを通し、違う何かになることができる魔法の世界を描いている」とコメントしている。
優れた人工知能やクローン技術が開発され、パンデミックや戦争で生命の存続が脅かされることにより、曖昧になりつつある人間の役割や命の重さ。現代を生きる私たちに 「身体の表現とその変容」「個人とテクノロジーの関係」「身体と地球のつながり」という3つのテーマで問いかけるのが今回のヴェネチア・ビエンナーレの展示だ。
さらに今回は、女性アーティスト、従来のジェンダー規範に当てはまらないジェンダーノンコンフォーミングを主張するアーティストの比率が9割と、非常に高い。しかも、参加者213人のうち180 人は初参加で、95人が故人という今までにない構成。
自信を持っておすすめしたい、誰もが楽しめる注目パビリオン!
今までとは一味違うこのヴェネチア・ビエンナーレ。栄誉ある国別部門の金獅子賞に選ばれたのは、アフロ・カリブ系女性のソニア・ボイス率いる英国館。これも、ある意味象徴的である。
ここからは、アート評論家でなくても楽しめて、今回のテーマが分かりやすく表現されていたパビリオンをいくつか紹介していこう。
(ジャルディーニ会場)
デンマーク館 - 『We Walked the Earth 』
現代アート特有のポップな要素が、テーマの重さを和らげていたデンマーク館。見た目で楽しむことができる一押しパビリオンだ。
『We Walked the Earth(私たちは地球を歩いた)』と名付けられたこの展示は、ウッフェ・イソロートによるもの。舞台は不確定な未来におけるシュルレアルな世界。馬糞の臭いまで再現したデンマークの伝統的な農業のイメージと、SF要素が混ざり合う、時空を超えた奇妙な空間。そこに存在するケンタウロスの家族に焦点を当てた生と死のドラマが展開されている。
2つのメインルームのうちの一部屋では、ケンタウロスが自らの命を絶つために、天井から吊るされた鎖にだらりとぶら下がっている。一方、隣の部屋ではメスのケンタウレが横たわり出産している。よく見ると、青い羊水で包まれた赤ちゃんは両親とは異なったハイブリッドな生き物のように見える。生と死が隣り合わせにあり、移りゆく環境の中に順応しようと、未来も分からないまま変化を続けるその姿は、現代にも通じるものがあるのではないだろうか。
日本館・『2022』
国際交流基金が主催する日本館では、1984年に京都で設立された日本を代表するメディアアート集団、ダムタイプの新しい作品を世界初公開している。
高谷史郎をはじめとするメンバーに加え、坂本龍一がが新たに加わり制作された今回の作品『2022』は、インターネットやソーシャルメディアの進化、パンデミックにより変化した私たちのコミュニケーション方法、あるいは「Post Truth」「Liminal Spaces」にフォーカスしたもの。
真っ暗な展示室の中には、1850年代のアメリカの地理の教科書から引用された赤い文字が浮かび、 テキストを朗読する音声が耳元に届く。それとは対照的に部屋の中央には空白を感じさせるような空間があり、どこでもない場所であり、どこでもある場所のように感じられる。
この空間に身を置くことで、人のいない不思議な空間、ソーシャルディスタンスにより人との距離感が変化し、コミュニケーションがデジタル上で文字化されるこの現代に、「私たち」はどうあるべきなのか?「人間」として、技術の進歩とどう向き合っていくべきなのかという、より本質的な問いにたどり着くのではないだろうか。
ルーマニア館・『You Are Another Me - A Cathedral of the Body』
18歳以下は入場できないこの展示。分かりやすく、インパクトがあり、今回のビエンナーレで最も挑発的な作品の一つだ。思わず目をそらしてしまうような、不快感を覚える人がいるかもしれない。しかし、その不快感こそが社会に植え付けられた古い価値観なのかもしれない。
2018年ベルリン国際映画祭での金熊賞を受賞作品となった、アディナ・ピンティリエの長編映画、『Touch Me Not(タッチ・ミー・ノット)』の一部をビデオインスタレーションにしたのがこの『You Are Another Me - A Cathedral of the Body(あなたはもう一人の私 – 身体の大聖堂)』だ。ビデオには、社会がつくり上げてきた“普通”の外に存在する人たちが映し出される。
