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グラミー5冠のジャズヴォーカリスト、サマラ・ジョイが見据える未来

サマラ・ジョイは2023年のグラミー賞で最優秀新人賞を受賞し一躍その名を知られるようになったジャズヴォーカリスト。そもそもグラミーの主要部門でジャズが受賞することが珍しいのだが、サマラが特殊だったのはジャンルの融合が当たり前な時代に伝統的なスタイルのままで評価されたこと。つまり彼女への評価はアイデアや目新しさではなく、類を見ない歌唱力や表現力に対するものだった。毎年グラミーを取り続け、現在5冠。あっという間にシーンを象徴する存在になってしまい、すでに風格さえ感じさせる彼女だが、まだ25歳の若手だ。

photo: Keisuke Fukamizu / text: Mitsutaka Nagira(Jazz The New Chapter)

——あなたのライヴを観ました。あなたは1930年代から1960年代頃までの古いスタイルの「ジャズ」をやっています。にもかかわらず、僕には新しく聴こえました。あなたにとって、2025年に「ジャズ」をやるのはどういうことだと思いますか?

サマラ・ジョイ

私が思うのは2025年になっても、ジャズはこれまでと同じ価値観や核心を保ちながら、ひとつのスタイルとして成り立っている。多くの人が、このスタイルの中で自分のサウンドを確立し、他の演奏に耳を傾けながら成長してきた。それって言語を学ぶのと似ていると思う。アルファベットがあり、語彙があって、ジャズミュージシャンの仕事は、その語彙をできるだけ増やして、自分が本当に言いたいことを表現できるようになること。

ジャズを前に進めるには、それしかないと思う。いや、前に進めるというよりも、ミュージシャンが生き残るためには、ただ誰かをコピーしたり真似たりするのではなく、自分の語彙を広げることが必要。もちろん、真似ることも大切だけど、最終的にはそこから学び、自分らしさを見つけなければならない。それが、今の私にとってのジャズの意味。

——いつからそう思うようになったのですか?おそらく最初にジャズを知った時は「昔の音楽」って感じだったと思いますけども。

サマラ

うん、最初は「昔の音楽」という知識しかなかったし、ジャズを歌うことや聴くこと、その魅力を理解するための語彙もごく限られていた。誰を聴けばいいのかさえわからなかった。でも、昨夜一緒にステージに立ったミュージシャンの何人かが、「これはきっと好きだよ」って、レパートリーやアーティストを教えてくれた。

最初、ジャズを聴いた時は、全く何もわかってなかったけれど、いろんな人たちから少しずつ学ぶうちに、気づけばジャズにすっかり魅了されて、今では自分にとって欠かせない存在になっている。結局、良い音楽にジャンルは関係なくて、心に響くもの、居場所だと感じられるものは、自然とそうなっていくものだと思う。

——ライヴを観ていて、あなただけでなく、同世代のバンドメンバーたちも「伝統的なことをやっている」のではなく、「自分たちには新しいことができる」という意識でやっているように感じました。

サマラ

ベティ・カーターやデューク・エリントン、マックス・ローチやアビー・リンカーンに至るまで、彼らも最初は憧れるヒーローを真似て、土台を築いた。でも最終的には、音楽を通じて自分だけの声を見つけていった。そう考えると、今私がやっていることも、決して新しくない。それはすでにジャズの中で行われてきたこと。もちろん私自身にとっては新しいこと。でもコンセプト自体は、新しいわけじゃない。むしろ、それこそがジャズの本質。吸収できる限りのことを吸収するのがジャズ。

たとえば、チャールズ・ミンガスはクラシック音楽に夢中だったから、それを自分の音楽の中で表現してみせた。ブルース、クラシック、フリージャズ……と惹かれるすべての要素を取り入れ、新しいものを生み出した。それは今聴いても現代的で、誰にも真似できない、超えられないもの。

だから私や私のバンドのメンバーも、どうすればジャズに新しいものをもたらす“次の世代”になれるか、を考えなければならないと思ってる。ジャズミュージシャンとは何か。それは創造し続けることであり、新しいアイデアを生み出すことであり、自分を常に更新し、表現の可能性を広げること。その土台を築いた先人たちからたくさんの刺激と影響を受けて、私たちが今存在しているのだから。

——チャールズ・ミンガスが今でも現代的だってことですが、そういった過去の偉大な音楽に脅威を感じることはありませんか?過去の遺産を乗り越えることへのプレッシャーというか。

サマラ

私はむしろわくわくしてる。だって、彼らは今のように録音された音源も、豊富な音楽もなかった時代に、身近なミュージシャンを頼り合いながら、あれだけのことを成し遂げた。一緒に演奏する仲間がたまたま天才だらけだった、ということなんだけど(笑)。今、私が自分のバンドでやっているのも、まさにそれ。

私は特別な何かを探してるわけでも、大スターを目指しているわけでもない。ただ音楽が作りたいだけ。私と同じくらい音楽を愛し、曲を書き、アレンジし、向上心を持つ人たちに囲まれていたい。ミンガスだって、スターになりたかったわけじゃない。ただ、音楽を追究していただけ。アビー・リンカーンも、チャーリー・パーカーも、ディジー・ガレスピーも、自分が納得できる音楽を探し続けていた。

私も同じ。そう考えると、本当にエキサイティング。アーティストとして生きることに、どれだけの可能性があるのかを示してくれた人たちが、すでにいるわけだから。

——昔と違って今はいろんなものにアクセスできる時代です。あなた自身、そんな今の環境に可能性を見出したことはありましたか?

