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アートディレクター・堀内誠一の展示が開催中。『anan』『ぐるんぱのようちえん』の源流を辿る

絵本作家、アートディレクターとして活躍した堀内誠一のキャリアのスタートは1947年、14歳のときだった。職場は伊勢丹新宿店企画部宣伝課。戦前・戦中の雑誌が溢れ、さながらエンサイクロペディアの中にいるようだったという。その後に手がけた『anan』や絵本作品を概観する『堀内誠一展 FASHION・FANTASY・FUTURE』が今冬、スタートした。デザイナー、イラストレーターとして活動する小田島等さんが膨大な仕事をじっくり(3時間!)鑑賞し、その背景を探った。

photo: Kazuharu Igarashi / text: Ryota Mukai

教えてくれた人:小田島 等(デザイナー・イラストレーター)

『anan』『ぐるんぱのようちえん』の源流はウィリアム・ブレイクにある?

僕は1972年生まれですが、70年代のうちに堀内誠一さんのアートディレクションの仕事を見ているんですよね。親が営んでいた飲食店の常連だったマガジンハウスの編集者が、新刊の雑誌を持ってきてくれていたんです。子供ながらにうっとりと眺めていましたね。

最初の展示室「FASHION」で改めて読むと、堀内さんが手がけた『anan』の誌面はやはりポップでビジュアル的。とはいえ、ただ明るいというわけではなく、時代に即して言えばアプレゲール(戦後)という表現が近い。特に第二次世界大戦後、それまでの道徳やものの考え方にとらわれずに行動した若い人々のことを指す言葉ですね。

例えば当時の『anan』にも登場している横尾忠則さんは、自身の無計画と即興性を「アプレゲール」だと三島由紀夫に指摘されたと書いています。横尾さんは36年生まれ、堀内さんは32年生まれとほぼ同世代。戦後の暗さを払拭するようなカラフルさ、また同時代的にサイケデリックなモチーフを見やすくグラフィカルに構成したのが、堀内さんが手がけた49冊の『anan』の特筆すべき魅力だと思います。

創刊した1970年発売の一冊。『anan』表紙(11号、1970年)平凡出版。
創刊した1970年発売の一冊。『anan』表紙(11号、1970年)平凡出版。
©マガジンハウス

続く絵本の展示「FANTASY」も素晴らしい。多くの原画には鉛筆、ペン、絵の具と、異なる素材の画材が使われていることがわかります。特に鉛筆は背景ではなく絵の中のメインにだけ使っている。読者の視線の動きが意識されているんですね。紙も面白くて、例えば『ぐるんぱのようちえん』の大きなゾウが描かれた表紙にはワトソン紙が。表面の凹凸をゾウの皮膚の質感に置き換えている。絵全体の仕上がりと、小さな手触り感を共に大切にしたアナログならではの作品ですね。

『ぐるんぱのようちえん』(65年)福音館書店
背景は絵の具で描かれ、主人公のゾウ・ぐるんぱの顔には鉛筆の線が走る。「単に平面的、立体的というのではない手触りが感じられます」。『ぐるんぱのようちえん』(65年)福音館書店。
©Seiichi Horiuchi

また、堀内さんの制作の秘密が垣間見えるのは『絵本の世界・110人のイラストレーター』という、堀内さんが編集した絵本作家の本。その冒頭で「絵本の歴史とその作り手を考えるとき、この人の名がまず挙げられてふさわしい」と、ウィリアム・ブレイクを紹介しています。

18〜19世紀のイギリスで活躍した、詩人にして画家、彫版師、出版者の顔を持つ、イギリス・ロマン主義の先駆者です。彼の詩と挿画からなる作品群を絵本のオリジネーターとしています。言葉と絵の組み合わせということで言えば、ほとんどエディトリアルデザインと同じ。堀内さんはブレイクを通じて、アートディレクターとしての素地も学んだのではないかと思うんです。

締めくくりの「FUTURE」では、110人が選ぶ堀内さんの仕事を年代順に一望できる。少年時代の伊勢丹から、旅し暮らしたパリに至るまで様々なものを吸収し、アウトプットを続けた人なのだと感じます。つまり、常に若くあり続けた。だからこそ、古びることがない多くの作品を残すことができたのでしょう。

堀内誠一の若い頃の作品にはモディリアーニの影響を感じさせる画風
17歳のときの絵。「若い頃の作品にはモディリアーニの影響を感じさせる画風のものが多いですね」。《青い女性像》(49年)。