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Recipe Archive「今はなきあの名店の味を自宅で! 」クック井上

“最強料理芸人”の愛称で知られるクック井上さん。残念ながら閉店してしまった名店のメニューを、自身の舌の記憶を頼りに再現、そのレシピを紹介する「十中八九同じ味!思い出巡りの料理レシピ」を『BRUTUS』本誌にて2020年まで約4年間連載。その再現性の高さは、料理好きの間で話題になるほど! そこで今回は、連載の中から本人が選りすぐったベストレシピ30を掲載、さらに「レシピ通り100点を目指さないことこそが料理のコツ」というクック井上さん流の料理術を紹介。気張らず、気楽に、まずは気になる一品を作ってみよう。

Text: Emi Suzuki

オカン、グラハム・カー、浅草〈ヨシカミ〉のシェフが、僕の料理のキーパーソン。

―そもそもクック井上さんが料理好きになったのは?

料理上手のオカンの影響が強いです。お店をやっていたわけではないけれど、手際が良く、とにかくセンスがいい。家族で外食中も、「もうちょっとこの味を足した方が味がしまりそうなのになぁ」「これなら私も似たの家で作れそうやわ」と言ったりして、その後、本当に家で作ってくれたり。僕の舌コピ、再現力のルーツは、オカンですね。幼稚園に通っていた頃から「これからは男も料理できなあかんでー」と言われていて、台所でオカンが料理をする姿を見たり、手伝いもよくしていましたね。同じ頃、料理番組も見るようになって、特に好きだった番組が『世界の料理ショー』。司会を務めていた料理研究家のグラハム・カーが、アメリカンジョークを交えながら料理をして、最後に女性をエスコートして一緒に食べるみたいな番組だったのですが、これがまあすごくおもしろくて、僕も日本のグラハム・カーになりたいと思ったほどドハマりしまして(笑)。

あと、小学生の頃、埼玉に住んでいたのですが、月イチで浅草の洋食の名店〈ヨシカミ〉に連れていってもらったんですね。厨房で火柱をあげながら調理するコックさんたちが憧れの存在で。そのあと、大学に入り、一人暮らしするようになってから、料理熱が加速していきましたオカンが作ってくれた料理が食べたくなり、本人に作り方を聞いたところ、感覚で作っているからレシピらしいレシピはないと言われ、それだったら使う材料と、味のゴールはわかっているから、自分で再現してみようと思ったんです。この頃からオカンや行きつけの馴染みの料理を再現するようになりましたね。試行錯誤しながら作っていると、大体2、3回で近い味になるんです。

料理バラエティ番組として、日本に新しい風を巻き起こした『世界の料理ショー』(1974年〜テレビ東京系ほかで放送。現在はソニー・ピクチャーズよりDVDが発売中)のグラハム・カー。

―それは料理のセンスがある人だからできることですよね?

いやいや、今まで話してきたことが英才教育みたいに思われたら、そんなことはなくて、センスとかのある/なしではなくて、料理を好きかどうか、楽しめるかどうか、だと思うんですね。多くの人は料理本のレシピ通りに作らないといけないとか、きちんと丁寧に手をかけなくてはいけないといった先入観が強いと思うんです。あくまで印象ですが、男性は仕事同様に、完璧を目指しがち。材料もきっちりレシピ通りに量って、工程を守っているから大丈夫だ、と思いがちです。ここに落とし穴があると思っています。万人にとって完璧なレシピはこの世に存在しません。各レシピを尊重しつつも、必ず味見をしてほしいんです。その時の体調やそれぞれの好み、自分の舌や感覚を大事にしてほしい。あれっと思ったら塩ひとつまみ、コショウ少々…など、調味料を足すなりして軌道修正しましょう、と。
そういう意味ではやたらと道具選びにこだわるのも危険です(笑)。「ステーキに使うフライパンはテフロンではなく、やっぱり鉄鍋でしょ!」、とかね(笑)。それも楽しいんですけど、楽しいはずのお料理がこだわりすぎて途中からツラくなったり…。もっと気楽に料理を楽しんでほしいです。

100点を目指さないことこそ、長く料理を楽しむ秘訣。

―日常的に料理をする喜びや楽しみとはどんなところにありますか?

