アメリカの精神と重なるサム・マルーフの椅子作り。
ロサンゼルスから内陸に車で約1時間のところにサム・マルーフの工房はある。1940年代から「ウッドワーカー」としてのスタンスにこだわり、精巧なジョイントとフォルムの木工家具を作り続けてきた。2009年に93歳で他界したサムが最後に作った家具は、後妻ベヴァリーのためのロッキングチェアだった。
「体力が弱っていたサムを、クランプで接合した椅子に職人の僕らが抱きかかえて座らせました。ロッキングチェアを揺らしながら、各部位の調整や全体のバランスを最後まで彼自身が見ていました」。
そう語るマイク・ジョンソンがサムのもとで働き始めたのは1981年のこと。現在はマイクとその息子のスティーヴンが〈Sam Maloof Woodworking Inc.〉の工房を切り盛りしている。
歴代の大統領に愛された
ロッキングチェア。
窓には数多くのパターンがかかり、クライアントの名前がマジックマーカーで書かれ、サムの仕事をカタログ然としている。「注文を受けると、サムは最後に取り組んだその家具のパターンを取り出して、まずは床に型取りし、それを遠目に見たり、四つん這いになって検討し、必ず改善点を見つけます。
そんなサムの家具は一つとして同じものがありません」。そんなパターンの中に、CARTERの文字が見えた。あれは?と聞くと、「カーター大統領はサムのことを木工のヒーロー、と呼び、工房にも何度か訪れたことがあります」とマイクが説明する。
何でも、この木工好きの大統領が退任する際、閣僚たちが工具を一式、カーターにプレゼントした、という逸話があるそうだ。サムが作ったロッキングチェアはまた、レーガン大統領時代にホワイトハウスで使われ、アーツアンドクラフツコレクション初のコンテンポラリー作品として殿堂入りもしている。
そもそもロッキングチェアは椅子の中では歴史が浅く、同じく若い国家であったアメリカ合衆国と偶然にも同じ時代に現れた。腰の痛み解消にと医者に勧められたロッキングチェアを、ケネディ大統領がオフィスで愛用する姿がプレス写真に起用されたり、シェーカー家具のクラフツマンシップを体現する名作となったロッキングチェアも、アメリカの産物。
長時間座ることを前提としたロッキングチェアだから、サムは「着るような椅子」であることを心がけたという。5層ものフィニッシュ加工を経て仕上がる家具はどれも時間を惜しみなく注ぎ込んだ逸品だが、製作に3週間半かかるというロッキングチェアが、力学と彫刻美を最後まで追求し続けたサムのアイコン的家具となったのも、アメリカ的な必然なのかもしれない。
サムは自宅にも手を加えていた。家具はもとより、一つとして同じものがないドアの掛け金や、鯨の骨組みのような螺旋階段、前妻のアルフリーダのために作ったプラントの水やりシステムなどは、まさに芸術だった。
様々な創意工夫が込められたサムの家のことを友人たちがいたく心配していた時期がある。ハイウェイ建設の予定地に指定されたからだ。幸い、友人たちのロビイングのおかげで、サムの自宅と工房はカリフォルニア歴史的建造物へ登録され、まるまる5㎞北に移築されることになった。おかげで現在でもハウスツアーに参加すれば、その芸術的な家を拝むことができる。
「今の工房は2000年6月に稼働しました。サムが前の工房の床に描き残したスケッチ跡や、糊の跡、そんなものたちが語る彼のキャリアや歴史はコンクリートの床のスラブと共に置いてこざるを得なかったのが唯一の心残り」だと語るマイク。取材の日、1971年に作られたロッキングチェアが修繕のために工房に届いた。サム自身が作り上げた家具工房は、現在もその技術と共に引き継がれている。