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ライ麦香る黒パンに、リトアニアの魂を感じる

あまり知られていないが、実はリトアニアは美食の国でもある。街中では驚くほど洗練された料理が食べられる一方で、伝統料理にも魅力的なものが多い。中でもライ麦のパンは、リトアニアの根幹とさえ言える。

photo: Yayoi Arimoto / text: Toshiya Muraoka

大国に翻弄されつつも、その芯には変わらないものがあって、今はたまたま「EU時代」に生きているという感覚なのかもしれない。ビルニュスの旧市街にある川沿いの一角には、ウジュピス共和国という自治区のような場所がある。アーティストが多く暮らすいわばコミューンだが、国として独立を宣言し、憲法まで作っている。その文言がいい。

39.勝つな。 40.やり返すな。 41.でも降参するな。

リトアニアは、このスタンスで生きているのかもしれない。わずかな期間の旅でも、その芯の強さに不思議と気づかされる。

どうしてか私は、毎食のように食べる黒パンにリトアニアの芯のようなものを感じてしまった。ほぼライ麦100%の、ボソボソとした黒いパン。だが、噛むほどに力が漲ってくるような感覚がある。首都ビルニュスにある100年以上も続くハレス市場に行くと、蜂蜜やハムやソーセージと並んで、2kg以上もある大きな黒パンが塊のまま売っている。フェンネルシードやヒマワリの種、あるいはハーブなどを混ぜることで食べやすくしているものもある。そのまま家に買って帰り、毎日少しずつ切って食べるらしい。寒く乾燥しているために、冷蔵庫に入れなくともカビが生えることもない。日々の豊かさの象徴のように思えた。

黒パンに塩漬けのラード。寒い国の栄養源

ピルティスというリトアニアのサウナに入ったときにも、黒パンが用意されていた。4時間近くかけて出入りを繰り返すピルティスでは、合間におやつのようにして食べるらしい。黒パンにラードの塩漬けを載せて、あるいはバターと蜂蜜を塗って食べる。どちらも高カロリーで、エネルギーそのもののような食べ物だが、寒さを乗り切るためには必要なのだろう。食べ、汗をかき、リラックスして、再生する。そのループを支える、黒パン。

ノアの方舟のモティーフで知られる聖ペテロ&パウロ教会にあった、聖アントニオ像
ノアの方舟のモティーフで知られる聖ペテロ&パウロ教会にあった、聖アントニオ像もライ麦パンを抱えていた。

ライ麦は、バルト民族にとってとても重要な穀物だった。それほど豊かではない寒い土地で、ライ麦だけが土地に合ったというべきか。いずれにせよ遥か昔から食べられてきた黒パンは、キリスト教とともに西ヨーロッパの文化が流れ込んできた後にも、変わらず大切なものだった。ビルニュスにある聖ペテロ&パウロ教会にある聖人の像が持っていたのも、黒いパンだった。

かつて民家の薪窯では、1カ月に一度、焼かれた

アニクシャイにある、リトアニアの暮らしを伝える博物館で、黒パンづくりのワークショップに参加した。100年以上前の建物を移築したかつての民家には薪窯があって、その裏に寝床があり、温かい場所で家族が肩を寄せ合って眠ったという。木の壁は煙で燻されたように黒くなっている。

民族衣装を着たリタさんから、昨晩仕込んだパン生地を見せてもらう。大きな木桶にどっさりとライ麦の生地が入っている。イーストを使ったパンとは違い、ほとんど膨らんでおらず、見るからに重量感がある。窯に入れるときには、生地がくっつかないよう、川辺に生えている葦を敷くのだという。葦の上に簡単に形を整えた生地を載せ、薪窯に入れる。生地はそのまま食べても発酵食品らしい酸味があって美味しかった。私も500gほどの生地を分けてもらい、手を濡らして、丸くする。捏ねたり、折り畳んだりはしない。ただ形を整えただけで、窯に入れた。

木桶にはほんの少し、今日の生地がこびり付いて残されている。聞くと、この残った生地が、次のパンを焼くときの元種になるという。そこに水とライ麦粉を入れて一晩置く。水分の多いバシャバシャの状態に、さらに粉を足して、1時間ほど寝かしたら生地は完成。そして、成形、焼成という手順に進む。かなりシンプルで手間がかからない。かつての暮らしでは、1カ月分のパンを一度に焼くのだという。つまり、酵母は1カ月、木桶に放置されたまま温度の安定した冷暗所で静かに過ごす。木桶にも酵母菌が住み着いているはずだ。それほど生地を膨らませる必要がないから、餌となる糖分を過剰に与えなくても済むのだろうか。暮らしに根付いた黒パン。その在り方に、やはりリトアニアの芯のようなものを感じる。

子どものような酵母を日本に連れて帰る

かつての暮らしを再現したその古い家には、ライ麦で作られたリースが飾られていた。部屋の角の神棚のような場所に十字架が掲げられ、堅そうな黒パンが供えられていた。

およそ300℃で1時間ほど。焼き上がった黒パンは、どっしりと重かった。裏側には焼けてなくなった葦の跡が残っている。リタさんから「長く保つから、日本に持って帰りなさい」と言われた。一緒にツアーに参加している仲間が、酵母を少し分けてほしいと頼んでいる。ふむ、と少し考えてリタさんは、「この酵母は、子どもたちのようなもの」と言った。だから、分けられないと言葉が続くかと思ったが、「必ず、焼いた結果を報告すること」と言って、その仲間と、慌てて手を挙げた私にも分けてくれた。

旅の間は冷蔵庫に入れながらどうにか日本まで持ち帰った。

週末だけパンを焼き、友人の店に卸している妻に頼んで、その酵母を使ったライ麦パンを焼いてもらった。リトアニアから持ち帰った黒パンに比べると酸味が少なく、どうも物足りなかったのだが、酵母は相変わらず元気に生きていて、時折、黒パンが食卓に上る。あるいは、木桶の中に比べると温湿度が高すぎて、元気すぎるのかもしれない。もう少し寒い季節に、酵母を放置してから焼いたら、あの漲るような黒パンができるだろうか。焼くたびに少しずつ、彼の地で食べたパンに近づいている。年が明ける頃には、リタさんに良い報告ができるはずだ。

リトアニアの伝統衣装を着てパンを成形するリタさん
伝統衣装を着て、パンを成形するリタさん。