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〈OFFICINE UNIVERSELLE BULY〉を成功に導いた実業家、ラムダン・トゥアミとは何者なのか?

問いかけても、すぐどこかへ旅立ってしまうラムダン氏。彼がどんな人生を歩んできたのか、いかにして〈ビュリー〉を成功に導いたのか、知らない人は多いはず。ホームレスになる、貴族と結婚する、事業に成功し億万長者になる。まるで人生ゲームのような一人の実業家の生きざまを知っておいて損はない。

本記事は、BRUTUS「センスがいい仕事って?」(2024年2月15日発売)から特別公開中。詳しくはこちら

photo: Alex Tabaste (19, 20, 21) / coordination: Masaé Takanaka / text: Shoko Yoshida / edit: Tamio Ogasawara

全身実業家ラムダン・トゥアミ。激動、濃厚、ときどき迷走の50年

今でこそビジネスの成功者となったラムダン氏。だがその人生は起伏に富む山の険しさを思わせる。

モロッコ系フランス人両親の下に生まれたラムダン氏の故郷はフランス南西部のモントーバン。母は裕福な裁判官が所有する別荘のメイド、父はそのお屋敷の農園で働いていたが、経済的には貧しく、家族6人でお屋敷の横の小さな家で暮らしていた。自然ばかりの村でやることは、父親の農作業を手伝うことのみ。「生きる喜びを感じない退屈な幼少期だった」と振り返るが、唯一心が躍ったのは毎年恒例のパリ旅行。

「作物収穫後のオフシーズンだけ親戚とパリに行けたんだ。祖父の手を握りながらモスクやアーケードのあるパサージュを散策し、荘厳な建築物を見上げては陶酔したよ。時折、両親の働くお屋敷の中を覗いた時もそうだったけど、重厚なインテリアや内装など自分が育った環境とは別の世界に触れるたびに、息をすることさえ忘れ、すっかり魅了されていたのです」

こうした経験や記憶が、19世紀の美意識を蘇らせた〈ビュリー〉の再建に大きな影響をもたらすのだが、それはまだまだ先の話。これらの思い出は成長するにつれ忘却の彼方となり、辛酸をなめ続ける青春時代が幕を開ける。

Tシャツ事業で大儲け。拉致されホームレスに

当時のパリはまだアラブ系移民への差別が根強く、アウトサイダーとして中高生時代を過ごしたラムダン氏。そんなある日、悪友の悪ふざけで弾の入っていない拳銃をバッグに入れられ、警察沙汰に発展してしまう。学校は退学処分、家から離れた全寮制高校にやむを得ず転校する。しかし、転校先では一転、ロックスターのようにチヤホヤされる日々が待っていた。

「友人の勧めで、オリジナルTシャツを販売したんです。大好きな〈ティンバーランド〉をもじった〈トゥシーランド〉というロゴ入りで。大麻の国という意味ですが、これが大人気に!自分の独創性が誰かに喜びを与えられると感じた、最初の経験でした」

親に内緒で高校も中退し、パリ市内で商品を卸してTシャツ作りに励んだ結果、短期間で大金をゲット。天狗になっていたところに、人生最大の災いが降りかかる。

「ギャングに目をつけられ、“金を出せ”と誘拐されたんだ。空き家に2日間監禁され、現金はすべて奪われました。揚げ句、親からはドラッグを売っていたと思われ勘当。何もかも失い、18歳でホームレスになってしまったのです」

ヒッチハイクをしながらパリに辿り着き、辛く寂しい1年間の路上生活が始まる。見知らぬ人にふくらはぎを刺されるなどの凄絶な経験をするが、だからこそ、「トラブルや危険を察知する嗅覚と、物事の本質を見極める力が身についた」とラムダン氏は言う。強靱な精神力を養い、路上生活中に出会ったガールフレンドの家に居候してホームレスを脱出すると、早速スケーター仲間と共にスケートボードブランド〈King Size〉を立ち上げる。事業は軌道に乗り、ある石油関連企業の女性から買収オファーが舞い込んだ。

「仲間には内緒で売却しました。ブランドマネージャーとして、その女性の下で働いたけど、指図される苦しさでノイローゼになった。もう我慢ができず、出張先の車の窓から社用携帯を投げ捨てて蒸発したら、訴訟を起こされ大金を払う羽目に。散々でしたが、それ以降、誰かの下では働かないと決めたのです」

妻の存在と自分の過去がビジネスを躍進させる

次に着手したのは、洋服や家具、雑貨、雑誌などを一挙に取り扱うコンセプトストア〈L'Épicerie(レピスリー)〉。時の著名人たちとのコラボも扱い、話題のスポットになったのだが、羽目を外しすぎた船上パーティによる破産で、たった1年で終止符を打つ。また振り出し。

