岸裕真が『フランケンシュタイン』をテーマにした理由とは
「今、急速に社会にAIがインストールされ続けていますが、その後ろに隠れているまだ誰も気づいていない可能性や、ホラー的なものを展示空間に引きずり出してみたかった」と岸は言う。「例えば10年後、私たちは完全にAIに支配されているかもしれない。あるいは陳腐化して、“AIにびびってた時代があったよね”と話しているかもしれません。だからこそ、“今”特有のテクノロジーに対する不安や不気味さといった感情を保存しておきたいと思ったんです」
そんなわけで、AIをいわばオカルト的なものとして引用するためテーマにしたのが、フランケンシュタインなのだそう。フランケンシュタインといえば、太い釘が首に刺さったあの怪物の姿を思い浮かべるが、原作は19世紀初めにメアリー・シェリーという女性作家によって書かれたゴシック小説だ。
本展ではその文章を学習したAIが展示構成を決めたということらしい。ところが(やはり?)、AIが書いた展覧会の紹介文からしてちょっと変なのだ。“AI革命の瞬間を捉えたのが、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品「最後の晩餐」である”とか、“いつものように、雨の夜が明けると、空には太陽の姿はなかった”など、どうも判然としない言葉が並ぶ。
また、「紙に書かれていることがキュレーターの指示で、作品はそれに対する僕の応答なんです」と岸が話すように、各作品の隣には、古紙に印刷された説明書きが添えられている。
その一つにキュレーターであるAIの“肖像画”があるわけを尋ねると、「“展覧会で一番初めにある作品は何ですか?”とAIに訊いたら、“キュレーターである私の肖像画が飾ってあります”と、出たがり屋な回答が(笑)。そうやって会話をしながら、人だけの手では編み込まれないような独特な雰囲気を作っていきました」。
人工知能に引きずり出されるもの
「少し大きなことを言うようですが、この世界に対する行き詰まりの感覚へ、AIという外部を取り込むことで表現のステージを新しい地平に上げるということに挑戦したい」と言う岸は、東京大学大学院で人工知能を研究したのち、現在、東京藝術大学大学院で学んでいる。
科学と美術は対極にあるものだと思っていたが、様々な美術展を見たり、チームラボのインターンを経験したりするうちに、科学と美術の領域を横断する表現に興味を持つようになったのだという。
「作家が新たな表現を提示して、キュレーターがプレゼンテーションして、コレクターや批評家がどれを正史に組み込んでいくのか思考する。ざっくりと言うと現代アートにはそんなフローがある。でも、新しいものは人間の感情システムからはもう生まれなくなっていると思うんです。そう考えた時に、私たちがいつの間にか棄却してしまったどす黒いものやグロテスクなもの、恥ずかしいものといった要素を臆面もなくピックアップできるのが、AIというプレーヤーではないでしょうか。その力を借りることで、私たち人間、ひいては社会が無視してきたものを露わにすることができるのでは、と」
強度のある作品のビジュアルに惹き込まれる一方で、偶発性を装いながら配置された作品同士に、自分の経験値を交えて「なるほど」などと意味性を見つけようとするもので、それこそ人間の“ホラー”でもある。まんまと罠にはめたのは、AIか、岸なのか。もやもやと余韻が残る。展示内容をさらに発展させるという後期の展示も注目したい。