世界で最も美しい谷を、ゆっくりと。ネパール・やさしいヒマラヤ山歩旅

photo: Kasane Nogawa / text & edit: Yuriko Kobayashi / cooperation: Taro Treks & Expedition

その険しいイメージとは裏腹に、のんびり歩けるトレイルが数多く存在するネパール・ヒマラヤ地域。「世界で最も美しい谷の一つ」と呼ばれるランタン谷で、ゴールも目標も決めずに歩いた、やさしくて平和な6日間の記録。

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心震える瞬間に出会う。それだけで、いい

「もう当分、山はいいかなあ」。彼女は少し寂しげに、そう言った。「憧れのパキスタン、ヒマラヤを歩いてきます」と、希望に満ちた表情で日本を発ったのは数ヵ月前。世界第2位の高峰、K2を見に行く山行を終えて帰国した彼女は、好きだった山から遠ざかろうとしていた。

鈴木優香さんは山にまつわるプロダクト制作を行うデザイナーだ。国内外の山を歩き、写真に収めた風景をハンカチに仕立てるプロジェクト〈MOUNTAIN COLLECTOR〉をはじめ、近頃は写真作品の発表や執筆など、活躍の場を広げている。

「せっかくヒマラヤまで行ったのに、何も成果を持ち帰ることができなかった」。それが沈んだ表情の理由だった。聞けば行程の大半でひどい高山病に悩まされ、写真撮影はおろか、風景を楽しむ余裕すらなかったそうだ。

なんとか目的地まで歩いたものの、帰りは荷物運搬のためのヘリコプターに乗せてもらい下山したのだという。「不甲斐ないし、悔しい。ヒマラヤは自分にはふさわしくない場所だったのかもしれない」。

そう言って下を向く彼女に、かける言葉が見つからなかった。同時に、一つ疑問が湧く。山に登ったら必ず何か目に見える成果を持ち帰らなければいけないのか。思い描いた通りの山行ができなければ、その登山はすべて“失敗”なのか。それではあまりにも、寂しいじゃないか。

カトマンズからジープで7時間。断崖絶壁を猛スピードで走る車中で、「この行程が山より過酷かもしれません」と優香さんが笑う。話を聞いて2ヵ月後、再びヒマラヤに行かないかと誘った。

今度は「どこの山を見る」など目標を定めず、気の向くままにゆっくり歩いてみてはどうか。この先も、彼女に山を好きでいてほしかった。そして知りたかったのだ。山に登るとはどういうことなのか。成果とは、失敗とは何なのか。

ヒマラヤトレッキングは4回目の鈴木優香さん。「前回は気負いすぎて体調を崩してしまったので、今回はゆっくり、リラックスして歩きたい」と話していた。

夕方、登山基地となる村、シャブルベシに着き、ネパール人登山ガイドのリンジさんと打ち合わせをする。今回歩くのはネパール中央北部にあるランタン谷。「世界で最も美しい谷の一つ」と呼ばれる深い谷にはヒマラヤの山々から流れ出る雪解け水が流れ、古くから人々の暮らしを潤してきた。

ランタン川に沿ってあるトレイルは谷にある村々に住む人たちの生活の道で、最奥にある集落・キャンジンゴンパ(約3800m)までは片道約30㎞。周囲には5000m以上の高峰が聳え、その向こう側はすぐ中国チベット自治区だ。

「キャンジンゴンパから4700mの小ピークまで登ることもできますが、行きますか?」と地図を示しながらリンジさんが聞く。

「今決めないとダメですか?」と優香さん。「何も決めなくていい。どこまで歩いてどこで引き返すか、決まりはない。ヒマラヤのトレッキングは自由だから」というリンジさんの言葉に、優香さんの表情が少し緩んだ。

ガイドのリンジさん(中央)、サブガイドのスーザンさん(右)、ポーター(荷物運搬)のプラタプさん(左)。タフで愉快な3人に何度も助けられた。

何にもとらわれず歩く、「ビシターリ」の魔法

同じ道を往復する6日間のトレッキング。その間、私たちはいくつかのネパール語を覚えた。「山」は「ヒマール」、「美しい」は「ラムロ」、「水」は「チソパニ」、「暑い」は「ガルミ」。「猫」は「ビラロ」などなど。その中で一番多く耳にし、声に出したのが「ビシターリ」。「ゆっくり」という言葉だった。

