ずっと“音楽の僕”であるということへの表明のような歌詞、普通書けないです
リリース前に新作を聴かせてもらえるなんて、めちゃくちゃ贅沢ですね。ありがとうございます(笑)。ジャケットも最高じゃないですか?これぞニッポンのロックンロールバンドという感じのインパクトで。アルバムを一聴しての感想は、「これぞ僕の好きなサザン!」でした。
前作『葡萄』は少しメッセージ性の強い“年齢を重ねたサザンの作品”という感じで聴いていましたけど、今作はなんというか、時空を超えているような、間違いなく現代のサザンなんだけど、どの時代のサザンとも言い切れない感じが好きですね。
アルバムの雰囲気で言えば『さくら』よりも先に進んでいるけれど、『キラーストリート』より前な感じもあって、『葡萄』よりも進んでいながら『葡萄』の次の作品という感じはなくて……伝わりますかね(笑)。
70年代、デビュー前に作ったという「悲しみはブギの彼方に」が入っているのもその感覚を後押ししているのかもしれない。普通なら「悲しみはブギの彼方に“2025”」とかにして「髪の手入れは リンスにシャンプー」という歌詞も「コンディショナー」に変えたくなりそうなもんじゃないですか。それを「リンス」のまま歌うのも素敵。

やっぱり今作は時空を超えた音楽、時空を超えたサザンという感じ。もう、桑田さんに言っといてくださいよ。「永野が感動してました」って(笑)。
「夢の宇宙旅行」の歌詞には「Iggy Pop(イギー・ポップ)」まで出てくるし、「目の前に大谷翔平のサイン」なんてこれもう、“今”を衒(てら)いなく言葉にするヒップホップのリリック感覚ですよね。後世のことまで考えてないんですよ。
『稲村ジェーン』の「東京サリーちゃん」にも当時、同じようなことを感じたんです。東京ドームができた頃だったから「Tokyo-Dome」ってワードをあえて入れてるんじゃ?とか。固有名詞の入れ方のセンスが、一見ふざけてるみたいなのにすげえなって。長く愛される普遍的な名曲にしようとか、そんないやらしい気持ちがまったくないんですよね。その感覚がラッパーに近いなと。
ケンドリック・ラマーの「Not Like Us」じゃないですけど、とにかく“今”をファイルするマインド。後世のことまで考えて作るなんて、そんな貧乏くさい考えを持たないのが桑田佳祐なんですよ。
最後の「Relay〜杜の詩」もいいですね。特に「馬鹿でごめんなさい」っていう歌詞。真意はわからないですけど、桑田さんがそれを言う感じ、なんだか泣けちゃうんですよ。常に音楽の下にいる、ずっと“音楽の僕(しもべ)”であるということの表明のような気もして、その驕りのなさがすごいなと思います。これ普通書けないですよ。
あと僕的には、桑田さんは変に体を鍛えたりせずに、すらっとしたままなのもいい。無駄に盛って見せたり、自分を大きく見せたりしようとしない、等身大なままで音楽を奏でている感じがかっこいいなあと、いつも思います。
Hit Me Lyric
馬鹿でごめんなさい
「Relay〜杜の詩」より