案内人・滝口悠生
ゲスト・山崎ナオコーラ
滝口悠生さんが「新人が残りにくかった」と見るゼロ年代を、山崎ナオコーラさんはいかにサバイブしたのか?デビューとなった文藝賞【A】に応募するきっかけから、今後の「文学」の在り方まで語り合う。
ゼロ年代初頭の新人作家の実情。文芸誌の辛辣な批評や厳しい労働環境をどう生き抜いたか
山崎ナオコーラ
2000年前後、大学生の頃はよく図書館で小説を読んでいました。文藝賞を知ったのは、当時一連の著作を読んだ鈴木清剛【B】さんのプロフィールでした。大学4年生のときに初めて小説を書いて応募して。二次選考止まりだったけれど、題名が載っただけでも嬉しかったです。それで応募を続けて、3回目の04年に受賞してデビューしました。
滝口悠生
当時の新人は大変だったんじゃないかと思うんです。中でも批評は厳しく、中には今から見ると明らかに不当なものもありました。
山崎
今となってはもうどうでもいいけれど、確かにかなり辛辣なことも書かれました。しっかり批評してもらえることはありがたいんですけどね。また、文芸誌に載るような批評だけではなく、当時はネットの書き込みもひどかった。2ちゃんねるをはじめとする掲示板やブログは、今よりはるかに匿名性が高く、リテラシーも低かった。よく編集者に相談していましたね。
滝口
デビュー当時、編集者とはどんな話をしたんですか?
山崎
まずは「会社を辞めないでね」と言われました。
滝口
僕も同じです(笑)。
山崎
私は就職氷河期世代【C】ど真ん中。大卒後、非正規で働いてから正社員に転職しましたが低賃金でした。作家になってからも「次作で失敗したら廃業かも」と不安でした。とはいえ、若い作家のために言っておくと駄作を書いても実際は大丈夫でしたよ。新聞の連載エッセイが1週4万円で、会社員の月16万円と同じで、結局、1年で会社は辞めました。
滝口
新聞の仕事は経済的にも大きな支えになりますよね。
山崎
ほかにはいわゆる五大文芸誌の存在を教えてもらいました。それを機に「純文学」を意識するようになって。
滝口
僕がデビューした頃は「純文学」といっても内実はいろんなジャンルや要素が混在していました。自分が書く場は「純文系の文芸誌」だという意識は何となくあったんですが。そもそも「純」ってなんだろとも思うし。
山崎
当時の雰囲気としては、自分が書きたいことや売れそうなことではなく、文学の神に捧げる、作家自身にも一行先がわからないという感じで筆を進めることが求められていたように思います。村田沙耶香さんは天才で、「この人が純文学だ」と感じていました。その村田さんをはじめ、同世代くらいの作家の方々とつながりを持てたことは、今につながる貴重な経験になっています。
滝口
そういう作家同士の横のつながりも大事ですよね。
山崎
特に日中青年作家会議【D】への参加が印象に残っています。日中の若手の作家が集まり、作品の発表などを通して交流を深めるという会で。
滝口
もとは大江健三郎さんが始めた会ですね。
山崎
私は06年と10年に参加しました。西加奈子さん、中村文則さん、小林エリカさんら、デビュー時期も世代も近い方と知り合えて。編集者や校閲さんとの付き合い方を教えてもらったりしました。
滝口
僕が新潮新人賞をいただいたときの選考委員が中村さんで、中村さんも新潮新人賞出身なんだけど、新潮も受賞者同士がつながる機会をもっと作るべきだとおっしゃっていたらしいんですよね。それは山崎さんをはじめ、みなさんとのつながりがあったからこそなのかもしれませんね。
山崎
中村さん、いいこと言いますね。本当につながりは大切だと思います。以前、西さんが「みんなで日本文学の棚を作っていけばいいんだ」とおっしゃっていて。一人じゃなくて、みんながいると思えたことが支えになっています。
滝口
お話を伺っていて、どの賞からデビューしたかでも後の経験が大きく変わるなと思いました。文藝賞は授賞式もあって、そこに歴代受賞者が集まったりしますよね。それに受賞作が本になるからデビュー後すぐに取材を受けたりの機会もある、それはそれで苦労もあるかもしれませんが。文藝賞は今も昔も育成が手厚い印象。
山崎
昨今はコロナ禍や経済状況でパーティは減ったのかも。新人作家は出版社に頼らずほかの方法で出会いを作っているかもしれませんね。私がデビューした頃の同世代の編集者は氷河期を勝ち抜いたエリートで、最近はそういう人が独立したり小さな会社を希望したり仕事の価値が変化しているのを感じます。フリーランスの私も事情ができて働き方を変えています。書き直しが多く収入が後ろ倒しになる、純文学の労働環境に疑問を覚えるようにもなりました。
滝口
大きな修正が必要でも締め切りが迫っているときには無理をしなきゃならないときもありますよね。
山崎
ともあれ時代の変化に期待できますね。SNSや文学フリマなど「本」の形が多様になっています。出版社が本にしなくても「文学」です。私個人は、次の世代のために、いい書評を書いたり、文学賞がなくても生活できる道を開拓したりしたいです。