料理って、誰もが小さな成功体験を積み重ねられる場なんですね。自分でメニューを考えて、食材を選んで、料理して、食べる。たとえ思うような味に仕上げられなかったとしても、そこから調味料などを足したりすれば、なんとか形だけでもそれっぽくなって、ゴールに辿り着くことができますよね。今の社会で、1人でスタートからゴールまで完結させられものって実は貴重だと思うんです。

最初は週1回、いや週に1品のペースでも構わないので日常的に料理を楽しんで、自分の味をどんどん開拓していけば、自信にもつながるし、もっと料理する喜びを感じられるようになると思います。

もしお子さんがいるならば、子供たちも料理に参加させましょう。卵を混ぜるとか、餃子を包むとか、簡単な範囲でいいからやらせてあげて、褒めてあげると、料理への興味・関心が芽生え、探求心を育むことができます。

あと料理はストレス発散になります。僕はツライことがあると、煮込み料理をするんです。料理に集中していくうちに、嫌なことや悩んでいたことがどうでもよくなっていくから、肉が軟らかくなっていくのと同時に、心や頭も柔らかくなる感じ(笑)。料理は最高の脳トレとも言われるように、頭がスッキリして、新しいアイデアも生まれやすくなるんです。

―これから料理を始める初心者へアドバイスを。

繰り返しになりますが、料理に正解なんてないから、とにかく気楽に作ってほしい。レシピ本に載っているおしゃれな料理より、おふくろの味とか行きつけのお店の料理の方が自分好みの味に近いし、圧倒的に豊かに感じますよね? だから、両親が作ってくれたお料理や、思い出のお店のメニューの雰囲気を思い出して、あれこれ試行錯誤しながら作ってみればいい。その味は自分の舌にしみついているものだから、いつか近い味を出せるはずです。

ここで紹介する再現レシピは、僕が思い出の味を舌コピして、それを僕なりに再現したレシピを掲載しています。でも、みなさん厳密に再現する必要は全くない。味の好みは人それぞれだから、参考にするくらいで十分。僕のレシピ自体もあくまで、遠い思い出のコピーですから。でも、思い出って、その当時とつながってるなって思うんです。この『BRUTUS』の連載を当時の店主が見てくれて「私たちも懐かしくなっちゃった」と、Twitterで投稿してくれた時は、本当にうれしかったですね。特に僕は結婚してから再現レシピを頻繁に作るようになりました。幼少期や独身時代に自分がよく食べた味を再現して、奥さんに振る舞うと、あの頃の記憶が鮮明に蘇ってくるし、料理を通して思い出を一緒に共有することができる。料理は、人と人とをつないでくれる素晴らしいものだと思います。

クック井上さんが、約20年前に義父(当時はまだ彼女の父)に連れていってもらい、初めて赤提灯の魅力を知ったお店、三軒茶屋の〈久仁〉。残念ながら約4年前に閉店。


〈写真キャプション〉「BRUTUS」連載「十中八九同じ味! 思い出巡りの料理レシピ」第三十九回より。クック井上さんの名店の思い出話も味わい深くて、思わず食べたくなる、作りたくなる。

あの名店の味を自宅で! 「クック井上の思い出巡りの料理レシピ」BEST30

A.朝食・ブランチ
B.サラダ・前菜
C.お酒のつまみ
D.がっつり肉系
E.ご飯もの
F.パスタ
G.そば・うどん

A.朝食・ブランチ

1_神戸・三宮センター街 喫茶店〈フルムーン〉の「ミックスジュース」

クック井上 喫茶店〈フルムーン〉

僕が生まれた町は、異国情緒が漂う港町・神戸。親父の転勤で途中、神戸を離れましたが、高校を卒業して、予備校は神戸で通うことに。勉強漬けを誓ったものの、すぐに遊び友達もできて、喫茶店でバイトをしだす始末。三宮センター街の喫茶店〈フルムーン〉は、店内にコーラのネオンサインやジュークBOX、マスターの足元はいつもウエスタンブーツ、マスターの弟さんが乗り付ける車は古いコルベットと、超アメリカン! 僕は、刺繍入りのボウリングシャツ、リーバイスにサドルシューズを履いて週5出勤(勉強しろ!)。どことなくアメリカンなピザトーストやミックスジュースの作り方をマスターに教わりました。残念ながら阪神大震災後に閉店してしまいましたが、マスターの満月のような優しい笑顔、忘れられません。

2_鶏の〈神田染谷〉の「下北サンド」

鶏の〈神田染谷〉の「下北サンド」

晩ご飯の食材を近くのスーパーや商店街でハシゴしながらに買い物をしていると、「ちょっと小腹空いたね!」と、コロッケやメンチを食べたくなる。かつて下北沢には、戦後の闇市の名残〈下北沢北口駅前食品市場〉があり、おやつにうってつけだったのが、市場の近くにあった、鶏の〈神田染谷〉の「下北サンド」。マスタードをたっぷり塗った薄めの食パンに、でっかいチキンカツがドーン。味つけは、ケチャップをちょい混ぜしたマヨネーズがたっぷり。それを中和するように何枚ものレタスも挟んでギュッとサンド。おやつに奥さんと2人で「下北サンド」を食べた日は、ほぼそれでお腹いっぱい。晩ご飯不要になっちゃって、「今日、何しに買い物来たのかわからないね(笑)」ってなった。でも、それ込みで楽しかったんだよなぁ。

