坂本龍一のソロアルバム『NEO GEO』(1987)、『Beauty』(1989)に携わって以降、公私ともに坂本と親しい関係を築いてきたのが、音楽・映画プロデューサーのロジャー・トリリングだ。
蘇る『Beauty』制作時の記憶、坂本が決して人を憎まなかった理由、「彼には悪いことをした」と振り返るゴールデングローブ授賞式での一幕。“友人”坂本との思い出を聞くべく、ロサンゼルスにあるロジャーの邸宅を訪ねた。
坂本を困らせた『Beauty』でのブライアン・ウィルソン
——坂本龍一さんの音楽との出会いはいつごろからでしょうか?
ロジャー・トリリング
龍一の音楽は知り合う前からよく知っていました。「ライオット・イン・ラゴス」(1980)や「戦場のメリークリスマス」(1983)は、当時ニューヨークのクラブで非常に人気がありましたから。80年代半ばにYMOが〈Hurrah〉というクラブで演奏したときは(メンバー全員が赤い衣装を着ていましたね)、わたしも観に行っていました。
——実際に対面したのは?
ロジャー
初対面は80年代半ばから後半にかけて、たしか東京だったと思います。ハービー・ハンコックやローリー・アンダーソン、ピーター・ガブリエルらのプロデュースでも知られるベーシストで音楽プロデューサーのビル・ラズウェルと訪れました。龍一のマネージャーで長年の友人でもあったアキ(生田朗)が案内と通訳を務めてくれて。
——そこから7枚目のソロアルバム『NEO GEO』で参加するわけですよね。
ロジャー
龍一と共同プロデューサーを務めたビルのサポートとして、全過程で参加しました。わたしは龍一のことがとても好きになり、2000年代初頭にかけては日本でたくさんの時間を過ごしましたよ。
——ロジャーさんは次作『Beauty』の制作にも参加されています。特に思い出深い楽曲はどれでしょうか。
ロジャー
『Beauty』では共同アシスタントプロデューサーのような立場を務めました。具体的なクレジットは覚えていないんですが(笑)。いまでも大好きな作品ですし、彼もいくつかの収録曲を生涯を通じて演奏していましたよね。そのなかでもよく覚えているのは「Diabaram」でしょうか。
——沖縄の民謡をセネガルのシンガーであるユッスー・ンドゥールが歌った楽曲ですよね。
ロジャー
ある日、龍一がコード進行だけの曲を持ってきて、ユッスーがどう扱うか任せてみようということになったんです。彼はそのままスタジオに入って、あの印象的なメロディを口ずさみはじめるんです。
「Diabaram, diabaram, diabaram……」。即興でメロディを作り、たった1テイクで完璧なものが出来上がった。2テイク目も録ったんですが、必要ありませんでしたよ。坂本を含め、みな本当に驚いたのを覚えています。
——世界の音楽的要素が多彩に入り交じった、非常に実験的な作品である『Beauty』のなかで、沖縄民謡はとても印象的でした。「Romance」や「安里屋ユンタ」「ちんさぐの花」もそうですよね。
ロジャー
「ちんさぐの花」では、沖縄民謡の唄者であるオキナワチャンズ、アフリカのパーカッショングループのファラフィナ、インドのタブラ奏者のパンディット・デニッシュが参加していました。そこに、坂本のストリングスがアレンジとして加わって調和を生み出すんです。沖縄の音楽との調和を探るプロセスは、本当に興味深いものでした。
——制作に携わるなかで、音楽家としての坂本さんをどのように捉えていましたか?
ロジャー
『Beauty』にはさまざまなミュージシャンが参加していて、ブライアン・ウィルソン(元ザ・ビーチ・ボーイズ)との一幕はよく覚えています。歌録りするためにブライアンをカリフォルニアに呼び寄せたのですが、彼はまったく満足できずに何度も何度も歌ってハーモニーを重ねていました。
かたや龍一は、録音を続けたがるブライアンをよそに、1時間で自分のパートを録り終えて満足して帰っていきました。その後龍一とニューヨークに戻ると、ブライアンがスタジオで待っているんですよ。「さぁ、録音を続けよう」と。龍一は「さて、どうしますか」といった表情で、あのときのことは忘れられませんね。
「教授」というニックネームもあってか、龍一のことを厳格な人物だと思う者もいるでしょう。もちろん創作に対する彼の姿勢は常に真剣そのものでしたが、人に対して厳格かと聞かれると、「まさか」というのがわたしの答えです。
わたしは彼が他人に厳しい姿を見たことがない。他人や協働するアーティストに対して何をしてほしいかのビジョンが非常に明確だったので、人に厳しくある必要がなかったんです。
「本当は、あまり楽しみにしていなかった」。坂本最後のコンサート
——坂本さんの作品のなかで何がいちばん心打たれますか?
