Learn

チームに必要なことは“多様性”。宇宙飛行士・野口聡一が考える、コミュニケーション術 〜後編〜

宇宙空間という極限環境に3度赴き、国際宇宙ステーションの閉鎖環境に通算1年近く滞在した日本人宇宙飛行士。現役引退した彼のもとに企業から舞い込む依頼は「コミュニケーションスキル」や「組織作り」という、ビジネスに直結するテーマの指南役という。不確実さが増す時代に有効な「多様性のあるチーム」は、どうしたら作れるのか?前編はこちら

photo: Jun Nakagawa / text: Hirokuni Kanki

サバイバルキャンプを通じて“想定外”に対応する力を磨く

NASAの訓練プログラムにはいくつかのレベルがあります。まず座学で基礎理論を徹底的に学ぶ。その後は、課題をチームに与えて解かせるグループ・エクササイズです。

初歩的な例だと「この条件で1時間以内に脱獄計画を立てなさい」といった内容です。もう少しレベルが上がると「月と木星の衛星を結んだ宇宙観光の航路上に“宇宙ホテル”を建造するプランを作りなさい」といった課題になります。現実にはまだ木星に行けるロケットも存在しないですが、使えるリソースはこれで、自分たちが持っている技術はこれだ、と仮定したときに何ができるかという議論を促すのが目的です。

次のステップでは、実際に自分の手を動かすアウトドアの研修があります。いわゆるサバイバルキャンプですね。短い訓練は1泊2日、最終的に1週間ぐらいの訓練をやりました。「A地点からB地点まで行きなさい。ルートや持参する道具も自分たちで決めてよい。予算はこれだけ」といった指示です。

巨大な発電機を持っていってもいいけれど、それを自分たちで運ぶので、今度は体力が制約条件になる。私たちはサバイバルのプロではないけれど、自然を相手に想定通りにいかないときも自分たちでなんとかしなくてはなりません。こうした訓練をチームでコミュニケーションを取りながらこなすと、実際のミッションで想定外の状態に対処する模擬訓練になります。

宇宙では、いろんなことが地上で想定されていた通りにはいかないもの。あり合わせの道具や手段で乗り切った体験も多いです。そういうときにチームでいかにフレキシブルに解法を考えられるかは重要でした。

本来、コミュニケーションは“しんどい”ものである

フォーミング、ストーミング、ノーミングを経たチームは、間違いなく強い。結果として、初めて多様性の意義が発揮されます。グループ・ダイナミクスのプロセスを経ないまま多様性に富んだだけのチームは、単に手間がかかる集団にすぎません。

日本ではどうしても対立期の手前で止まってしまうので、せっかくの多様性を生かせません。例えば、女性を管理職に登用したものの、あまりメリットが感じられないまま、その女性が男性管理職と同じようなことをするか、機能しないままチームが崩壊してしまうといった例が出るのは、対立期を避けるのが根本的な原因です。

新しいアイデアが欲しい、イノベーションが大事だと言うわりには、日本の組織は旧態依然としています。「話が通じないぐらい新しい人」を組織に入れないと、イノベーションは起きないでしょう。

正直なところ、日本人はコミュニケーションするより、わかってほしいし、汲み取ってほしい。言わずに動いてくれれば、それがいちばんだと思っている。阿吽(あうん)の呼吸だとか「空気を読め」みたいな言葉が日本社会でどうしても出てきます。

コミュニケーションは、しんどい行為です。相手に理解してもらうのもしんどいし、相手が言っていることをちゃんと理解するのも労力がかかる。それに応じて自分を変えなきゃいけないから、エネルギーも使います。でも、そのしんどさを乗り越えて、得られるものがあるはずです。

究極のリモートワークで見えたコミュニケーションの原点

宇宙飛行士たちは管制室と何度も交信しますが、そこではシンプルで間違いがないコミュニケーションが求められます。例えば「今、Bって言ったの?それともDって言った?」という聞き間違いが起きないように「ブラボーのB」「デルタのD」といった言い方を添えるのもテクニックの一つです。

宇宙と地上のようにその場を共有していないやりとりでは、コミュニケーションの精度は8割ほど落ちていると認識しています。なぜなら人間のコミュニケーションの8割ぐらいは非言語で成り立っているからです。仕草や目線などのちょっとした反応で、相手の理解度を確認しながら進んでいくわけですね。

最善のコミュニケーションとは、相手が目の前にいて、同じ空気と同じ時間を共有して話をすることです。しかし、宇宙で起きていることが管制官にはわからないし、地上で起きていることが宇宙飛行士にはわからないというとき、その場の雰囲気や付帯する情報がないことでコミュニケーションの質が落ちる。それによって必要のない対立が生まれることはあります。

それがWe-They Syndrome(*6)と呼ばれるものです。「俺たちがこんなに苦労しているのに、なんでわかってくれないんだ」とか「あいつらはこの状態を知らないからそんなことを言うんだ」という心理になってしまう。

これは、皆さんのリモートワークでも同じかもしれません。TeamsやZoomといった便利なツールを使える時代とはいえ、同じ場にいないことで抜け落ちている情報が本当に多いことを理解してコミュニケーションする必要があると思います。

その場にいないことで失われるコミュニケーションの精度を、この先メタバースなどのテクノロジーが徐々に埋めてくれても、絶対に埋まらないものがある。だからこそ丁寧なコミュニケーションや間違いがない言葉遣いが必要だし、相手に対する敬意をしっかり持つことが、ますます大切になるでしょう。

58歳、まだ宇宙を目指す私が今後リスキリングしたい分野

私は、コミュニケーションがただ相手を論破したり、口八丁手八丁でモノを買わせたりするテクニックにとどまってしまうのは、非常に寂しいと感じます。

そうではなく、相手に対する敬意を持った心のつながりを築くもの。最終的には、それがコミュニケーションだと考えています。青くさい言い方になってしまいますが、他者としっかり理解し合って、相手と違いがあるならば、その違いを尊重し合って、より良い社会を目指す。そんな未来へ進んでいける手段になればいいと思うんです。

そのためにも、人間をもっと知りたいですね。だから私が今いちばんリスキリングしたい学びは、行動経済学や行動心理学(*7)の知見です。まだ書籍や研修テキストをかじっている段階ですが、人々が、一見不条理に思えるようなことでも、ある種の法則に沿って行動しているということがわかって、とても興味深いです。

それを何に使いたいかといえば、「自分の人生そのものを豊かにするために」です。結局、それは自分を理解することになるし、相手を理解することにもなる。人とちゃんとコミュニケーションを取るということが、ゆくゆくは社会を良くするし、自分自身も良くしていく。つまり、自分が幸せになることにつながると考えています。

コミュニケーションには、もっと可能性がある。小手先のテクニックではなく、個人の夢と社会の理想が“共鳴し合う”ような、そんな未来を作るためのコミュニケーションにしたいものですね。