蓮沼執太が熊野古道でフィールドレコーディング。聖なる森を歩き、耳を澄ます 〜2日目〜
photo: Kiyoshi Nishioka / text: Takashi Sakurai
神域で出会った、奥深い自然が奏でるさまざまな音
2日目 発心門王子〜大斎原
2日目は発心門王子から歩き始める。ここから先は熊野本宮大社の神域になる。ところどころにある 「王子」と呼ばれる場所は、熊野三山の御子神を祀る神社で、その数は100以上。かつては旅の安全を祈る場所であり、里神楽などの儀式が行われることもあった。前日とは打って変わって、緩やかな下りが続く。途中に、杉の間伐林を利用した「森のベッド」と呼ばれる場所に出る。間伐した幹をベッドに見立て、その上に寝転んで静かに過ごせる、知る人ぞ知る場所だ。蓮沼さんはマイクのセッティングを始める。
3分間、気配を消すと前日の場所とはまた違った音が降り注ぐ。鳥たちの鳴き声もこんなに多様なのかと驚かされる。時折木々が揺れるキシキシという音も混ざる。山は静かだ、という固定観念をこの旅では良い意味で裏切られ続けている。
蓮沼さんは、ところどころにある社やお地蔵様に律儀に手を合わせながら歩く。静かに手を合わせた時には、録音している時と同じように豊かな自然の音を感じる。かつての巡礼者たちがこの道に感じたのも、こういった自然の雄大さなのかもしれない。そこに神を見出したとしても、まったく異論はない。
熊野古道は、一般的な登山道と違って、ルート上に集落があるのも特徴的だ。森のベッドからしばらく歩くと、伏拝の集落に出る。こぢんまりとした茶畑が道の両側にある、日本の原風景のような場所だ。その集落にある茶屋の奥からは、元気なおばちゃんの声が響く。
「1800年前から湧いてる温泉で淹れたコーヒーどうかね〜」
今から約1800年前に発見されたと伝えられている湯の峰温泉の湯で淹れたコーヒーとのこと。湯の峰温泉は、いにしえの旅人が巡礼の途中に立ち寄り、禊ぎをし、疲れを癒やした場所。フワッとほのかに感じる硫黄の香りがコーヒーの苦味と予想外にマッチする。熊野古道は、世界遺産の中でも、自然遺産ではなく文化遺産として登録されている。景観だけでなく、その文化に触れることで真の魅力が見えてくる。それには、こうして歩き、そこにある生活を感じることが一番だ。さらに30分ほど歩くと、見晴らしの良い高台に出た。「あそこはずっと行ってみたかった場所です」と、蓮沼さんが指差す先には大きな鳥居。かつては、熊野本宮大社があった大斎原。明治22(1889)年の水害で多くが流出したため、現在地に移築された。
旅の締めくくりは熊野本宮大社だ。檜皮葺きの古式ゆかしい社殿が迎えてくれる。中辺路だけでも約116㎞、全国各地はるか遠方から人が訪れたというから、その道のりは果てしない。到着した時のありがたさはひとしおだったことだろう。祀られた4柱の神様に参拝した後、大斎原へと向かう。山の上から見えた大鳥居をくぐり、その奥へ歩いていくと森に囲まれた静かな草原に出る。
「なんだか天国のような雰囲気でゾクッとしますね」
そう言いながら蓮沼さんが録音の準備を始めると、賑やかな外国人観光客がやってきた。すぐ脇の河原に下りて、石投げを始める少年もいる。
もう少しこの静謐な美しさに身を浸していたかったが、熊野三山は貴賤男女の隔てなく、1000年以上誰をも平等に受け入れてきた場所だ。むしろ世界中から巡礼に訪れる地になったことに、祀られた神様たちも驚き喜んでいるかもしれない。
蓮沼さんはといえば、石投げをしている少年たちの横で、川に防水マイクを投げ入れている。
「帰ってから録った音を聴くのが今から楽しみです。音だけというのは想像力もかき立てられるので、旅の記録としても良いと思います」
熊野の旅を終えてから数日後、彼からメッセージとともに音が届いた。
「音を整えてみました。熊野古道は歩くことを含め、文化遺産ということだったので、歩いた時間軸で旅を一つにまとめました」
そこには音を巡る彼の旅が鮮明に収められていた。目を閉じて、耳を澄ますと熊野の風景が蘇ってくる。