サマラ

今でこそ、その恩恵をたくさん感じているけど、ジャズを聴き始めて1〜2年目の頃は、ただただ情報量の多さに圧倒されていた。「こんなにたくさんあるの!?」って。

——そう思いますよね……。

サマラ

同時に、私の先生である素晴らしいジャズピアニストの、バリー・ハリスがジャズを始めた頃、持っていたアルバムはわずか4〜5枚だったそう。それだけで彼は自分のコンセプトを確立し、道を切り開き、耳にしたものをどう発展させるかを考え、“バリー・ハリスの音楽”を作った。それに比べ、今は聴きたいだけ、それこそ何万、何百万という、実際に聴ききれないほどの音楽にアクセスできる。

大学に入るまでほとんどジャズを知らなかった私にとって、サラ・ヴォーン、カーメン・マクレエ、デューク・エリントンのライヴアルバムがいくらでも聴けて、それらを吸収し、それを自分の一部にできたことは、本当に大きな意味があった。今では聴いていない時でも、それが頭の中で鳴っているみたいな感じ。それらの音源が今でも私の大きな支えになっている。

——今のあなたは様々なスタイルで歌い、様々なテクニックを駆使しています。最初のアルバムを出した頃のあなたとは全然違うところまで短期間で進化したと僕は感じています。技術やスタイルの開発について、どう考えていますか?

サマラ

短期間に私を進化させてくれたのは私のバンドだと思う。というか、それを目指した部分もある。それまで私が聴いていたのはビッグバンドやアンサンブルのサウンドが中心だった。いかにそこに自分自身を溶け込ませることができるかってことをずっと考えてきた。

だから「もし自分のバンドにホーンがいたらどうなるんだろう。自分の声がホーンと溶け合い、全員がアンサンブルとして一体となったら、もっと自分自身が前に進めるのかも」って考えるようになった。

そんなことを考え始めたタイミングでライヴが予定されていたから、そのアイデアを基にバンドメンバーを集めることにした。そして、やりたい曲をバンドに渡し、メンバーそれぞれが2〜3曲アレンジをしてくれた。今の私のバンドはそうやって始まったの。

——なるほど。

サマラ

最初の頃は怖さも少しあった。だって、彼らは本当に素晴らしいミュージシャン……、そんな彼らのアレンジは時に、私にとってはかなりチャレンジングなものだった。最初は「これ、私に歌えるの?」って感じで自信がなかったし、正直難しすぎるとも思った。

でも、あえて私は自分をそういう立場に置きたかったのもあった。だって常に安心できる範囲で、知ってる曲ばかり同じように歌っていたら、それ以上の成長はないから。私は成長し続けたい。「次は何ができる?」って探究を常に続けていたい。このグループはそれを少しずつ見つける場になっていると思う。

アルバムの曲のいくつかは、最初にアレンジを聴いた時は無理だと思った。でも、今ではすっかり馴染んでる。ここまで来るのに1年半。お互いの息が合うまでに1年もかかった。今では私が歌う強弱に合わせ、バンドもそれに応えてくれる。何をするにもバンドと私はひとつ。一体感のあるコラボレーションになってる。だから、私はバンドにものすごく助けられてると思う。

サマラ・ジョイ

——まだ「サマラ・ジョイはこういうアーティスト」って枠を決めないで可能性を残しておきたい、って思いもあるんでしょうか?

サマラ

そうかも。もともと、そういうのは私の性に合わない。ほら、私は好奇心旺盛な人間だから。私は「どうすればこれをもっと良くできる?」って考えるタイプ。ミスを犯しても、そのミスからも学べるし、学び続ければいいと思ってる。もし型にはめられることがあったとしても、きっとそこから抜け出そうとすると思う。

それは単純に外の世界に何があるのか知りたいから。それにジャズを聴いてたら、「何が可能か」を探究しないなんて自分はあり得ない。今は偉大なミュージシャンの全ディスコグラフィーを辿って、彼らの人生を知ることができる。

