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野木亜紀子×堤 幸彦が語る、ゼロ年代「テレビドラマ」

ゼロ年代の様々なカルチャーを、現在シーンの一線で活躍する案内人による解説(前編)と、当時を知る証言者との対談(後編)の交互で読み解いていく連載。今回は「テレビドラマ」の後編。計11クールの連続ドラマと、21本の映画。堤幸彦さんがゼロ年代の間に手がけた作品数だ。初対面の野木亜紀子さんを聞き手に当時を振り返る。

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text&edit: Ryota Mukai

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案内人・野木亜紀子
ゲスト・堤 幸彦

疾走感溢れる映像が日本のテレビドラマに革新をもたらした。演出家・堤幸彦が駆け抜けたゼロ年代

野木亜紀子

堤さんのお仕事を改めて振り返ると、2000年4月期に『池袋ウエストゲートパーク』(以下『IWGP』)【A】が、続く7月期に『TRICK』【B】が放送で驚きました。どちらも伝説級のドラマですが、こんなことが可能なんですか?(笑)

堤 幸彦

やりましたね(笑)。ただ、それ以前にADとして働いた頃の方が忙しかったです。ゼロ年代も仕事は多かったですが、映画もドラマも制作にかける時間が長い分、まだ落ち着いて働けていましたね。

野木

『IWGP』は衝撃的でした。1話から密度がすごい。カット数も多くて、クセになる疾走感がある、観たことのないドラマが始まった!と。

宮藤官九郎さんの脚本も、キャストも素晴らしかったですから。プロデューサーの磯山晶さんもアグレッシブな人で、本物のカラーギャングを池袋に集めて取材したり。「腰パンって何センチ下げるんだ?」など観察して。

野木

池袋という街そのものを表現するために「本物」から得たと。

もう、池袋から出ないつもりで。でも実際に放送が始まると、役所も「こんなドラマなのか!」と気づき、殴るシーンだけは公園の外で撮ってくれと、言われたりもしました。

野木

ゼロ年代といえどそこまで無法状態ではなかった(笑)。続く『TRICK』は14年続くシリーズですね。

『TRICK』のシーズン1は大赤字だったんですよ。でもVHSとDVDの売り上げで、結果的に赤字分も取り戻せるくらいになりました。

野木

視聴率至上主義の時代に、ソフトの売り上げという価値を生んだ。

ソフトも楽しんでもらえるよう、特別編集版を収録したり工夫もして。気がつけば14年続いていたという感じでした。オープニングの卵の中身も、はじめは黄身の色を変えていただけだったのが、ひよこになったり。

野木

面白かったです。卵からは当然、黄身が出てくるという発想で見ていると、緑が出てきてギョッとさせられる。これぞトリック!その後の遊びもザ・堤演出!という感じで。

「ふざけてないでちゃんとやれ!」と視聴者に怒られることもありましたよ。01年の『ハンドク!!!』は放送時にリアルタイムでウェブでチャットしたり、視聴率が10%を切ったら丸刈りにすると宣言したり。結局、1桁台にはならなかったのですが。

野木

なってほしかったですね(笑)。

でも関係なしに緑山スタジオで断髪式をして丸刈りになりました(笑)。それはともかく、インターネットのやりとりを介して視聴者の存在をより強く感じられるようになったのは、この頃からでしたね。

野木

単発ドラマ『ホテル サンライズHND〜最後のステイ〜』の最終話「ROOM888『妻の本音』」も印象に残っています。野際陽子さん、北村総一朗さん演じる夫婦が、ホテルの一室で指輪を探す……という話で、いわゆるトリッキーなドラマではない。「堤幸彦はこんなものも撮れるのか!」と当時、いち視聴者として驚きました。

演出が「トリッキー」とよく言われるのですが、特別意識はしていません。ミシェル・ゴンドリーやスパイク・ジョーンズの1990年代の奇抜なMVが大好きだったし、日本では尾崎豊のMVなどで知られる佐藤輝さんの作品も。ドラマなら久世光彦さんのようなものならやりたいと思ってきました。『時間ですよ』など、カルチャーに通じつつ、いたずら心もあるのが魅力。

だから「トリッキー」というのはいわばもらいもので、むしろ意識しているのは「リズム」です。BGM中のドラムのスネアが鳴るタイミングで映像を切り替えていくと、気持ちいい流れができる。学生の頃、バンドと学生運動に熱中した影響でしょうね。

野木

『IWGP』の疾走感は、リズムが生んだものだったんですね。ということは編集にも深く携わっているんですか?クレジットはないような。

現場で撮影しながら編集しています。リズムでミックスしていく感覚です。リズムのために現場でセリフを足すこともありました。『TRICK』で阿部寛さんに「ここで“アゼルバイジャン”と言ってもらえませんか?」と(笑)。編集機材は使いこなせないから、クレジットはありません。

野木

そのリズムはどうやってものにしたんですか?

大きかったのは90年代の日本テレビの21時枠「土曜グランド劇場」【C】での仕事でした。もともと視聴率が取れる枠だったこともあって、新しいことに挑戦しやすかったんです。ここで試行錯誤し、95年からの『金田一少年の事件簿』シリーズ、99年の『ケイゾク』は“狙って”作りました。

TBSのプロデューサー植田博樹さんら、志が近い人と一緒に仕事ができたこともありがたい限りです。と、話してきたけれど今は「本当のデビュー作を作らなきゃ」と思っています。

野木

堤さんはデビュー前だった⁉これだけ大量にドラマや映画を作ってきて、おかしいでしょう!(笑)

いや(笑)。これは私個人の、という意味です。自分が企画して、脚本にもしっかり向き合って、作品を作ってみたい。まだまだこれからなんです。

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