しかし、闘争心を燃やしていた同じ業態の〈コレット〉の広報担当だった女性との出会いが、今後の道標を照らすこととなる。のちの妻であり、〈ビュリー〉を共同経営することになるヴィクトワール・ドゥ・タイヤックだ。彼女は小説『三銃士』に登場する銃士の子孫にあたる名家出身の由緒正しき貴族。ラムダン氏に与えた影響は、彼女の姉の夫であるサザビーリーグ創業者・鈴木陸三氏を紹介したことで、ラムダン氏が〈アンドエー〉のアートディレクションを務めたことだけにとどまらない。

「彼女の美しい立ち居振る舞いや、生まれ育った屋敷を見て、幼少期の記憶が蘇り、過去に眠る自分の美意識が呼び覚まされたのです」

それからのラムダン氏は、古き良きパリの伝統や精神、エレガンスを投影したプロジェクトを生き生きと発表し始める。破産寸前だったフランス王室御用達のキャンドルメーカー〈シール トゥルードン〉を商品から店舗に至るまですべて刷新。〈ビュリー〉の再建はその最たるものだった。

さらに、デザインから生産までの工程をインハウスで高クオリティに収めるために、活版印刷会社やシルクスクリーン工房、自社のクリエイティブエージェンシーを立ち上げ、そこから派生して、オリジナル雑誌やアパレル制作などにも事業を拡大。山好きが高じてスイスの老舗ホテルを買収したり、家族でモロッコや日本に移住したりするなど、公私共に世界中を駆け巡る。

「ありがたいことにコラボレーションや仕事の依頼は毎日のように届くんです。今はとあるカフェをティーカップからメニュー、インテリアまですべてを準備中。あっと驚くようなプロジェクトも控えています。昨晩はローマに引っ越そうと思い立ち、早速内見の手配もしてもらったんだ。〈ヴァレンティノ〉の友人アレッサンドロ・ミケーレにも会いに行くよ!」

1974

・フランス南西部モントーバンのモロッコ系移民の家庭に生まれる。
・両親が仕えたお屋敷の、横にあった小さな家で育つ。(1)

(1)

1986

・12歳。学校に行くために6㎞歩き、父の農作業を手伝う毎日。
・毎年恒例のパリ旅行が唯一の楽しみ。
・スケートボードをして過ごす。

1988

・両親の働き先のお屋敷が売りに出され、一家でホームレスになりかける。
・幸いにもモントーバン郊外に家が見つかり、一家で引っ越す。

1989

・15歳。足腰が弱く薬を買いに行けない老人向けに、薬版Uber Eatsのような事業を思いつく。
・医者と高齢者の連絡先をまとめ、友人から借りたスクーターでビジネス開始。地元紙にも取り上げられる。
・スクーターが故障。と思いきや、事業を買い取りたいと名乗り出た男性に、6000フランで顧客の連絡帳を売却。

1990

・弾の入っていない拳銃を学校に持ち込んだことにされ退学処分に。
・地域の全学校から転入を断られ、家から遠く離れた全寮制の学校へ。
・Tシャツブランド〈Teuchiland(トゥシーランド)〉を立ち上げる。

1992

・〈Teuchiland〉のスエットを学校やパリで売り大儲け。(2)
・親に内緒で高校を退学。

〈Teuchiland〉のスエット
(2)

1993

・スエットシャツ販売で儲けすぎたため、ギャングに連れ去られる事件に発展。
・稼いだ現金が奪われた揚げ句、親にも勘当されホームレスに。
・パリ市内で路上生活中、見知らぬ人にふくらはぎを刺される。

1994

・20歳。フランス初のスケーター向けアパレルブランド〈King Size〉を立ち上げる。(3)
・76ヵ所の店で販売されるまで拡大。

フランス初のスケーター向けアパレルブランド〈King Size〉
(3)

1996

・初めて日本を訪問。〈コム デ ギャルソン〉、NIGO®、高橋盾、ビームスなどの服飾カルチャーに衝撃を受ける。
・〈King Size〉を石油関連企業に売却。

1997

・コンセプトストア〈L'Épicerie(レピスリー)〉をパリ市内にオープン。(4)
・マーク・ジェイコブスやジェレミー・スコットと知り合いコラボレーション。ソフィア・コッポラとも友達に。
・「ポレット」Tシャツを作り、勝手に目の敵にしていたコンセプトストア〈コレット〉に喧嘩を売る。(5)
・のちに妻となるヴィクトワール・ドゥ・タイヤックと出会う。
・ベルギーのリアリティ番組『Strip-Tease』に出演。
・〈L'Épicerie〉で豪華な船上パーティーを開催。船を傷つけたことによる損害賠償で資金難に陥り閉店・破産。

1999

・百貨店〈ル・ボン・マルシェ〉の〈33-1. R LAX〉でバイヤー兼アーティスティックディレクターを務める。(6)

百貨店〈ル・ボン・マルシェ〉の〈33-1. R LAX〉でバイヤー兼アーティスティックディレクターを務める
(6)