3_喫茶<青い鳥>の「カツサンド」

喫茶店〈青い鳥〉

 僕が通っていた大学の構内には、学食以外に、喫茶店〈青い鳥〉があった。照明は薄暗く、壁はレンガ、テーブルや椅子も年季の入ったもので、およそ大学の構内とは思えない素敵な風情。価格設定は、学食のおよそ倍。貧乏学生には、月に2~3回行くのがやっとだった。定食的なものは学食で食べられるので、みんなここでしか食べられないメニューを注文するのがお約束。中でもカツサンドが絶品。カリッと焼いた厚めのトーストに、たっぷりキャベツとトンカツ。口角が切れそうになるほど大きな口で頬張って、深煎りのコーヒーで流し込めば訪れる幸せのひと時。なぜか、ここで食事をすると、少し大人になれた気分だった。最近、構内にできたお洒落カフェに勝てず閉店したとか。かつて、いつも身近にあった幸せ、それが〈青い鳥〉。

4_渋谷の食堂〈かいどう〉の「ハムエッグ」

4_渋谷の食堂〈かいどう〉の「ハムエッグ」

JR渋谷駅を挟んで、国道246号線の北側にある渋谷区桜丘町3丁目は、再開発の真っ最中。今後建つビルのために、昨秋、周辺のお店が立ち退きを余儀なくされた。創業40年超、半地下にひっそり佇む〈食堂「かいどう」〉も、その一つ。和洋中、色んな定食や料理があって、老若男女どんなお客にも、必ずおのおののど真ん中メニューがある、家庭的な雰囲気が魅力。ポークジンジャー」「カレー」「ラーメン」……、何を食べても滋味深いんだけど、ここで食べる「ハムエッグ」は、瓶ビールとベストマッチだったなあ。営業最終日、ここで昔バイトをしていた後輩と訪店して、お店の方と話をしたら、嬉しい知らせ。数年後に建つビルに入るかもしれないんだって。246の北側のこの“街道”は、一時通行止めで、まだ続きがあるかも!

B.サラダ・前菜

5_下高井戸〈まるしんラーメン〉の「大根の水キムチ」

下高井戸〈まるしんラーメン〉の「大根の水キムチ」

15年ほど前、京王線の下高井戸に住んでいた。風呂なし・共同トイレ・ボロいエアコン・甲州街道沿いで空気悪し……、そんな部屋でよく風邪ひいてたんだけど、そんな時によく訪れたのが、家から徒歩1分〈まるしんラーメン〉。還暦くらいのおっさん2人がタバコ吸いながら作るラーメンの味は70点。けど、夕方6時~朝5時は麺と定食がすべて100円引きという謎のサービスがあって、貧乏芸人にはありがたい存在。で、なんで風邪ひいた時に行くかというと、取り放題の「大根の水キムチ」があったから。それをたくさん食べると、不思議と翌日には超元気に。だから麺や定食よりもそっち目当て! その後、大将が病気で閉店したらしいけど、“大根の水キムチ食べたら元気になるよ”って教えてあげたい! あとタバコやめや。

6_下北沢の焼き鳥〈八峰〉の「ジャーマンポテト」

いまだに閉店を信じられず、お店があった場所の前を通ることがある。僕が一人飲みを覚えたお店、下北沢・焼き鳥〈八峰〉。年季の入った藍色の暖簾をくぐると、寡黙な大将。カウンターに座って、まずはビールと自家製塩辛を頼んで、その日の塩辛の熟成具合を確認してからスタート。その後、日本酒と鳥刺し→柚子つくねを愛でるのが僕のいつものコース。一人飲みだとここまでだけど、知人を連れていった時に必ず頼んだのが、店内のおしながきに“八峰スペシャル”と冠されているメニュー「ジャーマンポテト」。千切りのジャガイモ、醬油ベースの味つけ、どっさりかかった海苔……、まさにスペシャル。鳴呼、なんで突然なくなっちまったんだ。今まで、たくさんの赤提灯を訪れたけど、〈八峰〉は、その最高峰でした。

