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ただ今、準備中。sakamotocommonってなんだ?

坂本龍一が残したものをどう活用し、後世につなぐのか。その手法を考え実践する「sakamotocommon」の設立にあたり、ボードメンバーに名を連ねる齋藤精一と若林恵による作戦会議が開かれた。アーティストが残したアーカイブについて、未来のあり方を探る。

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photo: Shin Inaba / text: Yu Ikeo / edit: Shiho Nakamura

1.没後のアーティスト作品は誰のもの?

若林恵

坂本さんのレガシーの共有化。それを考えるなら、そもそもアーティストの没後、所有はどうなるのか?を話す必要があるよね。機材や蔵書なんかの所有物はシンプルだけど、作品やプロジェクトの場合はそれぞれ違う。楽曲については権利分配がある程度制度化されているし、フィールドレコーディングされた環境音は坂本さんのものだから、このへんの所有は明快なわけだ。でも、メディアアート作品や東北ユースオーケストラなんかはどうかな。間違いなく知的財産的な要素はあるけど、所有をはっきりさせるのは難しいよね。

齋藤精一

形態も性質もバラバラなアーカイブを、どう次世代につないでいくか。まさにsakamotocommonが考える場になりますね。メディアアート作品は難しくて、世界的にもやり方を確立したところはまだないんです。出力機器などの固有のモノが作品に含まれる場合、特に再現性は低くなります。例えばインスタレーション作品《IS YOUR TIME》などは、津波にさらされたあのピアノがないと作品として成立しない。そういう複雑な作品を今後どう保存、展示するべきか。

若林

そういう作品は、指示書を残しておかないとダメだね。

齋藤

そうなんですが……生前にそこまで準備するアーティストはなかなかいないですよね。本当なら作品を管理するマスター的な人が、それも時代ごとにいるのがベストなんですが。ピアノは同じものを使うけどモニターはほかのものでもOK、とかね。

2.議論が終わるとアーカイブも終わる

若林

歴史的には国の政策として博物館や美術館を建てて、文化拠点にしてきたわけだけど、税金で買った収蔵品も今ではその9割が寝ているといわれている。非効率だよね。

齋藤

特に没後の作家は、作品の使用にブレーキがかかることが多い。権利的な処理や交渉に対応できる人がいない、というのが大きな理由でしょう。いずれにせよアーカイブは“空気”を入れていかないと。どんなアーカイブも議論が終わった瞬間に生きたアーカイブではなくなります。

若林

空気を入れるには、作品自体をアクティベートするしかない。そのためには、企画やキュレーションで情報を再編成していく必要がある。ほら、インターネットは基本的に全部がアーカイブになっちゃうから、キュレーションが欠かせない。今回のコモン化も同じ考え方だね。

3.みんなで残す必要性

若林

坂本さんは「自分の音楽なんて99%がパブリックドメインに依拠している」という人だったから、コモン化は正しいことだと思うけど、都度、坂本さんらしいか、みたいな主観的な話になると何も決められなくなっちゃう。だからまず議論しないといけないのは、みんなで残すのってなぜなんだっけ?って話。やっぱり次世代のクリエイターのために残すわけだから、新しい読み方や扱い方に対して常に開かれることが最大の目的になる。

齋藤

その意志が、活動のミッションやルールに反映されるべきですね。それが財源確保の仕方やコミュニティのあり方などすべての判断基準になる。そうして、だんだん坂本さんのドッペルゲンガーみたいなところから自然と抜け出ていくのがsakamotocommonの理想だと思います。

4.図書館から分散型モデルへ

若林

知識や情報のあり方って長いこと図書館がモデルになってきたけど、その概念が破綻しつつある。図書館にはある種のゲートキーパーが設けられていて、そこをクリアしたものだけあり、かつ分類された形で並ぶ。同様のことをインターネットでGoogleがやっているけど、ネットの性質からしてランダムなつながりが起きるもの。世の中が完全にそっち方向に進んでいるなか、アーカイブの概念自体も変わらざるを得ないよね。

齋藤

インターネットのつながりを利用した分散型のアーカイブモデルは、特にデザインミュージアムが進めています。作品を1ヵ所で保管するのではなく、モノはそれぞれの持ち主が所有・管理する。その所有にまつわるデータをブロックチェーンで管理することで、ネットワーク型のミュージアムを構築しています。

5.分散型自律とファンダムがキーに

齋藤

新しいアーカイブモデルは、中心的拠点である運営チームと、その周辺を囲む、非中心としての仲間が両立する構造になると思います。そこで重要なのが、ルールと規範。中心にはある程度の強固なルールを置いて、非中心的に参加するコミュニティ内にはフレキシブルな規範を設ける。そのバランスが肝になる。

若林

さっきの企画とキュレーションの話で行くと、企画は誰が考えてもいいけど、企画として成立させるには、ある程度、中央集権的に発動させる必要が出てくる。そもそもインターネットの世界は、集権化と分散化が常に両輪のようにあって、状況に合わせて都度変化しながら作動しているもの。そのどちらかに傾いたり、前もって比率を決めておいたりすることは原理的にできないようになっている。sakamotocommonも、これと似たDAO(民主的な分散型自律組織)のあり方が近い気がする。運営チームと賛助会員的な仲間がいて、細かなことはみんなでDISCORD(コミュニケーションアプリ)のようなオープンな場で都度話し合って決めていく感じ。

齋藤

ここで言う仲間は、例えば「この書籍を多言語化しよう」となったら、得意な人・できる人が挙手をして、自発的に動いていく人たちのイメージ。つまりファンダム(熱狂的ファン)的な動きのあるコミュニティになるのが理想ですね。こうした運営はまだ誰も経験値がないから、走らせながら議論を続けていくしかない。sakamotocommonはそういう場所になりますね。

若林 恵と齋藤精一
左から、若林 恵、齋藤精一。
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