2000

・サザビーリーグ創業者の鈴木陸三から、〈アンドエー〉のアートディレクションを任され、拠点を東京に移す。

2001

・新生〈アンドエー〉のストアが東京にオープン。(7)
・〈アンドエー〉を去りフランスに帰国。
・帰国後2年間ほど、カーレースやパーティ、旅などの遊びに時間を費やす。
・ヴィクトワール・ドゥ・タイヤックと、美容セレクトショップ〈パルフュメリ・ジェネラル〉を立ち上げる。(8)

2003

・ロンドンの老舗百貨店〈リバティ〉メンズ館のバイヤー兼ディレクターになり、リニューアルに成功。(9)
・ファッションブランド〈R.T.〉と〈RESISTANCE〉を立ち上げ、パリコレにも参加。(10)

2004

・30歳。アートギャラリー〈ST. PÈRES(サンペール)〉をパリ市内にオープン。(11)

アートギャラリー〈ST. PÈRES(サンペール)〉
(11)

2005

・1643年創業のフランス最古のキャンドルメーカー〈シール トゥルードン〉の再生を持ちかけられる。

2007

・〈シール トゥルードン〉を刷新し、リニューアル。(12)
・この後3年間で、卸売りビジネスの成長に伴い、世界59ヵ国で販売。
・〈ユニクロ〉の「UT」でアーティストのキュレーションを手がける。
・フランスの現代アーティストが手がけたオペラ作品のコスチュームデザインを手がける。(13)

2009

・家族でモロッコへ移住。
・現地でアフリカ料理レストランとドンキーポロクラブを経営。(14)

アフリカ料理レストランとドンキーポロクラブを経営
(14)

2010

・1884年創業のキャンドルメーカー〈Carrière Frères(キャリエール・フレール)〉を刷新。自ら〈シール トゥルードン〉の競合を手がける。(15)
・モロッコのレストランとドンキーポロクラブを売却。
・スペイン・バルセロナの百貨店〈SANTA EULALIA〉全体のディレクションを任される。(16)

2011

・貴族出身のヴィクトワール・ドゥ・タイヤックと結婚式を挙げる。
・〈シール トゥルードン〉の買収を提案するも、拒否される。保有株を売却し、ブランドから離れる。

2013

・1803年創業の総合美容専門店〈オフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリー〉(以下ビュリー)の事業に着手。(17)
・美容雑誌『Corpus』を妻のヴィクトワールと創刊。

1803年創業の総合美容専門店〈オフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリー〉
(17)

2014

・40歳。〈ビュリー〉を再建。1号店をパリ・ボナパルト通りにオープン。

2016

・家族で東京・神楽坂に移住。(18)

ラムダンの神楽坂の家
(18)

2017

・〈ビュリー〉日本1号店を東京・代官山にオープン。

2018

・アートとデザインを手がけるクリエイティブエージェンシー〈Art Recherche Industrie〉を立ち上げる。
・スイスの印刷会社を買収し、〈S.H.I.T〉として立ち上げる。(19)

〈S.H.I.T〉
(19)

2019

・〈ビュリー〉でルーヴル美術館とのコラボレーションコレクションを発表。

2020

・シルクスクリーン工房〈PARISIAN SCREEN PRINTING WORKSHOP〉を立ち上げる。(20)
・パリのホームレスに石鹸を寄付し、街中で配布する。
・好きが高じて、世界に3台しかないというデザイン界の巨匠、ジャン・プルーヴェの自転車を購入。(21)
・自身をテーマに自己中心的な興味だけを注ぎ、編集に携わった活版印刷による雑誌『WAM』を創刊。(22)

2021

・〈ビュリー〉をLVMHグループに売却。社外のアーティスティックディレクターとして引き続き携わる。
・パンデミック中、パリで新店オープンが許されていたガソリンスタンド〈The Gazoline Stand〉をローンチ。(23)

ガソリンスタンド〈The Gazoline Stand〉
(23)

2022

・東京に自宅を建てるため、土地を購入。

2023

・パリに自宅を購入。
・スイスの山岳地帯ミューレン村のホテルを買収。リニューアルして〈Hotel Drei Berge〉を開業。(24)

〈Hotel Drei Berge〉
(24)愛犬の名はトントン

2024

・50歳。山をテーマに雑誌『USELESS FIGHTERS』を創刊。
・セレクトショップ〈A Young Hiker〉をパレ・ロワイヤル内に開店。
・カフェ〈Drei Berge Utopia〉を開業。
・〈A Young Hiker〉〈Drei Berge Utopia〉をまとめる形で、コンセプトストア〈WORDS, SOUNDS, COLORS & SHAPES〉をパリ市内にオープン。
・〈ザラ〉がマドリードの旗艦店内にオープンしたカフェ〈ザカフェ〉のアートディレクターを務める。

2025

・ローマへ移住、の予定。

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