7_下北沢の和菜旬食〈宿場〉の「オニオンスライス」

店員さんもお客も、みんな活気がある下北沢の大箱居酒屋と言えば〈宿場〉。ライブ終わりのバンドマンや芸人、芝居終わりに激論を交わす劇団員たちで、連日連夜、満席だったが、令和元年9月末で惜しまれつつ閉店してしまった。宿場名物「お刺身三点盛」は、初めて訪店した時は本当に驚いた。だって、三点盛と書いておきながら、偽りありの六点盛!僕は22年前から常連だったが、毎回知りながらオーダーして、この嬉しいサプライズ感を味わうのが常だった。「オニオンスライス」も毎回食したメニュー。普通、卵黄はのっていないのだけど、一度お願いしてトッピングしてもらってからは、何も言わなくてもONしてくれて……涙。〈宿場〉はシモキタをねぐらに、売れるという夢に向かう人生の旅人の、文字通り宿場だった。

8_沼袋 もつやき〈ホルモン〉の 「おしんこ」

1回目の東京五輪が開催された、1964年創業の沼袋 のもつやき〈ホルモン〉が、2019年6月、55年間灯し 続けた提灯の明かりを消した。なんともド直球な屋号 だったが、メニューももつやき各種、煮込み、おしん このみというド直球さ。コの字のカウンターに着くと、 まずはおしんこで一杯。そして、もつやきが焼けたタ イミングでもう一回おしんこ。さっぱりシャキシャキ で、本当によい箸休めだった。〈ホルモン〉の大将は、 長年の立ち仕事で疲れた体を骨休めさせていますかね。

C.お酒のおつまみ

9_東大門の名もなき屋台のメニュー「小さいタコ(ナクチポックム)」

6年前の10月、初めての海外旅行で韓国へ。真夜中に降り立った韓国は既に日本の真冬に匹敵する寒さ。襟を立ててタクシーに乗り込み、向かうは東大門。知人が「韓国行くなら彼にTELしな。よくしてくれるよ」 と紹介してくれた初対面の韓国人夫婦と落ち合い、暖をとるために屋台へ。ビニールで覆っただけの簡素な屋台だけど、中は人の熱気と料理の湯気でポカポカ。そこで食べた「小さいタコ」なる、ザックリしたネーミングのピリ辛メニューが最高マシッソヨだった! 韓国焼酎ともベストマッチ、汗をかく辛さで体も口の中もポカポカ。日本人観光客用の日本語メニューがちょいちょい間違えててクスッと笑えたり、初対面の親切な韓国人夫婦とはお互い片言の英語を駆使しての会話だったり、心もポカポカな夜の思ひ出!

10_東大阪〈美味しんぼ〉のメニュー「いかの天ぷら」

僕の母校は“近大マグロ”で有名な近畿大学。学生数は関西一、受験者数も日本一と超マンモス大学。色んな学部や学科がありますが、僕は文芸学部芸術学科演劇・芸能コースというかなり珍しい学部学科に属していた。演劇というと、稽古後や千秋楽後の打ち上げなど、飲む機会が多いのですが、よくみんなで行ったお店が、大学から歩いて2分程の〈美味しんぼ〉。完全にあの漫画から取ったとしか考えられない店名ですが、決して山岡士郎や海原雄山が訪れるような店ではなく、貧乏学生の為の激安居酒屋。僕らが飲みに行って、まずオーダーするのが「いかの天ぷら」。イカと言っても、正体はさきイカ。皿から溢れそうな天ぷらに醤油七味マヨを纏わせれば至福のひと時。何杯とは数えられないイカで、酒を何杯飲んだことか(笑)。

11_渋谷 呑み処〈細雪(ささめゆき)〉の「肉豆腐」

今年の3月31日、昭和な大人しか辿り着かない老舗居酒屋が、約50年灯した赤提灯の明かりを消した。渋谷・呑み処〈細雪(ささめゆき)〉。お世辞にも綺麗とは言い難い店内、お客をお客として扱わない接客。“本当に平成29年の渋谷かよ!”とつっこまざるを得ないお店だったが、逆にそれが心地いいと感じる昭和の大人たちで、いつも満席。どの肴を頼んでも“絶品”とは少し違う、圧倒的昭和の味。その中に、常連がほぼ100%の確率で頼むメニューがあった。大将の人柄をそのまま表したような、あっさりした味つけと飾らない盛り付けが◎な「肉豆腐」。これにホッピーセットがあればそれだけで訪れる幸せ。奥や裏など色々あるけれど、平成39年までに完成するといわれる新渋谷。しかし、“真”かつ“深”渋谷はここだったと思う!

