1980年代の坂本龍一の“問い”を追体験
展覧会タイトルにある“音を視る 時を聴く”。実はこれは、1982年に刊行された、哲学者・大森荘蔵と坂本龍一の対談本に由来する言葉だ。本書は、当時の坂本が抱いていたあまたの問いに大森が哲学的に答えていくという内容で、例えば「頭の中で鳴っている音は、実際に耳で聴く音とはどう違うと言えばいいのか?」といった音にまつわる疑問。そして、作者が意図したものと観客が感じ取るものが同じではないことへの葛藤、現在とは何か、心の中とはどこにあるのか……と、坂本のその膨大な吐露に圧倒される一冊だ。
80年代から40年以上にわたり坂本が抱き続けていた“問い”が、本展ではインスタレーションとして具現化されていると言えるだろう。坂本からの問いに想像を膨らませながら、作品を体験したい。
“時間”という概念から解放される空間
90年代後半から、坂本は自由で新たな表現を求めてコンサートに映像を取り込むようになった。しかし、すると映像に合わせて演奏をしなければならないという不自由が生まれることになった。
そのように、一直線上に過去・現在・未来が並ぶという、標準的な時間の見え方で音楽を捉えようとすると、そこにはいつも始まりと終わりがあるということになる。坂本はそのことに疑問を抱き、“時間”への関心を持ち続けていた。特に晩年の坂本は物理学書や哲学書に傾倒し、ついに自身の答えに行き着く。「時間は脳が作り出すイリュージョンだ」と。
高谷史郎と協働した《LIFE–fluid, invisible, inaudible…》をはじめ、坂本は時間から解放された音・映像・空間を求め、インスタレーションという表現を追求したのである。
転機となった『async』を基にした作品
本展では、坂本のアルバム『async』を基に制作された、アピチャッポン・ウィーラセタクン、高谷史郎、Zakkubalanによるインスタレーションや映像作品が展示される。2017年、8年ぶりのリリースとなったアルバム『async』は、坂本にとって新境地を開いた作品として知られる。
普段、「雨音にさえ人間は規則性を見出そうとするが、現実にある音はすべてがランダムなのだ」と、“事物そのものの音”を目指したというアルバムで、「さらに発展させたいと強く思った」と当時坂本は語っている。
ちなみに、リリース後に坂本は、アルバム内の楽曲を使用した短編映画のコンペティションも開催している。さまざまなアーティストが関わることで、音楽に新たな可能性を開くと考えたのだ。
坂本龍一が信頼を寄せたコラボレーター
本展の見どころの一つは、美術館の屋外スペースに出現する“霧の彫刻”。坂本と高谷史郎、そして、70年代から人工の霧を使った作品を手がけてきた中谷芙二子との特別コラボレーションによる新作だ。霧と光と音が一体となり、自然の崇高さを感じさせる幻想的で壮大な世界へと誘う。
そのようにインスタレーションの表現を探求し続けた坂本にとって欠かせないのがコラボレーターの存在だった。共に空間を作る際、坂本は構想のアイデアを積極的に伝えはするものの、最終的に音をどう使うかはそのアーティストに委ねることも多かったという。
本展ではほかに、カールステン・ニコライ、アピチャッポン・ウィーラセタクン、Zakkubalanらが参加。岩井俊雄による1997年の坂本との伝説的なパフォーマンス作品も再現・展示される。
坂本龍一の自然観に結びついたアートの世界
真鍋大度とともに制作した《センシング・ストリームズ》シリーズは、普段、人間が知覚できない電磁波を可視化・可聴化する作品だ。坂本亡き後もアップデートされ、作品は今も世界各地を巡り続けている。坂本は生前、作品の発表が完成とは考えず、「もっと面白いものができるのではないか」と、さまざまなアイデアを真鍋に共有し続けたという。
「芸術は長く、人生は短し」という坂本が好んだ言葉がある。芸術の歴史の中では、多くのアーティストが自然の本質や美を模倣し、着想を得てきた。命の時間を超え、人間中心的な考えを脱し自然へと還っていく坂本の思想もまた、芸術と深く結びついていた。展覧会では、「人間には見えない世界、聞こえない世界をどう表現できるか」という坂本の深遠な世界に触れることができるのだ。