Visit

野村訓一と行く、ビッグ・サー/カリフォルニア州〜後編〜

ロサンゼルスとサンフランシスコという大都市を抱えるカリフォルニア州。そこに昔ながらの美しい自然を見せる小さなコミュニティが存在する。 ビッグ・サー。人を寄せ付けないような荒々しい海岸線と森に包まれたその場所は、いまだに携帯さえほぼ繋がらず、大規模なホテルすら存在しない。何も特別なものが存在しないのにもかかわらず、アメリカ中から憧れの場所として人を惹きつけるこの地の魅力を確認するために、僕らはクルマで旅に出た。 前編の「野村訓一と行く、ビッグ・サー/カリフォルニア州〜前編〜」も読む。

Photo: Yoko Takahashi / Text: Kunichi Nomura / Coordination: Aya Muto

最初の夜はビッグ・サーを訪れるならば一度は泊まるべきだという〈ディージェンス・ビッグ・サー・イン〉。
ノルウェーからの移民であった夫婦がここの森で伐採したレッドウッドを製材し、手作りで建てたというキャビンが立ち並ぶ博物館ものの古宿だ。


どれ一つ同じデザインの部屋はなく、そして入口に鍵もない。すきま風が吹き込み、隣の部屋と隔てる壁は文字通り板一枚で、話し声やら床のむ音も聞こえる。寒くなれば部屋に備え付けの暖炉に自分で薪をくべる。
テレビもWi-Fiもドアのカギすらない(そもそもビッグ・サーでは携帯さえほとんど繋がらない)。自分で焚いた暖炉の深い炎と隣の部屋の話し声を聞きながら僕はいつしか眠りに落ちていた。

ビッグ・サーの海岸
何も予定をいれず流れにまかせる、それがビッグ・サーの正しい過ごし方。森で読書をし、海辺を散歩し、星を眺め一日を終える。何もないことの豊かさ。そんなシンプルなことを体感するのは都会暮らしでは難しい。その機会を求めて、人はビッグ・サーへとクルマを走らす。

朝起きると〈ビッグ・サー郵便局〉の前に行く。
このあたりは微弱な電波がかろうじて飛んでいて、携帯でとりあえずメールをダウンロードする。あとは返信だけを書いておいて、夜またここに戻ってきて送信すればいい。


思えば20年前の海外旅行も似たようなものだった。不便ではあるけれどそれで十分ことは足りる。宿の人も言っていた。
「サンフランシスコからIT系の人たちがたくさんここには来るよ。何をするわけでもなく、ただここでのんびりしながらデジタル世界からちょっと離れる。それがどんなに心を休めることか。僕らの宿もホームページはあるけれど、基本的には予約は電話で受けているよ。それで十分なんだ」これ以上の説明はない。
うんうんとそれに頷きながら、僕らは森をトレッキングしにでかけた。

レッドウッドの森
ネイチャーガイドのフレッチャーとトレイルウォーク。


ビッグ・サーに暮らしていたというネイチャーガイドのフレッチャーの説明を聞きながらともに標高差のあるトレイルを歩く。

レッドウッドの森にはいろんな花や草木が芽吹いていて大きく深呼吸をするたびにその匂いの塊が肺の奥まで入ってくる。
何か特別な目的地があるのではなく、ただ呼吸をし、あたりを眺めながら小休止し、再び歩く。頭の中がどんどん空っぽになっていく。IT系の人間ではないけれど、彼らのいう心の安らぎを理解したような気がした。

ハンター・S・トンプソンがこの地に焦がれた理由。

翌日、海岸線を走り、かつて陸路がない時代に唯一の物資の補給場所であった船着場跡の岩場を目指す。
清流が流れ込むその場所から崖上を眺めると僕の事務所に飾ってある写真を思い出した。崖の上に無造作に置かれた木製のデスク、そこにタイプライターを置いて執筆しているハンター・S・トンプソンのポートレート。


取材対象から中立な場所にいるのではなく、近づき一緒に時を過ごしながら主観的に書きまくるそのドキュメンタリースタイルはニュージャーナリズムの中でもゴンゾースタイルと呼ばれて一世を風靡した。

バイカー集団ヘルズ・エンジェルスのルポで名前を売ったからか、それとも飲む、打つ、買うのロックンローラーなライフスタイルが受けたからか、不良のファンも多いハンター。


そんな彼がそのキャリアをスタートさせるころに居を構え、執筆に没頭したのもビッグ・サーだった。
なぜ若いハンターがこの地に移り住んだのか理由はわからない。そしてそのわけをずっと知りたいと思っていた。携帯もメールもない中で、景色を眺め、風の音に耳を傾けていくうちに、たった3日ほどの滞在でもなんだかその理由がわかったような気がした。

僕らの日常はやらなければならないこと、自分の欲望を満たすことでほぼまわっている。
休日ともなれば無理やり遠くに行くか、予定を詰め込んで使った費用と時間の元を取ろうとする。普段と違う刺激を求めたり、見栄えのする場所に行くのももちろんいい。でも旅とはそれだけじゃないはずだ。

高くそびえるレッドウッド
どこまでも高く高く空を突き抜けるレッドウッド。

頭に浮かぶ煩悩やモヤモヤから離れ、そこに流れる自然な時間と環境に身を任せる。世界中がデジタルと、無数に伸びた航空路線で繋がっている。それが初めて止まった。難題が山積みの今も永遠ではなく、やがて世界はゆっくりと動きだすだろう。

その時にどこへ行くのか?消費するだけの場所?それとも人生において持つべき時間というものを気付かせてくれる場所か?ビッグ・サーは僕にその答えを教えてくれたような気がする。

中心地を持たないビッグ・サーを散策するために。

ビッグ・サーに訪れたら、ここにステイしなくてはならないともいわれるビッグ・サーの聖域。
ビッグ・サーの初期の雰囲気を今でも味わうことができる。


1930年代初頭にノルウェーからやってきたヘルムート・ディージェンが仲間たちとともに建てた北欧式アコモデーション。
土地のレッドウッドで建てられたキャビンは部屋ごとに構成や調度品が違うため、違う部屋を楽しむために訪れるフリーエンターも多い。クラシックスタイルのレストランも格別。

ディージェンス・ビッグ・サー・インの外観
1938年にビッグ・サーのレッドウッドを調達してセルフビルドで建てられた。
ヘンリー・ミラー・メモリアル・ライブラリーの外観
“where nothing happens”。いえいえ、いろんなことが起こるんです。ニール・ヤングのライブも。
ヘンリー・ミラー・メモリアル・ライブラリーの内観
ビッグ・サーの住人だったヘンリー・ミラーの資料なども閲覧できるが、過ごし方はそれぞれだ。
ビッグ・サー・ベーカリーの店内
これといった核がないビッグ・サーにあって中心地がビッグ・サー・ベーカリーのあるこのエリア。薪を使って焼き上げるパンを求めて朝から賑やか。
大人気のクリームドーナツ
マラサダのようなクリームドーナツは大人気。
レッドウッドの森
カリフォルニア州ビッグ・サーの位置
●アクセス/サンフランシスコまでは直行便で約8時間(復路は約11時間)。サンフランシスコからクルマで約3時間。ロサンゼルスからは約5時間。レンタカーは不可欠。
●通貨/1米ドル=¥107.7(2020年3月末現在)
●時差/−17時間。
●気候/ベストシーズンは3月~10月。
●渡航制限情報/感染症危険情報:レベル3(渡航中止勧告)。日本から米国への入国者は14日間の自主隔離。カリフォルニア州は現在外出禁止令発令中(2020年3月31日現在)