12_八丁堀〈中華シブヤ〉の「ニラ玉」

「十月の築地市場移転もきっかけとなりまして…」という貼り紙と共に、今年9月、八丁堀で60年愛された〈中華シブヤ〉が閉店した。店主の渋谷さんは、食材の仕入れを毎朝築地で行っていたのだそうだが、市場がお店から遠くなり、それが叶わなくなったんだそうだ。ここの名物メニューは、なんといっても、一皿に2束のニラを使用した「ニラ玉」。ニラをシャキシャキに炒めて甘辛く味つけ、その上に薄焼き卵をのせた、一風変わったニラ玉。味のついたニラと卵が混ざってないから、濃いめの味つけがちゃんと残っていて、史上最強レベルのご飯泥棒だったなぁ。新鮮なニラは臭くなく、甘いんだと教えてくれた一品。あの味と食感は、毎朝の努力の味でもあったんだ。ドラマでは“孤独”の、現実では“みんな”のグルメだった。

13_三軒茶屋のもつ焼き〈久仁〉の「焼なす

閉店してからもうすぐ4年。いまだに、喪失感が……。約20年前に義父(当時はまだ彼女の父)に連れていってもらい、僕が初めて赤提灯の魅力を知ったお店、三軒茶屋〈もつ焼き「久仁」〉。お世辞にも綺麗とは言えない店内、エアコンもないし、いつも満席、通路は狭い。でも、その肩寄せ合う雑多感が良かった。嬉しい時もしんどい時も癒やしの空間だった。店主は、レモンサワー発祥の店〈ばん〉出身の久仁さん。焼き場から離れず、若い衆の仕事を優しい眼差しで見守るその姿が、お店全体に安心感と温かさを与えていた。今でも「なんでこんな良いお店がなくなっちゃうんだろう……」と思う。絶妙な焼き加減と塩梅のもつ焼きその横で焼いた焼なす。香ばしく、ほろ苦く、でもお芋みたいな甘さもあって。人生そのもののような味。

14_渋谷の居酒屋〈富士屋本店〉の「しいたけの天ぷら」

20年前に初訪店。それから少なくとも月に2回。2018年10月に閉店するまでに、200回は通っただろうか…。大衆立呑酒場〈富士屋本店〉。大きな口の字のカウンターにクールファイブかダークダックスのように半身で立ち、千円札と小銭を出す。注文すると、お代は勝手に持っていってくれるシステムだ。最も思い出深いメニューは「しいたけの天ぷら」。大根おろしが添えられているが、醬油をかけるのはご法度。女将のヨシエさんのオススメはお酢。珍しい食べ方だが、これが合う。油をサッパリさせてくれるのだ。味を真似ることはできる。しかし、もうあの場所じゃない寂しさ。なんでなくなっちゃったんだ。世界遺産だろ、富士は……。本当に、みんなのパワースポットでした。歌わせてください。「富士は日本ーの酒場~♪」

15_下高井戸のバー〈高井戸倶楽部〉の「アスパラとツブ貝のガーリックソテー」

十年前のある夜、既にインテリアデザイナーとして成功していた同い年の友人から「お酒落なBarがあるから行こうよ。」と誘われた。「マイナーな場所、かなり隠れ家的なお店だよ。(略)着いたよ!」と到着した場所は、なんと、僕が住む薄汚いボロアパートの真ん前やん!甲州街道から少し入った、工場の2階にある〈高井戸倶楽部〉は、肩の力が抜けた、本当の遊び人が集まるって感じの洗練されたBar。芸人としての年収が数万円だった僕には、全く不似合いな空間…。場違い感を感じつつ、友人の奢りで食べた「アスパラとツブ貝のガーリックソテー」のお酒落な味たるや。自分が住むジメジメしたアパートの真ん前にこんな空間と味があったとは。お金もなく、お酒落に遊べず、“入部"に値しなかった思い出(悲哀)。

D.ガッツリ肉系

16_北浦和のイタリアン〈ポモドーロ〉の「若鶏のクリーム煮」

 「大人と同じものを子どもも一緒に食べる」という両親の方針のもと、僕は小さい頃、お子様ランチやファミレスにはほぼ縁ゼロ! 行くお店は、高くなくとも大人の舌を唸らせる店ばかりでした。今から三十余年前、小学校低学年の頃、当時まだ珍しかった本格イタリアンなんかにもよく行った。親父の転勤で住んでいた浦和の〈ポモドーロ〉。生意気にも僕がよくオーダーしていたメニューが「若鶏のクリーム煮」。香草と白ワインの芳醇な香りが今でも忘れられない。あと何が忘れられないって、プロレスラーの藤波辰爾がウェイターとして働いていた事。握手して貰い「俺、藤波に会ったぜ」と学校で自慢しまくっていた。いや、滑舌良かったし、ただ激似なだけだったんだけど、笑顔で接してくれた。子どもの夢を壊さない優しさに感謝。

