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歴史をはみ出す想像力に目覚める、小川哲のSF小説

SFというと、近未来を舞台にした作品に光が当たりがちだが、過去を題材にした秀作も少なくない。歴史を改変し、その先にあり得たかもしれない世界線を描いたり、劇的な史実の背景をSF的モチーフを取り入れながら膨らませたり。歴史を起点に斬新なアイデアと豊かな想像力で物語を組み立てる作家・小川 哲さんに話を聞いた。

photo: Jun Nakagawa / text & edit: Emi Fukushima

戦争の勃発や共産主義の誕生、歴史の“分岐”をめぐるドラマを

「未来の社会を舞台に物語を書くことと、過去に遡って史実を起点に物語を書くこと。その両者は、今と地続きの時代を前に行くか後ろに行くかという単純な差で、実は僕にとってあまり大きな違いはないんです」

歴史長編『地図と拳』で2023年直木賞を受賞した作家の小川 哲さん。2015年にSF作家としてデビューして以来、現代とは異なる社会環境を舞台に、時代の大きなうねりと緻密な人間ドラマを同時に描き切る大作を世に出してきた。

デビュー作の『ユートロニカのこちら側』では、すべての個人情報を提供することと引き換えに安心・安全の居住環境を獲得できる近未来社会を描いた彼が、小説の舞台に過去の社会を選んだのは2作目となる長編『ゲームの王国』から。ポル・ポト政権に翻弄されたカンボジアの現代史をなぞりながら展開する本作の着想を得たきっかけを、小川さんはこう振り返る。

「当初決まっていたのは、かねて興味のあった東南アジアを舞台にしようということだけ。実在の国や地域を題材とするにあたり、まず当たったのがカンボジアの歴史でした。資料を読み込みながら凄絶な現代史に触れていくと、ポル・ポト政権下の社会そのものがすでに非日常でありSF的だなと。そこで歴史自体を起点にしようと考えました」

作家・小川哲
作家の小川 哲さん。

極端な共産主義政策に基づく強引な思想統制や知識人の大量虐殺。現代の日本と比べて極めて非現実的な当時の社会に創作欲を刺激された小川さんは、この特異な時代に生まれ、片や政治家として、片や脳波の研究者として、それぞれの正義での復讐と理想の国作りを目指す2人の主人公を中心としたドラマを組み立てた。

彼が採ったのは、歴史を改変するのではなく、事実をベースにしながらその余白や背景をSF的な想像力によって膨らませる手法。その過程で気づいたのが、過去を描くことと未来を描くことの共通点だった。

「書き進めてみると、思考のプロセスは前作とあまり変わらなかったんです。史実がある過去と、まっさらな未来とは別物だと思われがちですが、現実と地続きの別の社会という意味では同じ。例えば100年先の未来社会を舞台に、登場人物同士が遠隔でコミュニケーションを取る場面を書くとしたら、100年前から現在までの通信手段の変遷をさらいます。

電話は息が長い一方で、デバイスは短期的に進化していることが見えてくる。ならば未来の人々は、まだ見ぬツールを使って電話をするかもしれないと想像できるんです。未来を書くときに、同時に過去を振り返る方法で物語を組み立てていた僕にとって、歴史を描くことも根本的には同じなんだと気づきました」

『ゲームの王国』著:小川哲
『ゲームの王国』
著:小川 哲/2017年発表/100万人以上の命を奪ったポル・ポト政権下の社会を生き抜いたムイタックとソリヤ。ある因縁を持ったまま、舞台は現代へ。政治家となったソリヤは“ゲームの王国”という理想像を掲げ、公平公正な社会を築こうとするが、道を阻むのは脳波を用いた「チャンドゥク」というゲームを開発したムイタックだった。

歴史小説特有の“弱点”をSF的な発想で補っていく

以来、歴史とSFを掛け合わせた小説を精力的に発表してきた小川さん。短編集『嘘と正典』の表題作では、米ソ冷戦の原因ともなる共産主義の誕生に焦点を当て、起点となったマルクスとエンゲルスの出会いを阻止するべく過去との交信を画策する登場人物たちを描いた。以降の歴史を大きく揺るがす時代の分岐点を題材にするという点では『地図と拳』も同様。

満州の架空都市を舞台に、第二次世界大戦前後の半世紀に及ぶ日本の顛末と人々のドラマを、史実とフィクション、時にファンタジーを織り交ぜて描いた本作は、直接SFを標榜する作品ではないものの、「SFで培ったディテールを詰める筋力はもちろん、歴史SFに取り組む中で得た気づきがないと書けなかった作品だ」と言う。

『噓と正典』著:小川哲
『嘘と正典』
著:小川 哲/2019年発表/6編を収録したSF短編集。表題作の舞台は、米ソ冷戦下のモスクワ。CIA工作員のホワイトは、マルクスとともに『資本論』をまとめたエンゲルスの過去を変えれば、2人は出会わず共産主義も生まれなかったことに気づく。「時空間通信」という技術を用いて過去との通信を画策し、過去の改変を試みるが──。

「『ゲームの王国』を書いたときにポル・ポト政権下のカンボジアを生き抜いた日本人の手記を手に取りました。歴史を知ったうえで読むと“その道を左に曲がっていたら”“あの日あの場所にとどまっていたら”など些細な選択を間違ったがために家族が命を落とした事実ばかりが目に留まるんです。渦中にいると何が正しいかなんてわからないのは当たり前。

でもこの手記同様、歴史小説では、読み手は結末を知っている状態のため、登場人物が間違った行動をとるもどかしさがついて回るなと。未来を描く際には生じないこの特性を、逆に物語のフックにできないかと考えました」

小川さんによれば「結末へ向かうワクワク感もまたSFの醍醐味」。ならば結末があらかじめわかっていることは、ある種の“弱点”にもなる。『地図と拳』において、それを補う役割を担ったのが一貫して鍵を握る細川という登場人物。

「僕や読者がこの時代に戻ったら何ができるのか。視点を代弁する役目として意図的に盛り込んだ」との言葉の通り、“千里眼”を持ち、先の大戦で敗戦を喫する未来が見える彼は知識人を集めて未来を予測する仮想内閣を組織。戦争を避ける道を模索する。史実を変えるに至らないが、結末如何(いかん)以上に、彼の暗躍が本作における読みどころの筆頭ともなった。

歴史とSF。ジャンルを横断しながら小川さんが描くのは、時代の分岐点の背後にあったかもしれないドラマ。その背景にあるのは、舞台が過去であれ未来であれ、“異なる社会環境を生きる人”への興味だ。

「今の社会の常識を取り払ったとき、人はどんな行動をするかを考えるのが面白くて。極限の状況に置かれることでより人間の本質がくっきり見える。それこそがSFの醍醐味だと思っています。とはいえ、まずは素直にフィクションとして楽しんでもらうのが一番。自分の想像力を刺激しながら楽しんでもらいたいです」

『地図と拳』著:小川哲
『地図と拳』
著:小川 哲/2022年発表/満洲の架空都市を舞台に、第二次世界大戦前後の日本の顛末と人々のドラマを描いた歴史長編。日本からの密偵に通訳として同行することで満洲に渡った細川は、時を経て仮想内閣を組織。今後戦争がどのように繰り広げられ、世界地図がどのように変わるか、未来を予測しようと試みる。第168回直木賞を受賞。

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