ヒトとはなにかに目覚める
動物SFの金字塔とも言える映画『猿の惑星』シリーズの最新作『猿の惑星/キングダム』が2024年公開された。今から半世紀以上前の1968年に公開された第1作は、猿に人間が支配される世界を描いて鮮烈な印象を残したが、最新作はどんな驚きをもたらしたのか。手話ができるメスゴリラが、夫の銃殺事件で裁判を起こすSFミステリー小説『ゴリラ裁判の日』で、メフィスト賞を受賞した作家の須藤古都離さんに、本作を分析してもらった。

「今作は“シリーズ完全新作”と銘打っていて、たしかに最初の作品とは違う趣でした。68年版の公開は東西冷戦中。核戦争が起きた場合、我々人類は滅びて猿に支配されるかも……という恐怖には一定のリアリティがあり、そこがホラーSF的でした。しかし最新作はSFというジャンルから、あえて一歩踏み出している。どちらかというと『スター・ウォーズ』に近い気がしました。
“SW”って実は、SFというよりはスペースファンタジー、もっと言うと神話的じゃないですか。ルーク・スカイウォーカーが旅に出るように、本作でもチンパンジーのノアが冒険をする“ヒーローズ・ジャーニー”という物語構造に忠実なんですよね。とはいえ、終盤では人間が絡んできて、猿以前の世界もほのめかされる。SF的モチーフは次作以降で前景化されるのかもしれませんね」
類人猿
『ゴリラ裁判の日』では、ゴリラの争いを好まない優しい性格や、意外とナイーブで腹を下しやすい性質が描かれたが、『猿の惑星/キングダム』のゴリラ描写はどうか。

監督:ウェス・ボール/2024年公開/人類は退化し、各種の猿が王国を築く“今”から300年後の世界を舞台にした“『猿の惑星』シリーズ完全新作”。鷹を操るイーグル族のチンパンジー・ノアは、独裁者のシーザーに奪われた家族と仲間を救うため旅に出る。
「映画自体は楽しく観たんですが、ゴリラやボノボへの認識は半世紀以上前で止まっている気がしました。現実的な描写よりも、一般的な観客の“ゴリラは乱暴そう”という先入観や、屈強な見た目に頼ったキャラクター造形を優先していた。僕の小説は、京極夏彦さんに“ゴリラだったから、この話ができたよね”と言っていただけたのですが、たしかにその通りなんですよ。ゴリラの争いを好まない優しい性格を再現したからこそ、暴力的な描写を減らし、理性的なやりとりに終始できた。
リアリティという点で付け加えると、ゴリラの主人公・ローズの感情の動きに、読者が共感できるように気をつけましたね。僕の狙いはゴリラを通して“人間とは何か”を考えることでした。だからゴリラが何を思うかを想像するより、ゴリラが人間と同じ感情の動きをするとして、それは人間なのか?という問いを投げかけたかった。なのでゴリラの心情もあくまでも人間として書きました」
異種の視点や体によって人間を逆照射するSF作品
『ゴリラ裁判の日』は、SF漫画『ダーウィン事変』と比較されることが多いという。人よりも知能が高く、チンパンジーよりも腕っぷしの強い「ヒューマンジー」が主人公の同作について須藤さんは「動物の権利問題のようで、実は人間を描いていて、僕の小説とテーマが近い。この先が楽しみですね」と語る。さらに異なる生物を描くSFの魅力は人間のオルタナティブなあり方を探れる点にあるという。
チンパンジー

「ロバート・J・ソウヤーの小説三部作“ネアンデルタール・パララックス”は、クロマニヨンとネアンデルタールのそれぞれが生きる平行宇宙が交錯する物語。僕らが生きるこの現実は、無限の可能性の一つにすぎないことを示し、別の“今”を想像させます。
ネアンデルタール人


左から/『ホミニッド─原人─』、『ヒューマン─人類─』、『ハイブリッド─新種─』
いずれも著:ロバート・J・ソウヤー/訳:内田昌之/2005年邦訳発表/ネアンデルタールが進化した宇宙と、ホモ・サピエンスの宇宙がつながる三部作。1作目は2003年にヒューゴー賞長編小説部門受賞。「異なる種族でも共通の感情を持つ点で『ゴリラ裁判の日』でも意識しました」
『三体』の作者・劉慈欣(りゅうじきん)の小説『白亜紀往事』も、恐竜とアリが共生して高度な文明を築く話ですが、同時に人類史との相似になっているのが面白いです。AIの発展で人類のあり方が変化していく今、動物や異種の視点から人間のあり方を再考するSFが新鮮な刺激をもたらすでしょう」