17_西荻窪〈とんかつ登亭〉のメニュー「チキンサラダ(盛り合わせ)」

18年前に上京、初めての住居は井の頭線久我山駅とJR西荻窪駅の間にあった、共同トイレ&シャワーの〈けやき荘〉。相方が201号室で僕が204号室。引っ越してまずやった事は、近所の美味くて安い店探し。西荻窪駅周辺を探索し、早速そそる店を発見! 古き良き以上の狭さと小汚さ(褒めてる)の、洋食〈とんかつ登亭〉。白髪&細い目&優しい笑顔、小さいコック帽をちょんと被ったノボルさんと奥さんで営んでいた店の看板メニューは「チキンサラダ盛り合わせ」。まぁ、ハンバーグや串かつ他の揚げ物を適当に盛り合わせるから、どの「〇〇盛り合わせ」頼んでも結果似たものが出てくるんだけど(笑)。機嫌が良い時は盛り過ぎて、多忙で機嫌が悪い時も盛り過ぎて、量も美味しさも優しさも、皿からはみ出し溢れていました。

18_定食<栗林食堂>の「焼肉定食」

〈栗林食堂〉は、地方都市の幹線道路を少し外れた一角によくある食堂の代名詞のようなお店。家族経営で、客席と同じほどある無駄に広い厨房。テーブル席と小上がりの座敷があり、座敷が僕らの定位置。メニューはすべて頭に入っているから、暖簾(のれん)をくぐったら速攻「オムライス」「チャーハン」など、おのおのお気に入りを注文。僕は9割「焼肉定食」。焼肉といっても豚肉。塩梅は少し薄めだけど、焼肉とポテサラ、たくあんと白飯とラーメンつゆのお椀を口内調味したら訪れる至福の味。計算し尽くされていたなぁ。ホール担当の、愛想の悪いふくよかな女性に、サモ・ハン(・キンポー)というあだ名をつけていたことは内緒ですが、目を閉じて今思い出しても、やっぱりサモ・ハン。

19_下北沢(ぶーふーうー)の「チキンソテー」

東京で一番ゆる~くて自由な街、下北沢。今はなき下北沢駅南口からすぐの場所に、数年前まであった喫茶店〈ぶーふーうー〉は、ゆる~く24時間営業。半地下で、さらには極限まで薄暗い照明なので、店内は昼でも夜。バイトは全員バンドマンで、長髪かパンキッシュヘアーに、ピアス&タトゥ&じゃらじゃらアクセという自由のフル装備。そんなお店に、昼夜を問わずに集うお客に一番人気なのがワンコイン500円、看板メニューの「チキンソテー」。甘み抑えめ、醤油が勝った照り焼き風のこいつが、大盛りご飯に合う! 打ち合わせ中のバンドマンも、ライブで滑った芸人も、稽古終わりの役者も、始発待ちの酔いどれも大満足。おとぎ話『3匹の子豚』の教訓“勤勉の大事さ”とはちょっと違う、夢追い人のたまり場でした。

E.ご飯もの

20_新潟市・東堀通〈ヒュリカ〉の「チャッパーカレー」

 もう28年前の話になりますが、中学3年生の時に悪友たちと“バンドやろうぜ!”ということになり、ザ・ブルーハーツのコピーバンドを組んだ。勢いで文化祭で何曲かやることになり、一丁前にスタジオなんか借りて、曲だか雑音だかをかき鳴らした後、細い体でギターケースを背負って入ったカレー店〈ヒュリカ〉の味が忘れられない。70年代っぽいレトロな店内(だった記憶)、肉少なめのキーマカレーにシャキシャキ食感のタマネギ&ピーマンが新感覚。その後、母親に「タマネギはシャキシャキで!」と注文するようになったほど、あの食感にハマった。今でも、別のフライパンでタマネギ&ピーマンを炒めてカレーにINするだけで、あの頃が蘇る。結局、世の中なにが旨いって、懐かしい“カレーライスにゃかなわない”だよね。

