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でか美ちゃん×矢口真里が語る、ゼロ年代「女性アイドル」

ゼロ年代の様々なカルチャーを、現在シーンの一線で活躍する案内人による解説(前編)と、当時を知る証言者との対談(後編)の交互で読み解いていく連載。今回は「女性アイドル」の後編。でか美ちゃんがゲストに迎えたのは、人生最初の推しだという矢口真里さん。モーニング娘。が国民的アイドルになった背景にあったものとは。

前編はこちら

photo: Hiyori Korenaga / text&edit: Ryota Mukai

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案内人・でか美ちゃん
ゲスト・矢口真里

テレビとともに国民的存在となったモーニング娘。とゼロ年代後半に現れた次世代のアイドルたち

矢口真里

ゼロ年代前半は、目立ったアイドルグループといえばモーニング娘。【A】くらいでした。それにテレビ番組のあり方が全く違っていて。モーニング娘。は結成のきっかけがオーディション番組の『ASAYAN』。さらに『HEY!HEY!HEY!』や『うたばん』など、歌番組【B】も多かった。アイドルが少ないけれど歌番組は多い、という時代に登場したことは恵まれていました。

でか美ちゃん

『ASAYAN』の影響力はすさまじかったですよね。そもそも矢口さんはどうしてアイドルの世界に足を踏み入れたんですか?

矢口

人前で歌うのが好きだったんです。それにSPEEDさんが登場したインパクトが大きかった。みなさんと同世代なんです。彼女たちが登場したとき、このままでは芸能界で活動できないと焦ったほどでした(笑)。

でか美

そして1990年、15歳で2期メンバーとしてモー娘。に加入。その年末に初の紅白歌合戦出場なので、瞬く間に国民的アイドルになっていくんですね。

でか美ちゃんと矢口真里

矢口

やっぱり『ASAYAN』の影響力がすごかった。97年の結成以降、レコーディングやパート割り争奪戦、追加メンバーオーディションなど、密着ドキュメンタリーが毎週のように放送されました。おかげでみんなに知ってもらえたんです。

でか美

リアルなオーディションの映像を観て「アイドルになれるかも」と感じた人は少なくないはずです。

矢口

『ASAYAN』で多くの人に認知してもらえる一方で、歌番組ではメンバーの個性がより際立った形で知ってもらえるようになったと思います。特に『HEY!HEY!HEY!』や『うたばん』はトークが欠かせませんでした。そのやりとりの中で、メンバーのキャラクターが立っていったんです。

でか美

矢口さんはMCを務めるなどトークの印象も強いです。

矢口

でも当時はうまく立ち回れなくて反省の日々でした。いわば委員長的な、しっかり者キャラとして認知されていたこともあって。振り返ると、オールナイトニッポン【C】を任せてもらったことが大きな転機になりました。1人で90分話すために毎週トーク内容を考えるんですね。次第に慣れていって、トークが武器になったと思います。

でか美

アイドルってなにか苦手なことがある人の方が人気になるんですよね。極端に言えば、歌が上手でダンスがイマイチでも、その姿が心に響けば売れる。総合的にしっかりしていることは得にならない(笑)。そういう意味では、矢口さんはしっかり者キャラだけどちゃんと売れた史上初のアイドルかもしれません。

矢口

テレビに出させてもらったら、番組スタッフの方ともしっかりコミュニケーションを取ったりね。

でか美ちゃんと矢口真里

でか美

テレビやラジオなどのメディア出演をこなしつつ、ライブやレッスンなども欠かせませんよね。かねてから「アイドルは健康第一」とおっしゃっていますが、当時はどんな日々だったのですか?

矢口

とにかく体力勝負ですね。ガムシャラに仕事をしていたからか、今でもめったに体調を崩しません。その分、一度牡蠣(かき)に当たったときのことはよく覚えてます。その状態で沖縄まで行ってイベントに参加して……。

以来、大事な仕事の前日だけは大好きな牡蠣も控えるようになりました(笑)。体力面以外では、水着撮影の仕事に衝撃を受けました。気は進まなかったけれど、これがアイドルかと。

でか美

今でこそ仕事にNOを突きつけることは認められつつあるように思いますが、かつてはそうもいかない環境があったんですね。モーニング娘。をはじめとするハロプロではユニットも魅力です。矢口さんはタンポポやミニモニ。でも活躍されていました。

矢口

常に並行して2、3のユニットで活動していました。レッスンしてライブして、またレッスンして……と、衣装を着替えるタイミングで気持ちも切り替えるような日々でしたね。

でか美

どうやってモチベーションを維持されていたんですか?

矢口

実家に住んでいたことがなによりの心の支えでしたね。洗濯してもらえるし、おいしいご飯も食べられる。毎日往復3時間かけて仕事に通っていました。何度かホテルで過ごしたりもしたのですが、馴染まず、すぐに実家通いに戻りましたね。

でか美ちゃんと矢口真里

でか美

矢口さんがモー娘。を脱退するのと前後するように、2005年にAKB48がデビューしました。「会いに行けるアイドル」というコンセプトは、それまでのテレビの中の憧れとは違う新鮮さがあって、実際、国民的な存在になりました。当時、どのようにご覧になっていましたか?

矢口

新しかったですよね。いちアイドルとしては、ファンとの交流にも積極的ですごく頑張っていると感じていました。一人一人の歌とダンスのポテンシャルは高いし、メンタルも相当強い。選抜メンバーに選ばれないとCDに声が入らないんですよね。歌いたいからアイドルになった私にはかなりこたえる環境だと思います。

でか美

10年代に入る頃には、実力のハロプロ、努力のAKB、全力のももクロ、と3グループを象徴的に表現する言葉も生まれました。

矢口

面白い言い方ですね。後輩びいきと自覚しつつも歌とダンスが一番上手なのは、やっぱりハロー!プロジェクトだと思います。ももクロはまさに全力ですよね。

ゼロ年代の終わり頃にライブの前座をしてもらったことがあるんです。前列2列に彼女たちのファンが集まっていて。言ってしまえばそれしかいなかったんですけど、一切手を抜かないパフォーマンスに驚かされたのを覚えています。

でか美

モー娘。とももクロで言えば、ももクロは太陽のように上から照らしてくれる存在。モー娘。は横に座って「しっかりせい!」と励ましてくれるような存在だなと感じています。当時、つんく♂【D】さんからグループのイメージについて話をされたりということはありましたか?

矢口

直接言われた記憶はないですね。ただ、特に「LOVEマシーン」以降、曲の方向性が変化したことは当時も感じていました。

「LOVEマシーン」なら「日本の未来は〜」とか、「恋愛レボリューション21」なら「すべて見てきた地球」とか。日本!人類!宇宙!愛!と、男女を超えてより大きなメッセージが込められるようになった。

シャ乱Qとは違うことをしたいという思いはあったかもしれませんが、真意はわかりません。

でか美

今も多くのアイドルがユニークかつ魅力的な個性を持ちつつ活躍しています。矢口さんが今15歳でアイドルになるとしたらどうしますか?

矢口

今は状況が全く違いますよね。SNSでバズりさえすれば、一気に頭一つ二つ抜ける存在になれるけれど、難しいですしね。私は来世でメンズアイドルを目指します。

でか美

どういうことですか?(笑)

矢口

モーニング娘。はドームコンサートをしたことがないんですよ。ワイヤーに吊られたり、リフトに乗って登場したりしたいんです。今世では息子が望めばぜひアイドルになってほしい。ステージママとして見守りたいです。

でか美ちゃんと矢口真里

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