長野県〈諏訪大社〉に聳える御柱の秘密を、建築家・宮本佳明が考察する

現代に生きる我々を魅了してやまない古の匠が作った古建築の見方、歩き方、楽しみ方を案内します。

初出:BRUTUS No.862「建築を楽しむ教科書」(2018年1月15日発売)

photo: Kenya Chiba / illustration: Yoshifumi / text: Naomi Shibata

原始信仰を色濃く残す御柱と山。御柱と建築の関係を考察する

「諏訪大社に見られる、建築の起源的なものが気になるんです」と建築家の宮本佳明さん。

諏訪大社は南アルプスと八ヶ岳連峰などに囲まれ、諏訪湖を挟んで2社4宮立つ神社の総称。数えで7年ごとに式年造営御柱大祭(通称・御柱祭)が行われ、各社殿の四隅に「御柱」と呼ばれる樹齢約200年のモミの巨木を引き立てることで有名。写真の御柱は2016年に建てられたもので、白木の雰囲気が真新しい。宮本さんは、その御柱そのものに注目する。

長野〈諏訪大社〉上社前宮の二の柱と三の柱
上社前宮の二の柱と三の柱を見る。諏訪大社は山や樹木を御神体として崇拝する原始信仰の特徴を色濃く残している。御柱も巨樹信仰とされる。

「実は、御柱は5丈5尺(約16.6m)の一の柱から、4丈の四の柱まで5尺ずつ短くなっていることをご存じですか。上社本宮、下社春宮、下社秋宮は、拝殿と御柱の距離が離れており、一度に視認できるのは一の柱と二の柱のみ。御柱のダイナミズムを間近で感じられるのが、唯一、上社の前宮なんです」

御祭神が最初に居を構え、諏訪信仰の発祥の地と伝えられている上社前宮は、最近ではひそかにパワースポットとしても人気を集めている。山の麓にひっそりとある前宮は、こぢんまりとしていて、素朴ささえ感じさせる。4宮で唯一、本殿を囲む4本の御柱を間近で見られる、始原的な趣を残した宮だ。

「諏訪大社の御柱は、遠野や対馬地方に残る、水平に持ち上げた丸太を笠木とした鳥居と起源が一緒だと思うのです。さらに、これは私の推論ですが、この御柱の延長線上に、法隆寺五重塔などの心柱があると解釈できます。つまり、宗教的な理由で柱を建て、単なる雨よけで裳階(もこし)(軒下の庇(ひさし)状構造物)をつけていったら塔になっちゃった。直接構造に関わらない心柱は、もともとは御柱のような宗教的な意味合いの柱が起源で、それが根腐れた結果、宙に浮いてしまったのではないかと」

長野〈諏訪大社〉外観
四方を囲む御柱のうち、手前に一の柱、二の柱、右後方に四の柱が確認できる上社前宮。鳥居から階段を上り200mほど上に位置する。本殿は1932年に伊勢神宮の古材で建てられた。

ほかにも、「複雑な参拝路と幣拝殿の向きに、廃仏毀釈の名残が見える」という上社本宮や、建築様式が似ているがどこか違う趣の下社春宮と秋宮の拝殿など。諏訪大社には、御柱以外にも意外な見どころが潜んでいる。

上社本宮の参拝経路の謎

「現在のくねくねとした参拝路や幣拝殿の向きはほかの3宮の御柱の位置からしても不自然。神体山を背にしていた社殿が神宮寺の興盛や廃仏毀釈による取り壊しなどのたびに変えられてしまったのでは」とは宮本さんの推論。

竹田嘉文 イラスト

似て非なる、下社春宮と秋宮の社殿

同じ絵図面を基につくられた春宮(1780年完成)と秋宮(1781年完成)は当時の技術の粋を競った。社殿構造は同じだが春宮の片拝殿は幅が狭いなど微妙に違う。違う流派が競って彫った拝殿の宮彫りの流麗さも見事。