21_浅草<あづま>の「純レバ丼」

浅草で寄席・お笑いライブがあると、どこで食事をするか迷います。ただおいしいお店ではなく、味わいのあるお店が多すぎて。洋食屋・喫茶店・赤ちょうちん・謎のお店……。そんな中、2回に1回ほどの割合で足が向いていたお店が、町中華の〈あづま〉。“きたないけどおいしいお店”を紹介するバラエティ番組のコーナーにも登場した、その最たるお店。色んな調味料や油のエキスを吸った薄汚れた値段表、そこに書かれた看板メニュー「純レバ丼」は、“甘辛苦深い”極上の味。脳みそを一切通さずに一気に食い切った時の満足感。ふぅ~、思い出しただけで笑みが……。以前、大将に色々お店の歴史を聞いていくうちに、裏メニューまで出してくれたの、嬉しかったな。今は閉店中ですが、いつかの復活を、純な気持ちで待ってます。

22_新潟<浜茶屋>の「カツ丼(タレカツ丼)」

中学入学の時に、親父の転勤で新潟に引っ越した。雪深い田舎で田んぼしかない、というようなイメージで引っ越したが、新潟市内は全くそんなことはなかった。冬は雪は降るが、イメージほどではない。すごい都会かといえば否だが、ちゃんと程良く都会。自転車を少しこげば綺麗な海があり、夏は楽園。潜水し、テトラポッドから飛び込み、キスを釣り……。真っ黒に焼けるまで遊び、〈浜茶屋(=海の家)〉で食べる食事は最高のご馳走。お金がない時はカップ麺、ある時はちゃんとした食事を頼むのだが、「カツ丼(タレカツ井)」が好きだった。新潟のカツ丼は、醤油ベースのほんのり甘いタレにくぐらせただけのシンプルなもの。卵でとじていない。今でも忘れられない青春の味。隠し味は、舌に残った海の塩味。

F.パスタ

23_下北沢の洋風居酒屋〈ジャンプ亭〉の「イカとツナのパスタ」

いまだに閉店を信じられず、お店があった場所の前を通ることがある。僕が一人飲みを覚えたお店、下北沢・焼き鳥〈八峰〉。年季の入った藍色の暖簾をくぐると、寡黙な大将。カウンターに座って、まずはビールと自家製塩辛を頼んで、その日の塩辛の熟成具合を確認してからスタート。その後、日本酒と鳥刺し→柚子つくねを愛でるのが僕のいつものコース。一人飲みだとここまでだけど、知人を連れていった時に必ず頼んだのが、店内のおしながきに“八峰スペシャル”と冠されているメニュー「ジャーマンポテト」。千切りのジャガイモ、醬油ベースの味つけ、どっさりかかった海苔……、まさにスペシャル。鳴呼、なんで突然なくなっちまったんだ。今まで、たくさんの赤提灯を訪れたけど、〈八峰〉は、その最高峰でした。

24_喫茶店〈フェリシア〉の「ナポリタン」

僕は無類のナポリタン好きで、喫茶店や洋食屋を巡っては、おのおののお店の味を研究しています。が、高校の時に通った喫茶店〈フェリシア〉以上の味には出会っていない。スナック風のドアにはいつも“準備中”の札。というのも、一般の方はお断り。お客は学校をサボって入ってくる僕ら限定! 8人座ったら満席の狭い店には、先生も校則もない。治外法権の秘密基地! 寡黙な笑顔のマスターが作り、お母さんが運んでくれたナポリタンに粉雪のごとくチーズをかけて頬張る。それをコーラで流し込み、食後には煙った空気。これぞ青春の味。そりゃここ以上の味に出会わない訳だ。フェリシアの花言葉は「恵まれている」、欧米では「幸福」を意味する名だそう。大らかな時代に思春期を過ごせて、幸福だったし恵まれてたなぁ。

25_吉祥寺 自家製スパゲティー専門店〈多夢羅〉の「からし明太子」

京王井の頭線・吉祥寺駅の高架下に、デートでよく行ったスパゲティー屋さんがあった。自家製スパゲティー専門店〈多夢羅〉は、今っぽい感じではなく、昭 和の感覚で言う、お洒落感。彼女と行くと、必ず違うものを2種類頼んで分け分け。マストで頼んでいたのが「からし明太子」。極太でモチモチ、しかしアルデンテっぽいシコシコ感もある自家製麵が絶品。その存在感に負けぬよう、生のからし明太子がたっぷり絡んでいた。添えてあるレモンを搾ると爽やかだったのが、 今でも舌に残っていて、思い出しただけで頰が緩む。 ただ、緊張したのが注文時。マスターが寡黙? ぶっきらぼう? いやもうハッキリ言おう。不愛想だった(笑)。店名から推測するに、マスターは田村さん。それをあの当て字……。昔、ヤンチャだったに違いない。

