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奥山由之、スティーブン・ショアに会いに行く。日本の写真家が、老賢人を訪ねてNY州へ

日本の写真家が、老賢人をNY州に訪ねた。スティーブン・ショア、71歳。奥山由之、28歳。いずれもその類い稀な才能を10代で世に轟かせた、元・天才写真少年たちだ。ここハドソン・バレーで、両者の対談がついに実現した。

photo: /Yoshiyuki Okuyama / text: Mika Yoshida / moderator: David G. Imber

マンハッタンから車で北上すること約2時間。風光明媚なティボリの町に、スティーブン・ショアの自邸がある。ガーデンには妻ジンジャーが丹精込めて育てた草花が茂り、家の中からは来訪者を察した飼い犬のはしゃぎ声が聞こえてくる。玄関が開き、現れたのはショアの柔和な顔だ。「遠いところをようこそ」。東京から会いに来た写真家、奥山由之をスタジオへと招き入れた。

奥山由之

先日、テート・モダンで『アメリカン・サーフェセズ(以下AS)』の展示を拝見したところでした。

スティーブン・ショア

ありがとう。

奥山

あの作品について考えを巡らせていたので、お会いできてとても嬉しいです。ASでは35mmカメラでスナップ的に撮影していますね。

ショア

はい。素人が芸術性を意識することなく撮るのがスナップですが、たまにハッとするほど「生々しい肌感覚」を持つスナップに出会うことがあります。そうした素人写真に強く惹かれる私は、同じものを自分の写真で表現したいのです。一つのやり方は、まず形式です。

奥山

1972年、ライト・ギャラリーで催したASの初展覧会では、ポストカードサイズでグロッシーなプリント200枚以上を展示しましたね。

ショア

ええ。額装もせず、コダックのプリントを直接壁に貼り付けるというやり方で。そしてもう一つは、本質としてのスナップ写真。私が長年目指してきたのは、いわばカメラを持ち上げた時に誤ってシャッターを切ったような、作為のない写真です。私が蒐集している観光地の絵ハガキにも通じる、撮り手の意思がまるで感じられないスナップを生み出したいのです。

奥山

ASでは対象への注視というよりも、表層を等価に捉えている印象を受けます。

ショア

それは私が「どう見てもらいたいか」ではなく「あるがままに、どう見えているか」を追求しているからでしょう。写真というファインアートを通じた体験ではなく、写真を通じたナマの体験を感じ取ってもらいたいと常に願っています。

2017年にMoMAで回顧展を開いた際、初期の作品を見返す中で再発見がありました。それは14歳の頃から今に至るまで、自分は一貫して「何の変哲もないふつうの情景」を見つめ続けてきたという事実です。ちなみに『アンコモン・プレーセズ(以下UP)』の初版本では、建築家ルイス・サリヴァンの文章を添えています。「注意を払い続けることこそが、人間の力の根源である」で始まる名文です。

奥山

食べ物を撮影した写真もASには多く掲載されていますが、その多くがおいしくなさそうに写っています(笑)。

ショア

そうですか(笑)。

奥山

それはやはり風景・人物・食べ物・トイレといったものをすべて等価値に捉えるために、あえて個人の意思を排し、そうなっているのでしょうか?

ショア

マズそうに見えるのは、当時のアメリカの食事が実際マズかったからです(笑)。私は毎年夏、ここNY州から西部のモンタナ州の自邸まで、車で旅します。1日12時間も運転しながら、何日もかけて。

アメリカ大陸の大半は1970年代から変わらない街並みで、1950年代から時が止まったような場所もあります。古いままのこの国で、近年一つだけ格段に向上したものがあります。そう、食べ物です。アメリカがようやくおいしいものに目覚めたのです。ASのフード写真はそれ以前ですからね。

奥山

ちなみにマズそうな食べ物は、おいしそうな食べ物よりも断然印象に残るんだな、と思いました。

ショア

ふむ(笑)。

奥山

そういえばショアさんの写真で、ブレたりボケているものを見たことがありません。意識的に避けているのでしょうか?

ショア

その通り。なぜならブレている画は「私が見ている世界」とは異なるものだから。人の目は、何かを見ると瞬時に焦点を合わせるため、ものがブレたまま見えたりはしません。たまに被写界深度を浅くして撮ることもありますが、私が写真で提示するのは、あくまで「ものの見え方」なのです。

写真家・スティーブン・ショア
愛犬を脇に抱えて、出迎えてくれたスティーブン・ショア。教鞭をとるバード・カレッジも程近いティボリという町に住んでいる。

文化の「体験」にこそ惹かれる
自分がいたのです。(ショア)

奥山

大判のカメラはセットに時間がかかるものですが、セットしている間に瞬間を逃すことはありますか?

