大奥という社会構造を借りて描く性別、血縁、そして家族という普遍
第1巻の帯で“SF大河ロマン”を掲げた、よしながふみさんの漫画『大奥』。江戸幕府3代将軍・家光の時代に生まれた大奥は、将軍の血を引く男子を産むために女性たちが集められた江戸城内の住居だった。そこを舞台にしながら、“男女逆転”という設定で江戸時代を描いた本作は2004年に連載を開始。完結後の22年には「第42回日本SF大賞」を受賞した。そもそもなぜ、よしながさんは男女の社会的役割を入れ替えた歴史改変SFに挑戦したのか。
「学生時代に、女王が国を統治するファンタジーを描いてみたいと思ったんですが、ゼロから世界を作り上げるのは大変で早々に音を上げまして(笑)。それからしばらく経ち、03年に放送されたドラマ『大奥』を観ながら、ファンタジーではなく実在した社会をベースにすれば、女性が国のトップとして働く設定の漫画が作れそうだなとピンときたんです。
また2000年代前半にはエボラ出血熱やSARSなどの感染症が流行していたので、男性だけ重症化するウイルスで男性人口が急減する設定なら、女性が当たり前に働く社会を描ける!と閃(ひらめ)きました。少女漫画で女性が権力者としてバリバリ働く物語を描くのは、爽快でしたね」
既存の社会構造と歴史SFの手法を掛け合わせて、「女性が当たり前に働く社会」を描いた本作だが、この試みは、よしながさんが抱えていた「男女の恋愛が描けない」という悩みをも解決したそうだ。
「今でこそ物語を作るうえで恋愛は必須じゃなくなり、社会的にも恋愛や結婚をしない人生もいい、という認識が広まりました。でも連載開始当初は、少女漫画のメインストリームはやっぱり男女の恋愛。“ラブが描けない”女性作家は、“はずれ者”だという自意識が強固でした。でも江戸時代で、しかも男女逆転という設定なら私もラブが描ける気がしたんです。やっと私も少女漫画の大縄跳びに入れる、と。
ただ、この作品では描けましたが、現実社会を舞台にした男女の恋愛はいまだに苦手なので、これは私の心の闇なのかも(笑)。BLというジャンルで、男性同士の恋愛でも苦労しましたが、男女の方がもっと大変でした。結局、現状の男女のあり方を肯定し切れない点に原因があるのかもしれません」
脈々と受け継がれてきた“少女漫画SF”の系譜
『大奥』は男性を死に至らしめる流行り病「赤面疱瘡(あかづらほうそう)」の蔓延により、男性人口が極端に減り、女性が社会の担い手になるという筋書き。前提となる設定は改変されている一方で、出来事や人物のディテールは基本的に史実に則(のっと)っている。
「女性が幕府の役職に就いているからといって、いわゆる女性っぽいキャラクターにするのは避けましたね。例えば9代将軍の家重は、史実でも障害があり、うまく話せない人でした。そのコンプレックスから酒と色に溺れた一方、有能な田沼意次を老中に起用したり、将棋も達者だったりと鋭いところもある。非常に多面的な人物なんです。
史実ベースのSFでなければ、こんなに複雑で魅力的なキャラクターにはならなかったでしょう。一方で赤面疱瘡のエピソードは完全創作。史実とフィクションのハイブリッドは描き手としても面白かったです」
大奥は言ってみれば、血族で世継ぎを作る「生殖システム」。江戸幕府は血の正統性を根拠に、権力を独占した。その安定の裏には「産む性」として集められた女性たちの存在があった。そんな歴史の暗部が男女逆転という設定で照らし出される。
「歴史の勉強として学んでいると“世継ぎに恵まれなかったら、相手を次々と乗り換えるのは当然”だと思ってしまいますよね。けれども、一人一人の心に分け入ると、そのシステムで傷ついてきた人たちの姿が見えてきます。どんな人にとっても、社会から切り離され、生殖だけを期待されて生きるのは辛いこと。そういう感情は男女に関係なく湧き起こり得るんだと気づきました」
大奥が支えた血族により260年以上保たれた徳川の権力構造だが、瓦解に際して新政府と相対したのは、徳川家に外からやってきた“血のつながりのない者たち”だった。
「明治維新で徳川の表舞台からの退場が決まったとき、江戸の町と市民を傷つけないためのソフトランディングに尽力したのは、瀧山や天璋院篤姫、和宮といった血のつながりの外にいる人々でした。最終的には血族を超えた“チーム徳川”で新政府に立ち向かう。16年かけてこの結末に辿り着いたことで、権力を握るうえで大切なのは血ではないのだという一応の結論が出せたと思います」
『大奥』は骨太な歴史SFであると同時に、「少女漫画」でもある。よしながさんは少女漫画へのこだわりを、先輩作家への敬意とともに語る。
「少女漫画というジャンルは常にジェンダーを考えてきました。私の作品のように男女の人口比を極端にした漫画だと萩尾望都さんの『マージナル』や、柴田昌弘さんの『ラブ♡シンクロイド』などがあります。私がこうして少女漫画で実験的な表現ができるのは、先輩たちが踏み分けた道があるから。『大奥』はその道を歩かせていただいた作品です」
本作で血縁と権力、そして家族の関係を描いたよしながさん。家族は、連載中の『きのう何食べた?』とも共有する彼女の永遠のテーマだ。
「『きのう何食べた?』ではゲイカップルを通して家族とは何かを考えています。あと、本作はリアルタイムで進むので、原稿に取り組むときは少しだけ未来を想像しています。この描き方はちょっとSFっぽいなと思うんですよね(笑)」