初日、宿泊地となるラマホテルまで8時間歩く。標高1500mほどの森は想像以上に暑く、数歩進むごとに額の汗が足元に落ちる。時折、川から涼しい空気が届いて、優香さんはそのたびに立ち止まって両手を広げ、風を受け止める仕草をした。

「ビシターリね。何時間かかっても誰も怒らないです」とリンジさん。日本ではコースタイムが示された地図を片手に時間を計りながら歩いている私たちにとって、「ビシターリ」は、その呪縛を解いてくれる魔法のような言葉になった。

最初の2日ほどは癖が抜けず、時計ばかり気にしている私たちに、リンジさんは繰り返し「ビシターリ」を唱え、毎日必ず午前と午後、お茶の時間を設けた。スパイスたっぷりのミルクティー、野生のミントを摘んで入れたハーブティー、乾燥させたショウガ入りのジンジャーティー。

トレイル上に点在する集落に立ち寄って、小さなキッチンでお茶を淹れてくれるお母さんたちの姿を見るのが毎日のひそかな楽しみになった。集落を出る時には村の人たちもまた「ビシターリ」と見送ってくれた。

2日目、ラマホテルを出てランタンまで歩く。この日も8時間ほどの行程。川沿いはシャクナゲが満開で、日本の山で見る薄桃色の花だけではなく、白や赤など様々な種類があることに驚く。優香さんは新しい色を見つけては写真に収めていく。

標高2800mほどまで登ったところで、谷の向こうに聳える岩山の隙間に雪を冠した山が見えた。「あれは何ていう山?」。新しい山が見えるたび、リンジさんに尋ねる。

でもほとんどの場合、答えは「NO NAME(名前はない)」で、確かに地図を広げても名前は載っていない。ヒマラヤでは名前のついている山を「ヒマール(山)」と呼ぶけれど、名前のない山は「ダダ(丘)」と表現するらしい。

「だからここから見えるのは全部、ただの丘だね。ネパールの人は山の名前なんて気にしない。そこにただ美しい景色があるだけ」とリンジさんが笑う。

思えば私たちはなぜ、山の名前や標高にこれほどまでにこだわるのだろう。どの山に登った、どれくらいの高さの山だった。登頂できた、できなかった。その違いで何かが変わるのだろうか。今こうして名もない山々を見上げているだけで、十分幸せなのに。

2日目に滞在したランタンは標高が高く、大きな樹木の生えない荒涼とした土地だった。人々はヤクを飼い、その乳で作ったチーズを売ったり、登山客相手のロッジやカフェを営んだりして生活している。周囲にはランタン山群が大きく見え、それに抱かれるようにして村がある。

「今歩いているこの道の下、たくさんの人が眠っています」。リンジさんが静かに祈るような仕草をする。2015年、ネパール全土を襲った大地震の際、ランタンの村は大規模な地滑りと大雪崩により、1軒の家を残して村は丸ごと流されてしまった。今、村があるのはそこから少し離れた場所で、人々は8年間、忍耐強く少しずつ復興の道を歩んできた。

夕食はモモ(ネパール式の餃子)、オニオンスープ、手作りのピザなど。疲れが出たのか8時頃にはベッドに入って眠った。翌朝、6時に起きて、前日に洗って屋上に干しておいたTシャツを取り込む。ロッジのお母さんが陶器の皿にヒマラヤ杉の枝葉を盛り、火をつけていた。

煙とともに清々しい香りが立ち上り、流れていく。あの日、突然会えなくなった家族や友人へ、毎朝こうして祈りを捧げているのだという。

マサラティーを飲みながらその様子を見ていると、ヤクたちが草をはむ草原に優香さんの姿が見えた。手にはフィルムカメラ。「今回は下調べをしすぎないようにしていて、好奇心の赴くままに写真を撮りたい」とカトマンズで言っていた。「撮らなくては」ではなく「撮りたい」という気持ちに従う。彼女にとってそれは大きな変化かもしれない。

ランタンからキャンジンゴンパまではこれぞヒマラヤという風景の連続で、どこを見ても万年雪の峰々。自然と前へ前へと足が出るが、空気が薄くなっているせいか、すぐに息が上がってしまう。標高3500mを越えると頭痛と眠気がひどくなり、亀の歩み。これまで以上に「ビシターリ」を唱えつつ進む。