ショア

ほぼないですね。なぜなら目の延長のような35mmを扱うのと違い、大判のカメラを使う場合、あらかじめ頭の中で画を完全に作り上げておかないと撮れないからです。私の場合、セッティングの前にはすでに写真が決定しているのです。

奥山

僕の場合は機材によって、対象へのアプローチも大きく変わります。小さくて機動性のいいカメラを持っていると、パッと撮ってしまう。それに対し4×5のようなカメラでは、1枚を撮るまでに相当時間をかけます。

ショア

私の場合は時々イエス、時々ノー。ASはローライ35のみ、UPでは8×10ほか4台で撮りました。なぜ移行したか?UPを撮りだしたのは、ASの制作中に出会ったものをより深く追求したかったから。手法やビジュアルを究めること、そして何よりアメリカ大陸をもっと探検したかったのです。

車で町から町を巡り、この国の素顔と文化に出会うロードトリップを続けながら、ビジュアル・ダイアリーを作りたい。眠ったベッド、食べたもの、出会った人々や店の窓、住まいや建物をくまなく記録し続けました。しかし日々これを反復する中で、やがて文化の「体験」にこそ惹かれる自分がいたのです。写真そのものではなく。

奥山

それで35mmから大判に?

ショア

はい。大きい方が、私の「体験」が伝わりやすくなるだろうと。最初は35mmのプリントを大きく焼いてみましたが、当時は質が悪すぎました。そこでまず4×5を1年使い、続いて8×10に切り替えたのです。私の手順はこんな具合です。

新しい町に着くと車を降りて、徒歩でロケハンする。ここぞと決めた場所に目印のコインを置き、次のカットを探します。コインの場所に三脚を立て、8×10で次々撮っていく。カメラの性質に慣れるまでは場所やアングル決めに30分近くかかったものですが、それも最初だけのことでした。

そうそう、カメラで写真が変わるというと、これはご存じですか?(隣室からミッキーマウスのカメラを持ってくる)

奥山

ミッキー・ア・マティックですね、もちろん!

ショア

当然といえば当然ですが、ミッキーのカメラで撮ると、被写体が笑ってくれますね。

奥山

わかります、実は僕もこれで撮ることがあるんです。(と「写ルンです」を取り出す)

ショア

おお(笑)。

奥山

あなたは6歳から暗室作業を始め、14歳でMoMAのエドワード・スタイケンに写真を買い上げられ、17歳でアンディ・ウォーホルと作品を制作し始めます。たいへん若くして頭角を現されたわけですが、当時、ほかの写真家と自分の決定的な違いは何だと思っていましたか?

ショア

特に考えたことはないですね。ASなどは、批判の集中砲火を浴びたものです。だが、世間の評価がどうあろうと、気にすることはありません。批判の一方では、メトロポリタン美術館の写真部長ウェストン・ネフが私の展覧会を催し、全作品が収蔵されていますし。

奥山

23歳の時ですね。僕は19歳でキャリアをスタートさせたのですが、モチベーションの浮き沈みは多少感じます。「この先、モチベーションを維持して撮り続けられるだろうか……」といった不安を覚えたことは?

ショア

初期は一切ありませんでした。

奥山

そうなんですか。

ショア

仕事は次々舞い込むし、全米芸術基金やグッゲンハイムの助成金も得ました。建築家ロバート・ヴェンチューリから受けた仕事のギャラで全米横断の旅を1回分まかなったものです。ですが80年代初頭のこと……。

奥山

はい。

ショア

ちょうど長男が生まれた頃です。ジョージア州サヴァンナでロケをしていました。完璧な写真が撮れている手応えはありました。だが撮りながら常に湧き上がってくるはずの「問い」が、なぜか一切出てこない。これには焦りました。初の挫折です。だがこれは作家としての停滞ではなく、次のステップに向かう準備が整った証しでした。そうと教えてくれる先輩が身近にいなかっただけの話です。

写真家のキャリアにはいくつかのステップがあります。まず最初は技術を極めること。機材やテクニックが血肉となるまで修練します。野球や楽器演奏、また中西部の人々の拳銃さばきにも通じるものがありますね。技を極めれば、彼らは獲物を見なくても一発で仕留めることができるのです。

写真家・スティーブン・ショア、奥山由之

パーソナルな感情や、身の回りのことに
フォーカスしています。(奥山)

