まだ誰も知らない、坂本龍一のプライベートスタジオを岡村靖幸が訪ねる
photo: Keisuke Fukamizu / styling: Yoshiyuki Shimazu / hair: Harumi Masuda / text: Tomoko Ogawa
本記事は、BRUTUS「わたしが知らない坂本龍一。」(2024年12月16日発売)から特別公開中。詳しくはこちら。
坂本龍一のイズムが息づく特別な音楽スタジオ
チャペルの中にレイアウトされた数々の音楽機材たち。これらはすべて坂本龍一が生前愛用していたものであり、機材のセッティングも坂本のもの。ここは2025年秋(予定)の開業に向け準備が進められている、坂本の楽器や機材を移設した「アーティスト・イン・レジデンススタジオ」だ。
音楽や映像の制作をサポートし、新たな才能が生まれる場所として、坂本と1990年代初めから交流のあったIT企業〈デジタルガレージ〉が運営。神奈川県横須賀市にある〈DG CAMP AKIYA Yokosuka City〉内のチャペルが生まれ変わる。
目下準備中のスタジオに誰よりも先に訪れたのは、坂本龍一を慕うアーティストの岡村靖幸さんだ。10年以上坂本のアシスタントエンジニアを務めたアレック・フェルマンさんが、亡くなる直前のセッティングを再現したスタジオに足を踏み入れた岡村さん。
「触っていいですか?」と確認しながら、坂本がYMO時代から好んで使っていたというヴィンテージのシンセサイザー「Prophet-5」で、坂本龍一を思わせるコードを奏で始める。
「あぁ、坂本さんの和音ですね。今はもっと便利で簡単なシンセがたくさん出ていますが、『Prophet-5』でしかできないことがあって、坂本さんの美意識の中でその部分をずっと愛されていたんでしょうね」と岡村さんは言う。
やがてその旋律は、「戦場のメリークリスマス」につながっていく。
中学生の頃、YMOを知った岡村少年は、坂本龍一という存在のファンになったという。好きな坂本作品は、YMO在籍時、そして独立後にリリースされたソロアルバム『B-2 UNIT』と『音楽図鑑』だ。
坂本がアレンジャーとして、大貫妙子や矢野顕子のプロデュースを手がけた作品にも影響を受けた。映画『ラストエンペラー』のテーマ曲に関しては、「あんなふうに人の心に残るような音楽を作れる人はいない」と語った。
多才でありながら、圧倒的な華があった人
坂本とのフィジカルな交流が始まったのは、2010年代のこと。『WORLD HAPPINESS』や『NO NUKES』といったイベントに一緒に参加したことをきっかけに、ラジオや雑誌などお互いの番組や連載にゲスト出演し、一気に親交を深めていったそう。
「坂本さんから、“大貫妙子さんのトリビュートアルバムで『都会』をプロデュースしてほしい”という指令をいただいてやったことも。銀座のヤマハホールでこどもの音楽再生基金のためのチャリティコンサートをされた時に、ゲストとして呼んでいただき、共演する機会に恵まれたことは、宝物のように心にしまっています。
プライベートでも何度か一緒に食事をして、僕は常にファン目線で、音楽や生活のこと、僕の知らないことを聞いていた気がします。特に食事の席では、ここでは話せないようなことをたくさん話してくださいました。オープンで、権威主義的なところが全くなくて。僕みたいな後輩にも興味を持ってくださって、こんなに優しい人がいるのかと驚くくらい、温かく接してくれました」
本棚も坂本のスタジオのものを移設。読書家の一面が垣間見える。
お香を焚き石を置き、リラックスできる空間を作っていたという坂本。
机の上には、ウクライナとパレスチナの国旗を抱えた坂本ドールが。
楽譜を起こす際などに使っていたであろうステーショナリーも並ぶ。
推敲を重ね仕上げた手書きのピアノスコア。
以前は、カメレオンのように音楽性を変え、トリックスター的に活動をする坂本に対し、ミステリアスなイメージがあったそうだが、実際に関わってからは「慈愛の人」という印象に変わったという。
「世界中にファンがいる国宝のような方ですから、こちらも構えてしまうのですが、気兼ねなくいろんなことを教えてくれて、晩年もLINEで様々な会話をしました。例えば、僕がサウンドトラックを作っていると言ったら、アドバイスをくださったり、人を紹介してくださったり。今になって思うのは、恐れ多くても恥知らずでも、2人名義で一緒に何か作りたかったですね」
70年代から2020年代という長く、多様な坂本の活動歴の中で、岡村さんが最も惹きつけられるのは、そのスター性にあった。
「坂本さんという人は、何をやらせても素晴らしく、あまりにも多才。なんでもできるがゆえに、いろんな方向に興味を持ったのだと思いますし、現代性やメジャーシーンでいること、大衆との接点を持つような音楽を作るために闘っていたのではないかと想像します。
なのですが……、僕にとっては究極に華がある人でした。もちろん、それがすべてではないけれど、坂本さんがあの“ルックス”でなかったら、世の中の捉え方は違ったと思う。生み出した多くの音楽に対して、完璧であるという説得力や、多少難解であっても聴きたいと感じさせるようなスター性が彼にはあった。だから、実験的で前衛的なことをお茶の間に持ち込み、成功させたのだと強く感じています」
プリミティブでピュア。神聖な気持ちで聴く音
アレックさんの案内で、奏でる目的ではなくノイズを生み出すための楽器や、坂本がフィールドレコーディングした音源に触れた岡村さんはこう指摘する。
「長年、自然音を取り込むことをされていますが、既に録音されている、サンプリングされたものでない異物を音楽に取り込むことによって、そこにしかない生々しいオリジナルの音を生み出すことを目指したのかなと。
自ら録音してきたものなので、ドキュメンタリー性も出ますし。あくまで想像の域を出ませんが、坂本さんは、自然や平和を守るというメッセージ性を持っている方でしたし、社会的な責任感が強い方だったので、そういう気持ちを音ににじませていたのかもしれません」
これらの機材、楽器で生み出された晩年の坂本作品『12』を、岡村さんはどう受け取ったのだろうか。
「晩年の作品は、とてもシリアスだと思いました。プリミティブで、ピュアで、イノセントで、バッハのミサ曲を聴いているような感じもあって。人生とは?人間とは?と問いかけてくる。まるで重く心に響いて考えさせられる映画のようで、毎日聴くものではないかもしれないです。でも、真剣に聴こうという気持ちにさせられる。このスタジオで楽器に触れた時と同じく、神聖な気持ちになりますよね。香りも含めて、坂本さんがまるで今ここにいるんじゃないか、と思わせるような感じ」
坂本という持ち主を失った機材や楽器が、次世代のアーティストや新たな才能を育む場で再び使われるように、坂本が触れ、作り出してきたものは今後も生き続ける。
「音楽がさらに魅力的に広がることを意識して、ライブ映像、MV、映画、アート作品などの映像とのリンクに挑戦していた人でもあります。まだ坂本作品を知らない世代はそういう彼が表現したかった音楽と映像の融合を体験してみるのもいいかもしれません。今後、テクノロジーの発達で、坂本さんの演奏にバーチャルで触れられる機会も出てくるかもしれないですよね」
坂本さんは、 僕のスターです。
取材後も、「もう少し弾いていっていいですか?」とアップライトピアノを弾く岡村さん。