同性愛者のカップル、障害者の活動家、トランスジェンダーのセックスワーカーが裸で登場し、親密な様子で話したり触れ合ったりする様子が捉えられている。定められた規範を再定義すべきだと抗議していると同時に、すべての先入観を超えた身体間のつながりを祝う大聖堂を表現しているかのようにも思える。
中でも印象的だったのは、男性の体を持つトランスジェンダーが、スクリーンの中から私たちを見つめ、女性であるように見せようとアクティングする。映し出された現実を目の当たりにし、様々な感情が入り交じった展示であった。
オーストリア館・『Invitation of the Soft Machine and Her Angry Body Parts』
『Invitation of the Soft Machine and Her Angry Body Parts(ソフトマシンとその怒れるボディパーツの招待)』と題されたこの展示を手がけたのは、公私を共にする2人のアーティスト、ヤコブ・レナ・クネブルとアシュリー・ハンス・シェール。
本来、人体は、脳が「欲望」に反応し、それぞれの臓器が動くことで機能している。しかし、人工知能の進化により、マシンやAIが人間の役割を果たすことで、いつしか人間は「欲望」を、そして「人体」を失い、デジタル化により、個々のつながりを持たない「ソフトマシン」が社会を形成するのではないかということを訴えかけているように思える。
オーストリア館では、パビリオン自体が「人体」という枠組みを表しているかのように、中には、体の様々なパーツを表すオブジェや絵などがあちらこちらに点在している。それらを個別に見ると、特別な意味を持たないものが散らばっているようだ。
しかし、この空間に集まることで、全体のつながりが見えるようになり 、アートとしてのメッセージ性を生み出している。それぞれに差異はあるが、平等であり、一つにまとまることで全体として機能する。それは、私たちの体、さらには、社会の構造にも共通しているのではないか。
現代社会の向かっている方向を考えると、そんな理想的な社会はもはやユートピアとなりつつあるが、現状を見つめ、未来への危機感を感じることで、人間らしい未来へとの軌道修正ができるかもしれないという希望も微かながら含まれているような気がした。
(ヴェネチア市街編)
カタルーニャ館・『Catalonia in Venice_LLIM』
「カタルーニャ、そんな国あった?」そう思った方、大正解!カタルーニャはスペインの自治州で、州都であるバルセロナは日本でも観光地として有名だ。スペインからの独立を巡って話題になった州でもある。そんな政治的背景を持つカタルーニャが州の名前を掲げて展示を行えるのもこのヴェネチア・ビエンナーレならでは。
それはさておき、13世紀の水の都ヴェネチアは、ヨーロッパのガラス産業の中心地として栄えていた。ヴェネチアの歴史において重要な役割を果たしてきた水とガラスとの関係にスポットライトを当てたインスタレーションが、アーティストであるララ・フラッサによる『Catalonia in Venice_LLIM』だ。
タイトルにもある「LLIM」は沈泥を意味し、ヴェネチアの水がガラスを通り、輝きを取り戻すその過程で、全ての要素をつなぐポイントとなっている。この展示は多くのパビリオンが行っているサイトスペシフィックなインスタレーションとは異なるのだ。
ガラスを専門に扱い、水との物質的な関係性や生態系のバランスを追求するアーティストであるフラッサが、そういったコンセプトをベースに、ヴェネチアの土地の性質を取り入れて出来上がったのが今回の展示である。水質汚染が囁かれてきたヴェネチアの運河に流れる水をポンプで汲み上げ、パビリオンの中に巡らされた美しく繊細なガラスのチューブを循環させている。
途中、オイルやミルクといった 液体と交わることで、水の色は一気に変化する。その経過をたどる中で、水の中に混ざっていた沈泥が抽出され、浄化されることで、透き通った綺麗な水が蘇り、ヴェネチアの水道に戻る仕組みになっているのだ。
この土地に根付く文化を活かした環境保護にも通じるインスタレーションからは、デジタル化や機械化が進む現代において忘れがちな、自然と文化の共存がいかに大切なことかということを思い出させてもらったような気がした。長くて細い希望につながるガラスの道の中、水がミルクへ、ミルクが水へと姿を変えていく。これぞまさにミルク•オブ・ドリームズ!?