夕方、キャンジンゴンパに着いた時には食欲も消え、夕食はスープだけ。日本から持参した梅昆布茶を飲んだり、高山病を和らげるためにとにかく水分をたくさんとる。おかげで翌朝は優香さんの体調も回復し、村の小さなカフェでドーナツを食べられるまでになった。

標高約3,800mのキャンジンゴンパのロッジからはランタン山群をはじめヒマラヤの山々が間近に見える。行程の6日間、晴天に恵まれたが、この1週間後には大雪が降ったのだそう。

「私は、ここがいい」。私たちだけの山頂

翌日、改めてリンジさんが「どこまで歩く?」と尋ねた。優香さんは「とりあえずもう少し上まで登ってみようかな」とのこと。日帰りの荷物だけを持って、見晴らしのいい小ピークまで出かけることにした。

4000m付近にある小さなチョルテン(仏塔)に手を合わせ、さらに登る。ランタン山群の最高峰、ランタン・リルン(7234m)が徐々に大きく見えてくる。しばらく行くと、道の途中に少し開けた、気持ちのいい場所があった。

「ちょっとここでビシターリしようか。お湯しかないけどティータイムね」と、リンジさんがビスケットを取り出す。頭上には大きな猛禽が山から吹く風に乗って翼を広げている。

「ここで、いいかな……。ううん、私は、ここがいいです」。突然、優香さんが言った。「私はここで、みんなでゆっくり時間を過ごして帰りたいです」。あまりに決意めいた口調に面食らったけれど、そこにいた誰もが同じ気持ちだった。

理由はわからない。でも、そこが私たちの旅のゴールにふさわしい場所だと思った。名前のない、誰も目的地にしないであろう道の途中。そこで私たちはビスケットをかじって寝そべり、鳥を数えて、これまで登ったどんな山より満ち足りた時間を過ごした。

日本に戻り、ヒマラヤを歩いてきたと言うと、「どこを、どこまで登ったの?」とよく聞かれた。そのたびに、「よくわからないけど、あのへん」と答えた。みな怪訝な顔をしていたけれど、仕方ない。私たちは6日間かけて、とても気持ちのいい丘に登って帰ってきた。

成果も成功も失敗もない。ただ美しくて、少し辛かった記憶があるだけ。時々それを思い出して、山っていいな、また行きたいなと思う。ただそれだけで妙な力が湧いてくるのだから、山は単純で、どこまでも不思議だ。

少し意地悪な質問になることは承知で、後日、優香さんに今回の山旅に成果はあったのかと尋ねてみた。「ずっと気になっていた左目の下のクマが消えたことですかね。山でよく歩いて食べて眠ったから」と冗談めかしたメールが返ってきた。

「目の前で起きていることを素直に受け止めること。心が動いた瞬間をとどめること。自分にとってそれが、とても大切なことだったんだと思い出しました」と付け加えられていた。

もし山を登ることに成果があるのだとしたら、それは誰かに自慢するものではなくて、自分の中にじわじわと滲んでくるようなものなのかもしれない。そして時間を経て、いつか自分を励まし、支えてくれるものにきっとなる。そんなふうにして私たちはまた再び、山へ戻っていく。

最後まで元気に山を楽しんだ鈴木優香さん。キャンジンゴンパから気の向くままに歩いていたら、思いがけずランタン山群から流れ出る氷河が見えて、生まれて初めての光景に感極まっていた。“答え合わせ”をするのではない山歩きを心底楽しんでいた。背景の雪山がランタン山群。

森と花、山と人々の暮らしを巡るネパール・ランタン谷往復コース

ヒマラヤ_登山マップ
カトマンズから車で約7時間かけて登山口のある村、シャブルベシヘ。ラマホテル、ランタン、キャンジンゴンパと3つの村に滞在しながらランタン谷を遡っていく。標高差は約2,500m。一日の歩行時間は8時間ほど。往復6日間で、日本出発から帰国までの日数(直行便利用)は11日間。
ランタン谷のアナザーストーリーとして映画監督・内田俊太郎が綴ったスペシャルムービーも公開中。