このブルータス版では、『そういうことか新聞』から4つの代表的コーナーを紹介。
4コマならぬ「nコマ漫画」、日々の観察の組写真「Photopico」、文字数自由な随筆「小石文庫」、意外と通じる「ギリ分かる言い間達い」。さあ、お楽しみを。
遊びの「発明」
スペインのサン・セバスチャンという町に、そこで開かれる映画祭に招待された時のこと。
旧市街を昼下がり、歩いていると、一人の少年が何故か建物の壁に向かって、さかんにボールを投げている。それがやけに嬉しそうなのである。
近づいて、よく見ると、建物の壁というよりも、歩道に面した何かの囲いの向こう側にボールを投げ込んでいる。囲いは少年より、ずっと高くて、向こう側は見えない。何故?何のために?
そして、ボールが無くなると、囲いの裏に回り、ボールを拾ってきては、また投げ込むのである。ひとつ投げては、今度は、また別の方向に、当てずっぽうのように投げ込む。もう夢中なのである。
それにしても、この嬉々とした表情、この弾けるような動きはただならない。
長旅の疲れも忘れ、好奇心の塊となった私は囲いの裏に何があるのか、ぐるっと回ってみた。すると、そこには…
囲いの裏には、表通りからは姿の見えない女友達(あるいは兄弟)が、いたのである。彼女たちは、どこから飛んでくるか分からないボールに戦々恐々としていた。さっきは、こっちからだったから、こんどはあっちからかも。
はたして、ボールはどのあたりから出てくるのか。
「しっ、声を出しちゃだめよ。私たちがいる場所がばれちゃうじゃない」
片や、通りの少年は、「あの二人がいるのは、このへんだ!」と言わんばかりにボールを投げ込む。
「わあ、きたわよ!」
なんて楽しい遊びなんだろう。見ているだけで、子どもたちが享受している喜びが自分の内にも起こってきた。見えない相手の居場所を想像して、ボールを投げ込む。はたして囲いの向こうではどんなことになっているのか。一方、囲いの内側では、自分のいる空間に突如現れるボール。このロケーションから生まれた新しい遊びをこの少年少女は、全身で楽しんでいた。
私は、彼らが享受しているこの楽しさが、ビデオゲームやテーマパークがもたらすものとは異なる質であることを直感した。そう、この子どもたちが受けていた楽しさの本質は、「発明」というものが与えてくれる喜びだったのだ。
『そういうことか新聞』BRUTUS版、いかがだったでしょうか。こんな感じで、毎号、いろんな「なるほど!」とか「うふふ」を届けています。ある時は漫画家、ある時は随筆家、ある時はカメラマン、さらに、ある時は編集長。そんな私は、息が切れつつも、楽しんでおります。
See you soon !(佐藤雅彦)