ロジャー
いうまでもなく、彼の作品はすべて大好きなんですが……最後のオリジナルアルバム『12』は、すべてが信じられないくらい素晴らしかった。そして最後のピアノソロコンサート作品『Opus』。この作品の話を聞いたとき、実はあまり楽しみにしていませんでした。なぜなら、それが彼の別れの言葉になるとわかっていたからです。
——複雑な思いを抱く方も多かったのではないかと思います。
ロジャー
しかし、実際に観てみると驚きました。心から楽しんでいたことはもちろん、音楽的な実験も試みていて、新しい領域の探求を最後の瞬間まで続けていたんです。
龍一の音楽は彼だけの独自のものでした。彼の発想はわたしにとって常に予想外で、新しかった。完成していない作品を聴きにいくとき、わたしはいつもワクワクしたものです。
——そうしたワクワクを、最後のコンサートでも感じることができた、と。
ロジャー
新しい音楽に向き合い続ける姿には本当に影響を受けたと思います。もちろん、彼の信じられないほど広大な音楽の知識にもね。(クロード・)ドビュッシーと(モーリス・)ラヴェルは彼にとって重要ですし、人々もよく彼らと龍一を比較します。しかし、彼はあらゆるジャンルのクラシック音楽を知っていました。
先ほどお話しした「ちんさぐの花」では意識的に(グスタフ・)マーラーのコード進行を取り入れていましたし、印象派だけではなくバッハも深く愛していました。グレン・グールドの大ファンでもありましたね。ショパンの最高のピアニストは誰かと尋ねたときは、すぐに「アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリだ」と教えてくれました。かと思えば、ミュージシャンの青葉市子を紹介してくれたのも、龍一だったりします。
「彼には悪いことをしたよ(笑)」。授賞式でのハプニング
——坂本さんとの印象深い思い出があれば教えてください。
ロジャー
もちろん、悲しいこと、楽しいこと、たくさんありますよ。アキがメキシコで交通事故で亡くなった連絡を受け、龍一とスカイ(空里香)、(吉田)美奈子とでクエルナバカに確認をしにいったこと。事故の前はわたしの家に住む予定さえあったものですから。思い出というにはあまりに悲しく衝撃的な出来事です。
楽しかった思い出でいうと、龍一が手配してくれて京都の桂離宮を訪れたこと。『Beauty』のレコーディングの前後だったと思います。当時は頻繁に東京に行っていましたが、桂離宮は東京以外で行った唯一の、そして最高の場所です。それから、彼がオペラ(『LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999』)を手がけたときにスピーカーを探す手伝いをしたこと、映画音楽で一緒に仕事をしたこと……数えればキリがありません。
——ゴールデングローブ賞の授賞式でも“ある事件”があったとか?
ロジャー
そうそう。龍一が手がけた『シェルタリング・スカイ』の劇伴がノミネートされていたので一緒に会場に行ったんですが、わたしたちは勝ち負けに関心がなかったのもあって、本当に退屈でね。発表を待つあいだずっと座っているだけでしたし、外へ行ってタバコを吸おうと誘ったんです。そしたら、吸ってる最中に受賞が発表されてしまった(笑)。
スタッフが龍一を呼びに駆けつけると、彼はタバコを放り出してステージへ走り去っていきました。後で知ったのですが、テレビでは「ザ・ウィナー・イズ……リュウイチ・サカモト!」と受賞が発表されたあと、別の人がステージに上がって「リュウイチはどこだ?」と慌てているうちに、CMに入ったそうで。これは完全にわたしの責任ですね(笑)。恥ずかしい思いをさせてしまった。悪いことをしましたね。彼は常にプロフェッショナルで真面目な人でしたから。
——ひとりの友人として、坂本龍一さんはどのような存在でしたか?
ロジャー
素晴らしいユーモアのセンスをもっていて、(多くの知的な人物がそうであるように)遊ぶことが好きでした。わたしがLAに引っ越したあとも、レストランやバーに行き、彼らが滞在するウェストハリウッドのサンセット・マーキス・ホテルに戻ってまた話に花を咲かせた。そのとき取り組んでいた音楽を聴かせてもらったりね。
わたしがニューヨークに寄ったときもそう。ごく普通の人間的な交流でしたが、いつも楽しい時間を過ごしていましたよ。彼は美味しい食事と飲み物、そして仲間を愛していました。だから、いつも面白い人々が彼のもとを訪れていましたね。
坂本龍一は、わたしにとって本当に偉大な友人だった。わたしは彼が誰かを憎むのを見たことがありません。特定のことや態度は嫌うかもしれませんが、人を憎むことはなかった。同時に、わたしが出会ったなかで最も偉大な才能の持ち主のひとりでもありました。
多くの人間は言葉や感情でものごとを考えますが、彼は音楽で思考していた。それはとても特別なことです。そんな彼の音楽を、これからの時代の若い世代にもずっと楽しんでもらいたい。とはいえ、わたしの知る限り、若い人々を含めてほとんどの人が坂本龍一を知っているとは思いますけどね。彼の音楽は、時代を超越した美しさをもっているから。