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関和亮がグザヴィエ・ドランに聞く、普遍性の正体。私たちの共通言語はアートや物語にある

世界中がその新作を待つグザヴィエ・ドラン。そんな彼の新作『ロリエ・ゴドローと、あの夜のこと』は、自身初となるTVシリーズだ。私たちがドランの作品に陶酔してしまうのはなぜか。映像ディレクターの関和亮が探る。

text: Kohei Hara

関和亮

新作を拝見して、この物語の住人になったような気持ちで全話通してとても楽しみました。今日は監督のことをなんと呼べばいいですか?

グザヴィエ・ドラン

ありがとうございます。ファーストネームのグザヴィエでいいですよ。

日本にはあなたのファンがたくさんいて、僕もその一人です。特に広告業界やMVを作っているクリエイターが、あなたの作品のトーンや構図を取り入れたいと思っている。そういう状況をご自身はどう感じていますか?

ドラン

自分の作品がほかの文化圏の人に観てもらえているのを知るとすごく感動します。だけど、昔から僕はそういう人たちに対して「本当に観てもらえてるのかな?」と疑ってしまう気持ちがどうしてもあって。例えば、海外にいる友人に、「現地の人が君のことを話題にしていたよ」と言われるとショックを受けるんです。驚いてしまう。

でもそういうときに、やはり私たちは、アートやストーリーテリングといったなにか一つの言語を共有しているのだなという思いを強くします。心理的な面で共通言語を持っているからこそ、文化や国境を超えて届くのだと思うし、そのこと自体には達成感を覚えますね。

僕も、日本で作った一つの作品が海外で観られていると思うと感動します。

ドラン

関さんの作品はどれを観たらいい?

OK Goの「I Won't Let You Down」というMVを観てみて。

ドラン

ありがとう、ぜひあとで観てみます。

関和亮が監督を務めた、OK Goの「I Won't Let You Down」MV

”anyone, anywhere”

僕はグザヴィエの作品を何本も観たなかで、物語の舞台となる地域をあまり明示してないのが気になって。具体的な地名が出てこないからこそ、「自分の物語」だと感じることもできるんですよね。それは意識している部分もあるのでしょうか。

ドラン

「何年の何月の出来事か」を示さないこともあって、確かに、「いつ」「どこで」という情報をはっきり見せないのは自分の選択なのかもしれません。今回のTVシリーズに関しては、カナダ・ケベック州のとある架空の町だと明かしてはいますが、「アメリカの郊外」だと言われれば確かにそう見えるような作りになっていますね。

アジアの全然違う町に住んでいても、どこか自分事のように受け取れるのはグザヴィエの作品全体に言えることなんですよね。

ドラン

自分にとって褒め言葉です。それは私の選択だけでなく、自分たちが同じような感情や瞬間を共有してきたからこそ親近感を覚えてもらえるのだと思っています。そうした「誰でも」「どこにいても」(anyone, anywhere)受け取れる物語であってほしいとはいつも願ってますね。

今回はオンラインでしたけど、グザヴィエが日本に来るタイミングもありますか?

ドラン

すごく行きたいと思っているんです。実はアジアには一回も行ったことがなくて、特に日本は建築や食、映画作り、それから風景や木々といったものにも惹かれるので絶対に行きたいと思っています。

日本やアジアのカルチャーからなにか影響を受けることもありましたか?

ドラン

映画を作るときのインスピレーションは、実は映画からは受けていません。本や絵画、写真が多くて、日本の写真家の写真集もたくさん持ってますよ。ほかに私がインスピレーションを受けるのは日常だったり、なにかのテクスチャーや肌触り、布だったりもします。

今度、日本に来たときには写真家や画家の作品をぜひ紹介させてください。今回のTVシリーズはかなり大変だったようですね。

ドラン

どの作品もそうですけど、自分が持っているすべての情熱やエネルギー、バイタリティを費やしているのでそのぶん疲れることはあって。今は映像作りから少し離れて、自分のことをケアしたり、家を片づけたり、インスピレーションを大切にして生活しているところです。

自分の心を大事にするのは一番大事なことですよね。ぜひゆっくり休んでください。

『ロリエ・ゴドローと、あの夜のこと』
『ロリエ・ゴドローと、あの夜のこと』

舞台はケベック州郊外。ラルーシュ家の母マドが危篤という連絡を受け、約30年ぶりに長女のミレイユが帰郷。家族が集うなか、マドが残した遺言が引き金となり“あの夜”に起きた事件と家族の姿が明らかになる。Amazon Prime Videoチャンネル「スターチャンネルEX」にて全話配信中。