今回の展覧会で、「坂本龍一」個人の名義の作品がないのは、人によっては意外に思うかもしれないですよね。いわゆる「個展」なのに展示作品全てが、誰かと共作されたもの。それぞれの共作者がまったく異なる解釈で表現しているので、坂本さんをハブとした人間関係やコミュニティが展示作品を通じて浮かび上がってくるように感じました。
今回の展示は全体的に、『12』や『async』以降の「演奏する体」としての坂本さんをひとつのデータベースとして、様々な視点で読み解くという作品が多かった印象ですね。

高谷史郎さんとの共作《water state 1》を見た時、この作品が極めて抽象的なテーマと具体的な問題を同時に内包していることに驚きました。坂本さんは生前、環境保護や脱原発運動に積極的でしたし、外苑前の再開発に対しても非常に具体的なアクションを起こしていましたよね。それと同時に、自然や環境、都市開発、そして戦争の問題にまで、より広い視点で考えを巡らせていたかと思います。
しかし本作のように、現実の問題をとてつもなく抽象度の高い視点で捉えて表現し、その作品を通じて仲間と対話する姿勢は、坂本さんの具体的なアクションとは印象が異なるものでした。ここまでハードな抽象性を持って制作に取り組むことができる作家は、今のアート界では非常に稀有な存在だと思います。

展覧会の終盤に設けられた松井茂さんのアーカイブコーナーでは、坂本さんがポストモダニストを体現していたことに言及していました。僕は現在30歳ですが、ポストモダニズムを体験した世代ではなく、「それが時代変化だった」という感覚にはどこか距離感を感じています。
例えば、柄谷行人さんと浅田彰さんが編集委員を務めていた『批評空間』のような場所で人々が行っていた知的な交流や触発みたいなものの系譜は、僕らの世代は当然直接見たり触れたりすることは難しくて、断片的な形でしかアクセスできないんです。実際、過去のダムタイプの映像も僕は大学の先輩から代々受け継がれていた闇のハードディスクで見るしかありませんでしたし。
展覧会で再構成されたオペラ作品『LIFE』に基づくインスタレーション《LIFE-fluid, invisible, inaudible...》もまた、オリジナルのオペラを再現するものではないし、追体験することはできない。でも、断片化や抽象化を通じて新たに生み出されたこの作品を観て「こういう解像度でものを作ってもいいんだ」と感じました。作品の再構成が、坂本さんのコミュニティを通じて行われていくそのプロセスにこそ、坂本さんの創作における重要な一面を映し出しているように思えました。

坂本さんが亡くなった後、外苑前の再開発反対運動では、坂本さんの顔写真が広く使われていましたよね。その存在感は、あたかも坂本さん自身がメッセージの主体としての役割を担い続けているように見えます。それと同様に、坂本さん自身が多くの人々をつなぐハブとして存在していたことが、展覧会を通じて改めて可視化されているように思いました。
彼を介した交流やネットワークがこの展覧会という場で実現されている様子には、かつて80~90年代にポストモダンという言葉が人々に夢を与えていた時代の空気が重なるような気がして。
単なる作品の展示にとどまらず、作品を媒介としてアーティストたちの相互理解や交流の場として機能しているところも興味深いです。中谷芙二子さん、岩井俊雄さん、カールステン・ニコライさんといった全く異なるスタイルのアーティストたちが同じ空間で共存することで、作品同士の関係や独自の緊張感が生まれていて、僕にはまるで、この展覧会自体が一つの大きな対話のように感じられました。