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湯気は蒸すために!別府・鉄輪温泉で出合う最高の湯治場〈湯治柳屋〉

熱々の源泉からもうもうと立ち上る蒸気で野菜を蒸す、別府・鉄輪温泉の名物「地獄蒸し」。〈サリーガーデンの宿 湯治柳屋〉は自家源泉。鮮度抜群、ミネラル豊富で飲んでもおいしいスープのような泉質が、野菜の知られざるポテンシャルを引き上げる。

photo: Yoichi Nagano / text: Naoko Ikawa

ようこそ、地獄へ。

それが鉄輪(かんなわ)温泉の決め台詞だ。大分県が世界に誇る別府温泉は、正式には別府八湯といい、異なる8つの温泉郷から成っている。その一つである鉄輪温泉は、1000年以上も昔から熱湯、熱泥、噴気をモクモクと上げ、鎌倉時代に開湯されるまでは人間が近寄れない土地だったことから「地獄」と呼ばれた。

ところがこの地獄の湯、たぐい稀な恵みの湯であった。山に降った雨水は地下300メートルまで滲み込み、火山活動で生じた地層のフィルターを通り抜け、地上に湧き出すのは50年後。雨水のたった16%だ。

じつに99.6度にも達する、この強烈な温泉の蒸気で野菜を一気に蒸し上げる「地獄蒸し」は、鉄輪温泉に人が集まるようになった江戸時代から続く名物料理である。

敷地内に源泉を持ち、地獄蒸しを宿泊客自身で作れるのが〈サリーガーデンの宿 湯治柳屋〉。明治38(1905)年に建てられた宿の建物を、現在の女将・橋本栄子さんが引き継いでリノベーション。2014年に開業した、旅館と湯治宿のスタイルを併せ持つ宿である。

安全性を確保するため土台から修復しているが、艶のある床板、意匠の美しい建具、那智黒石を使った廊下、そして中庭の釜場には、地獄蒸しのための石釜「地獄釜」がそのまま遺されている。宿泊客が自由に使え、栓をひねれば源泉の蒸気が出る仕組み。自家源泉だから、空気に触れると酸化が進む温泉も、ここでは鮮度抜群だ。

飲泉もできるというので飲んでみると、複雑で奥行きのある旨味、まるい塩味で、ほんのりととろみも感じる。50年もの長旅の間、地熱との化学反応でミネラルやイオンと結合した温泉は、まるでスープのようだった。

調理器具や食器は宿に用意され、食材別の蒸し時間も目安が書かれているのではじめてでも大丈夫。肝心の野菜は「蒸しものセット」をあらかじめ宿に用意してもらうこともできるけれど、地元の店で野菜の顔ぶれを眺めながら調達するのもまた楽しい。

大分の産直コーナーがあるスーパーで、夏野菜の茄子やオクラ、プチトマト、根菜の蕪やれんこん、かぼちゃなどを買う。好きなものを食べたい分だけ切ってざるに並べたら、あとは地獄釜に入れて待つこと12分あまり。

蒸し上がった野菜を食べると、びっくりした。プチトマトの旨味はまるでソースのようだし、れんこんはひときわねっとり、かぼちゃの甘味は際限ない。茄子なんて、スフレのようなふわふわの食感に化けていた。

それぞれの持ち味がギュッと凝縮された味わい、知られざるポテンシャルが現れたのは、鉄輪独特の温泉成分と、熱くて強い噴気のなせるわざである。

地獄蒸しで調理した野菜
蒸気が勢いよく上がる地獄釜の中は、圧力釜と同じ状態。高圧で温泉成分のナトリウムなどが一気に食材へ入り込む。蒸し上がった野菜は調味料いらず。

明治から昭和の時代、この建物は病の治癒を目的に、あるいは農民や炭鉱労働者が閑散期に身体を労るために長逗留する宿だった。それぞれの地元から食材を持ち込む人もいたというから、地獄蒸しは彼らの滋養でありお楽しみだったのだろう。

けれど現代の湯治は、多様だ。リトリート、ワーケーション、ステイケーション、一人の時間、家族との時間。そのため「湯治柳屋」では、ホテルの機能性を持つ新館、書斎つきのネスト、1棟貸しの離れ、湯治宿スタイルの本館など、さまざまな滞在が叶う部屋を用意している。

食事も自由自在。たとえば1日目は地獄蒸しで身体を整え、2日目は併設のレストランで地元食材のイタリアンを堪能してもいい。素泊まりで近所の飲食店や弁当店を利用することもできる。

「鉄輪は癒やすというより、自分に活力を取り戻して、整う温泉。一回放電して、空っぽになったところに充電するんです」

橋本さんは「神様から湯気を預かっている」と語った。人々を、時代を超えて元気づけてきた鉄輪の湯気。その温泉は、ザブッと入ってサクッと出れば、本当に身体がスカッと軽くなる。