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文学者のロバート・キャンベル、生活する街で変わっていった洋服との向き合い方

モードからストリートブランドまで幅広くおしゃれを楽しむ文学者、ロバート・キャンベルさんが語る「東京服飾物語」。

photo: Nobuko Baba / text: Takuto Kawashima

正直なところ私は今までにメディアやお店に影響された装いをしたことがないんですね。話が1950年代まで遡りますが、私はカトリックのコミュニティで生まれ育ちました。
着るものも食べるものも質素でしたが、私の母親だけは違い“自分が好きな服を着ればいい”と教えてくれたのです。

その教えのせいか、服装がきっかけでよく周りの大人たちと対立しました。けれども親さえ大丈夫と言ってくれれば、自分が好きな服を着ようと小学校の頃から決めていたんです。

自分で服を購入するようになったのはサンフランシスコにいた高校生の時です。当時の西海岸は古着が流行っていました。私は肩パッド入りの厚手のツイードのジャケットにタック入りのウールのパンツといった50年代の古着ばかり。

その時はとにかく自分が着ていて気持ちのいいもの、そして自分が勉強していた文学と関係性のある洋服を着ていたんです。

70年代のサンフランシスコ イメージイラスト
ヒッピーやLGBT運動が盛んだった70年代のサンフランシスコ。

1979年に1年間大学を休学して東京へ来ます。当時印象的だったのは、渋谷パルコです。一つのビルにいろいろなショップが入っていて、しかもそれぞれが持つ個性を調和しているわけでもなく、むしろ喧嘩させている状態に驚きました。パルコのようなお店を今まで見たことがなかったので、とても新鮮に感じました。

開業当初の渋谷パルコ イメージイラスト
アパレル以外にも、劇場などがあった開業当初の渋谷パルコ。

日本を一度離れて、大学院はボストンへ行きました。今度はどこか禁欲的な街というか……。最初は退屈だなと思っていたんです。

ところが間もなく、母親の故郷でもあるアイルランドに行く機会があったんです。アランニットで有名なアラン諸島。その時にローゲージのセーターに出会うんですね。色とかシルエットだけではなく、日本語で言う“風合い”を初めて目の当たりにしたんです。ご存じでしたか?

風合いという言葉って英語にはないんです。ゴツゴツした天然の羊毛、脂によって生まれる光沢感、そしてそのセーターを着て仕事をする村人たち、彼らが発する独特な訛りがある言葉、アイリッシュウイスキーの香りなどが調和して言葉では譬えられないような美しさを感じたんです。

そのアランセーターを何着かボストンに持って帰ることにしました。レンガや自然が多いボストンの街並みにそんなアランセーターはぴったりでした。それから私はボストンが大好きになるわけです。セーターに救われたんです。

ニューイングランドのボストン イメージイラスト
ニューイングランドのボストンはレンガ造りの建物や自然も豊か。

もう、20年以上東京で生活しています。以前との大きな変化はテレビに出演させていただく機会が多くなったことです。テレビに出始めた頃は、スタイリストに衣装を準備していただいていました。持ってきてくださる服はどれもキレイなんですが、オンエアを観ると、どこか違和感を感じる自分がいたんです。

それは番組の内容や自分の発言と服装の間に隙間のようなものがあったからなんです。誰と一緒に何について語るのか。何が目的でその企画が成り立っているのかなどを考慮するためにも、衣装は自分で選ばないとダメだと思いました。

普通の生活では天気や気分などで決める服装ですが、私の場合、その服選びがもっとシビアですし、逆に遊ぶこともできてしまう。自分が発言することに対しての責任や役割などを考慮し、前日に衣装を選ぶようにしています。テレビのおかげで洋服との付き合い方がまた変わったんですね。

東京で生活し始めてからよく着るようになったのはジル・サンダーです。ミニマルで構築的な洋服が醸し出す、内向的かつ知的な雰囲気と、東京の街が私の中ではピッタリくるんです。アランセーターとボストンのように。

テレビに出演するロバート・キャンベル
テレビに出演する際は、ご自身で衣装を選んでいるキャンベルさん。

History

1957:アメリカ・ニューヨーク市で生まれる。
1979:大学を1年間休学し来日。1年間東京で生活をする。
1981:カリフォルニア州カリフォルニア大学バークレー校を卒業。
1985:福岡県にある九州大学文学部研究生として再来日。同学部専任講師を務める。
1995:東京へ移住。
2000:東京大学大学院総合文化研究科助教授に就任。
2007:東京大学大学院総合文化研究科教授に就任。
2017:文部科学省中央教育審議会教育課程部会委員、九州大学経営協議会委員、九州大学グローバル化アドバイザリーメンバー、東京国立博物館評議員会評議員、さらに東京芸術文化評議会評議員などを務める。