G.そば・うどん

26_お食事処〈きむら〉の「焼きそば」

大学4年間で、約500回は通い詰めたお店がある。お食事処〈きむら〉。木村のおっちゃんとその両親3人の家族経営。弁当の仕出しもやっていて、弁当が余ると「サービス」と称して、学生には激安350円で提供。店に入ると、僕の注文も聞かずに“サービスでええな?”とくる。僕は“今日は何?”と聞き返し、揚げ物が入っていると“若向けやで”と、ない場合は“若向けちゃうわ”と返答がある。若向けだとそのままサービス定食を注文、そうじゃない場合はほかのメニューを頼むんだけど、中でもゴマ油とラードが香る焼きそばが最高だった。で、サービスは若向けじゃないと人気がなくて、焼きそば食べた後に結局、サービスを無料でくれてね。“いや、どんだけサービスすんねん”とツッコんだのも何百回あったことか(笑)。

27_神戸<うどんの富原>の「きつねうどん」

僕は、1歳半から3歳半までの約2年間、親元を離れて、神戸の祖母と叔母の元で育った。叔母が働いている間は、祖母と2人きり。祖母の知り合いと団地の下の公園で遊んだり、買い物についていったりして、大人たちと一日の大半を過ごした。といっても、祖母が聞かせてくれた思い出話で、覚えているような気がしているだけかもしれない。何十回と同じ話を聞いたが、一番よく聞いた話が「あんたが迷子になって、えらい探してたら、勝手におうどん屋さんに入って、きつねうどん食べてたん覚えてる?」という話。想像したらクスッとしてしまう。その〈うどんの富原〉の思い出話のせいだろうか、今でも関西のきつねうどんをよく作る。たぶん、祖母が僕に対してそうだったように、“甘ぁ~い”きつねの味が忘れられないんだなぁ。

28_白山前駅〈ベルっこ〉の「ジャンボミート」

30年ほど前、親父の転勤の関係で、13~18歳の思春期の6年間、新潟に住んだ。今は廃線になってしまったが、当時、新潟には、緑のボディにオレンジの太いライン(昔の高崎線のようなデザイン)の路面電車が走っていた。街中を走るさま、とても趣深かったなぁ(思い出でそう感じるだけで、その頃は、のんびり走る路面電車の魅力に気づく心は持ち合わせていなかったけど)。レンガ造りの小さな東京駅のような見た目の始発駅〈白山前駅〉が、またいとをかし。中にはレトロな喫茶店 〈ベルっこ〉があり、放課後に学ラン姿でよく食べたのが、焼きそばにミートソースがかかった「ジャンボミート」。もともとジャンクなのに、ウスターソースと大量のコショウをかけてさらにジャンクな味にするというのが、僕らの既定路線でした。

29_東大阪〈お食事処「華商」〉の「やきそばチキンカツ定食」

僕の母校、日本有数のマンモス校・近畿大学。1日数万人が学び?に来る広大なキャンパスの2~3割は、体育会のグラウンドや練習場。近くにあったくお食事処「華商」〉は、体育会所属学生御用達。空腹を満たすために、どのメニューも安くて大盛り。あらゆるメニューにチキンカツが大活躍で、チキンカツ定食にポン酢チキンカツ井、チキンカツラーメンなんてのもあった。文芸学部の僕が、体育会に交ざってよく食したのが「やきそばチキンカツ定食」。特大チキンカツ+焼きそば+日本昔話ご飯+味噌汁+冷奴=驚安600円。チキンカツ井の上に肉炒めがのっているスタミナ井は、体育会の間で「完食して一人前」といわれるほどの爆盛り。ヘルシーなんて糞食らえ。胸焼け小焼けで日が暮れて~。食後は腹パンすぎて死ぬ思い出death。

30_野方 つけめん処〈みつば〉の 「にらそば」

田端で5年、池袋で16年、そして平成元(1989)年 に野方に移って31年……。野方・つけめん処〈みつば〉が、令和元年12月、約半世紀の歴史に幕を閉じた。
「19歳で新潟から集団就職で上京して、住み込みの中華料理屋で出会って。夫婦になって長い間一緒にお店やって、年を取りました。あとは若い人が頑張って!」と女将さん。寡黙な大将との素敵なエピソードを聞きながら食べた「にらそば」が忘れられない。ツルッとした平打ち麺に、優しく甘めの醬油ベースのス ープ、そこにニラなどの野菜が入ったピリ辛餡かけがよく絡んで、寒い冬でも体の芯から温まった。今後は 「餃子のお持ち帰り販売だけ再開するかも」とのこと。 お店の名前は〈みつば〉でも、ご夫婦のおかげで、四つ葉のクローバーのような、幸せなお店でした。