「まさかアーティストの杉本が農家になるとは。そう思ったでしょう?」と杉本博司さんが言う。そうなのだ、世界的な現代美術作家であると同時に、建築家、茶人、古美術蒐集家、能や文楽の演出家と多彩な顔を持つアートの巨人はここ数年、「柑橘山」と名づけた小田原市江之浦の丘で、ミカンを育てているのである。
「柑橘山のミカンは甘味も酸味もしっかりあって味が濃い。おいしさが体に染み渡る味なのです」杉本さんが江之浦に約1万坪の敷地を得たのは2009年。目的は公益財団法人小田原文化財団を設立し、日本文化の発信拠点となる文化施設〈江之浦測候所〉を開設することだった。ところが、一帯に広がる耕作放棄地を見て愕然とする。
「ここはかつて柑橘栽培で栄えた地域。建築家ブルーノ・タウトが東洋のリビエラと称えたほどの景勝地です。それなのに後継者不足ですっかり荒れてしまっていることを、私はどうにも見過ごせなかったのです」
江之浦測候所の計画と同時に、「ヘビかトカゲしか入れぬような藪だらけの丘」になっていた柑橘畑を何としてでも再生させようと決意。農業法人〈植物と人間〉を起こし、地元農家の協力を受けながら、農薬不使用の柑橘栽培をスタートした。
古代人が食べた柑橘はどんな味だったんだろう。
「植物と人間、あるいは農業と文明。その関係を考えるならば、私はまず、人類が猿から人になった時のことを思います。その時人間が手に入れたのは、おそらく自意識と時間の概念。自意識の芽生えによって、外界が心の中に反映されるようになり、人は洞窟に牛や馬の壁画を描いた。文明の始まりです。
また、春に種を蒔けば秋に実がなるという時間の概念は、農耕の始まりと関係があるでしょう。古くは2000年前にあったという棚田に至っては人間が自然に働きかけて形成した完璧なアートです。彫刻のように美しいし素晴らしい。でも一方でこれらは、本来の自然を人間が壊し、手を入れて“人工の自然”に作り変えてきた歴史でもあるのです。過剰に手を入れた結果、今、世の中のあちこちに綻びが生じている」
ではこれからの植物と人間は、どんな関係を築いたらよいのだろう。杉本さんいわく「昔の農耕社会に戻るのも悪くないと思います」。例えばそれは、自分たちが食べる野菜や果物を、必要な分だけ作って無駄なく消費すること。地域の人が集まって知恵を寄せ合うような、小さなコミューンを築くこと。
「諸行無常といいますか、物事がすべてうまくいくことなどこの世にはないのです。台風が来たらリンゴは落ちるし、おいしいミカンが実っても野生の猿が食べてしまう。そういうどうしようもないことも受け入れながら、欲張らずコントロールしすぎることなく、植物と付き合いたい」
そんな杉本さんの考えに共感し、柑橘栽培に尽力してきたのが、若手建築家の磯㟢洋才さん。「勉強のためにさまざまな土地の柑橘を調べたら、形のいい果実を大量に実らせるため、樹形を強制的に変えているケースも多かった。ただ、たくさん採れて見た目はきれいでも、そういうミカンは味が薄くておいしくない。なので柑橘山では、もとの樹形を生かしながら剪定も最低限にとどめ、木にストレスをかけない育て方をすることに決めました」
晩柑、ゴールデンオレンジ、日向夏。清見、甘夏、早生みかん。農薬を使わず草刈りも人力で行うから手間はかかるけれど、20種類ほどの柑橘は、どれも甘くみずみずしい。
「今、敷地内に計画しているのは柑橘のドリンクや食事を楽しめるカフェスペース。まずは〈江之浦測候所〉を訪れた方に、柑橘山の柑橘を知ってほしい。そしていずれは地域の農家と協力して、草刈りや収穫から調理して食べるところまで、広い意味での農業体験ができる拠点にしたい。それが目標です」(磯㟢さん)
自然に敬意を払い、十分な時間をかけ、小さな単位で行う農業が、見直されるだろうと杉本さんは言う。「日本の柑橘の原種は『古事記』や『日本書紀』にも登場した橘だそうですよ。古代人が食べた野生のミカンは、どんな味だったんでしょうね」