彼らがどこから始まり、何を学び、どういう時代を生きたのかを知ることができる。マイルス・デイヴィスも時代ごとで、初期から晩年まで、まるで違う人生を生きてきた。それでも人生を通じて、一貫したサウンドがあるのみならず、高いレベルを保ってきた。それはマイルスが常に好奇心を持っていたから。

私もそうありたい。好奇心を忘れず、常に新鮮な気持ちでクリエイティヴでいたい。後にとっておこうなんて思わない。「この小さな枠の中にいればお金を稼げるから、今はここにとどまって、受け取るだけ。こちらからは何も与えない」なんてまっぴら。私はいっぱい吸収して、与えたいから。

——今のあなたをマイルスのキャリアに例えるなら、まだチャーリー・パーカーと共演していた1950年代くらいでしょうか?(笑)

サマラ

その通り。私のキャリアはまだ始まったばかり。人って、ミュージシャンの全盛期だけじゃなくて、ミュージシャンが若い頃から抱いていた勇気……つまり、見ているものや考えていることを自分の音楽世界の中で表現しようとする姿勢に惹かれるんだと思う。

私は今まさに、旅の始まりにいる。リスクを負いながら、自分のアーティスティックな衝動に従い、自分と自分のアイデアを信じてる。間違うこともあるけど、正しいことも、素晴らしいこともあるはず。いずれにせよ、試してみなければ何もわからないなって思ってる。

——あなたはいろんなことをすごい高いレベルでやっているのに、同時にまだ手探りなようにも見えるのがすごいですよね。あんなに完成されてるのに発展途上にも感じられる。それはチャレンジしているからなんでしょうね。

サマラ

そこは怖い部分でもある。私は好奇心旺盛だけど、準備をしっかりして、来てくれるお客さんに一番良いパフォーマンスを届けたいとも願っている。昨夜が良いショーだったとしたら、今夜も同じことをしたいとつい思ってしまう。

でも現実はそうはいかなくて、日によっても、会場によっても、ショーの最初と最後でも、エネルギーは違ってくる。だから私は探究を続け、直感を大切にしながら、自分のアイデアに自信を持ち、それを実践していきたい。思った通りの結果にならなかったとしてもね。だから私は挑戦し続けるつもり。

——アルバム『ポートレイト』から世代の近いバンドに変えました。以前のインタビューで「昔の偉大なミュージシャンも同世代のミュージシャンと素晴らしい音楽を作って、時代を切り開いてきた」という話をされていました。自分たちの世代で作ることってやっぱり違うものですか?

サマラ

すごく楽しい。数ヵ月前、ロン・カーターとレコーディングをする機会があった。彼はたしか87歳。ロンは完璧に楽器を完全に操っていて、ハーモニーの面でも、すべてをコントロールしていた。そんなふうに、今身につけている技術や習慣を積み重ね、年齢を重ねて、70代、80代になっても、高いレベルで演奏し続けることがミュージシャンの目指すべきゴールじゃないかなって思う。彼は20代、30代からすでに高いレベルで演奏して、数えきれないほどの重要なレコーディングに参加し、幾つもの音楽の歴史上の瞬間に立ち会ってきた。

私が今築いていきたいのは、彼のように同世代の仲間たちと、幾つもの瞬間を共有しながら音楽を作り、アルバムを通して物語を紡ぎながら、それを記録し、私の人生、キャリアのあらゆる段階を形に残していくこと。そうすれば80歳になった時、私も彼のように、過去の音楽的瞬間を振り返るだけでなく、その瞬間も現役でい続けながら、次の世代のミュージシャンたちを導く存在になれるかもしれない。

——あなたはもう一生分のグラミーをとったと言っても過言ではないと思います。名誉はすでに獲得しているわけですが、一方でまだ成長過程で、行きたいところはまだ定めていないように思えます。今の時点でどんな将来像を描いているか聞かせてもらえますか?

サマラ

やってみたいことはたくさんある。シンフォニーオーケストラとの共演もだし、映画の世界にチャレンジし、映画音楽を歌ったり、楽曲を書いてもみたい。すべてはしかるべき時に実現するのだと思う。これまであまりに速いスピードで来てしまって、それに追いつくのがやっとだった。

でも今後に関しては、時間をかけて、焦らず、その時が訪れるのを待ちたい。夢はたくさんあるけど、どんな夢やゴールも、それを叶えるには、しかるべき相手との縁、タイミング、偽りのない本物の気持ちが必要になってくる。何よりもそれを大事にしたい。やりたいことはたくさんあるけど、一つずつ丁寧に取り組んでいきたい。

——予想はできないですよね。自分が『セサミ・ストリート』に出ることは想定していましたか?

サマラ

そうそう(笑)、なぜそんなことになったの?!って言いたい。あれは信じられない出来事だった。

『Portrait』
デビューアルバムにしてグラミー賞2部門を受賞した『リンガー・アワイル』に続く2作目。あまたの名盤を生み出したヴァン・ゲルダー・スタジオにて録音。