ショア

盟友ウィリアム・エグルストンがノーファインダーで撮るのも、同じこと。彼は趣味で狩猟をたしなむメンフィスの人で、まるでショットガンを撃つように撮ります。写真もショットガンも、型を完全に会得したら、次の段階でまた修練を積む。

無造作に撮っているようで、実は緻密に創られた写真が撮れてくる。無作為な写真を「作為的」に生み出せるようになります。その上にもまたさらに、次のステップがあるのですが。

奥山

先ほどエグルストンの名前が出ましたが、グッゲンハイム・フェローを1975年に受賞された時、エグルストンから祝電が届いたそうですね。どんな文面でした?最近も会われていますか。

ショア

「このたびはおめでとう」という簡素なものでした(笑)。若い頃はメンフィスからニューオーリンズまで一緒にロードトリップしたものですが、近頃はご無沙汰です。写真家として今も変わらず尊敬しています。

奥山

ライバルの存在は大きいですか?写真を撮り続けることにおいて、最も大切にしていることは何でしょう。

ショア

一つ例を挙げましょう。私はベルリンの故ミヒャエル・シュミットの写真が好きです。彼は縦位置で撮る人で、片や私は横位置の写真家。ASは100%、UPも95%横位置です。しかしミヒャエルに感化され、縦位置にチャレンジするようになりました。横位置から離れてもう何年にもなりますね。

奥山

そういえば、ショアさんはインスタグラムでも横位置の印象はないですね。

ショア

横位置でもアップできますが、あえて真四角で。なぜなら「インスタの基本フォーマット」という制約の中で、創造的な自由を見出したいからです。詩人にとっての、定型詩や俳句のようなものでしょうか。

奥山

過去の自分の作品を見て、長い年月写真を撮り続けることで、逆に今はもう撮れなくなってしまった写真はありますか。僕は最初の写真集『Girl』を今見ると、当時なぜこれができたのか不思議に感じてしまう。撮影手法も構成も、今の自分では避けてしまいそうなことに全力で取り組んでいるんです。

ショア

おっしゃることはよくわかります。私の場合はまた異なっていて、例えばUPを撮っていた時は、ASでやったことに完全に興味を失っていました。過去作品を見たいと言われてもASを出さなかったほどに。

UPには8年費やしましたが、3年目にさしかかったらそれまで撮った写真にもう飽きてしまった。絶えず前進し続けるので、一歩前でも古く思えて興味を失い、写真を撮る上で大切な「問い」が湧き上がってこなくなるのです。私は自分のスタイルや手法を繰り返さない。インスタでも、花や街並みなど似通ったパターンを何度か投稿したら、パタッとやめます。私にとって大事なのは「たった今」だけ。

しかし、どのフェーズもかけがえのない段階ということを、長い時を経てようやく理解に至りました。自分の初期作品を今振り返り、すべてに満足できる自分がいます。

奥山

自身の作品と、社会問題や歴史との接合について、意識することはありますか?近年、ウクライナで撮られたホロコースト経験者のシリーズは顕著ですが。意識的に社会問題や歴史と紐付けることなど、ありますか?僕の場合、やはりパーソナルな感情であったり、自分の身の回りに起きていることにフォーカスする傾向があるのですが。

ショア

込むことなく、写真を通じて(政治・社会的メッセージを喚起しやすい土地の)文化を語るのは可能だと思うのです。ちょうどASで世の中の表層を等価、つまりイコールに捉えたように。写真に社会的メッセージをにおわせるのは、私のやり方ではありません。

奥山

晴れの日の写真が多いのには、何か理由がありますか?

ショア

クリアな気持ちになれるから。写真が隅々まで見えること、強い自然光でくまなく照らされていること。スカッと明瞭に見えるのが自分には重要です。

奥山

これまでアジアを撮っていないのには、何か理由が?

ショア

旅の体験を存分に味わいたいから。バンコクの寺院を観光で訪れた際、どんな構図が良いか真剣に考え込んでいる自分に気づき、ハッとしました。私はここに「体験」しに来ているのに、何も目に入っていないじゃないか、と。

シャネル・モバイルアートの仕事などで日本も訪れました。が、面白い土地を旅行する時には撮りません。写真が欲しければ写真集を買えばいい。何かの記念で写真を撮る、という発想もありません。「ほら、息子の誕生日だから!」と妻に催促されても、意味がわからない(笑)。

奥山

写真は毎日撮っているのですか?

ショア

ほぼ毎日、これ(スマホ)で。今の私は、撮る際に一切何も考えません。そこにある画を、無心にただ撮るだけです。

奥山

今日はお話ができて光栄でした。

ショア

わざわざお越しいただき、こちらこそありがとう。

写真家・スティーブン・ショア