蓮沼執太が熊野古道でフィールドレコーディング。聖なる森を歩き、耳を澄ます 〜1日目〜
photo: Kiyoshi Nishioka / text: Takashi Sakurai
音を探して、1,000年以上前から続く、古の道を歩く
1日目 滝尻王子〜高原霧の里
「ここで録ります」
蓮沼執太さんが立ち止まってザックを下ろす。取り出したのはフィールドレコーディングの道具たちだ。ジャンルを超え、多岐にわたって活躍する音楽家である彼は、さまざまな場所でのフィールドレコーディングを試みてきた。ハイキングも好み、自然の中にいる時に楽曲のアイデアが浮かぶこともあるという。
今彼がマイクを構えているのは熊野古道。高性能マイクによる録音だから、その場にいた全員が動きを止め、息を詰める。
シン、とした静寂が……訪れないのだ。鳥の声、葉のざわめき、吹き抜ける風。自然の中は実は音で溢れている。自らの気配を消すことで、自然音が全方位から鮮明に届く。蓮沼さんは「音を浴びる」という言葉を使ったが、まさにそんな感じだ。
熊野古道は、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社および那智山青岸渡寺、いわゆる熊野三山へと続く参道の総称。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部でもある。“道”の世界遺産としてはスペインの「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」に次ぐ2つ目。今回歩くルートは熊野古道の中でも、最も多くの参詣者が歩いたとされる中辺路と呼ばれる道の一部。はるかな昔、後鳥羽院、藤原定家、和泉式部らも歩いた道だ。
初日は滝尻王子から高原までの約4㎞を行く。出だしからいきなりの急登でなかなか歩き応えがある。ここを歩いた藤原定家の日記が残っているがこのへんから泣き言が多めになるというのもわかる。蓮沼さんはなかなかの健脚だ。それもそのはずで、創作中は1日2時間歩くという。
「歩くというのは、空っぽにする行為。空きを作らないと入ってこない」
ところどころで音を録りながら歩く。五感をフルに使って歩く、とは山にいると意識することではあるけれど、五感の中でも聴覚にフォーカスすることはあまり経験がない。山の中で耳を澄ますと、自然の音の豊かさを感じると同時に、普段いかにそれらをかき消す人工音に囲まれているかに気づかされる。
「情報を視覚に頼りすぎているのかもしれませんよ」
蓮沼さんの言葉にどきりとさせられる。絶景に歓声を上げるのではなく、静かにいい音を探す。こんな山歩きがあってもいい。この日、最後の録音は〈高原霧の里〉。彼方まで続く山並みが見渡せる、熊野の山深さを象徴するような場所だ。棚田ではカエルたちが大合唱を始めている。