翻訳家の岸本佐知子によるアンソロジー『変愛小説集』全2巻を読むと、ミランダ・ジュライの短編「妹」をはじめ、すべての恋愛は、第三者から見たら“変愛”ではないのか?と思ってしまう。
ポール・トーマス・アンダーソン(以下PTA)の監督第4作『パンチドランク・ラブ』('02)は、変愛映画の金字塔だ。タイトルは“強烈な一目惚れ”の意。
ハリウッドの北、サンフェルナンド・ヴァレーでバリー(アダム・サンドラー)はトイレの吸盤棒を販売中。仕事は真面目だが、食品会社のマイレージ宣伝の応募要項のスキをつき、プリンを大量買いして一生無料で飛行機旅行をしようとする変人だ。
心優しいのに急にキレることがたびたびで、心の中にいる暴力的な自分の存在に悩んでいる。そんなバリーを、バツイチでインテリのリナ(エミリー・ワトソン)がなぜか逆ナン、2人は一生で一度の恋に落ちる。
バリーは一人寝が寂しい夜、うっかり電話版風俗を利用したため、ゆすり屋ディーン(フィリップ・シーモア・ホフマン)から脅しや暴力を受ける。
結果、バリーはハワイへ出張中のリナに会うために自腹で飛び、彼女を守るために自分の中に湧き上がるパワーを正義のために使うことを学んでいく。
サウンド&ビジョンの
効果を知り尽くした監督。
まず、キャスティングの確かさだ。アダムは『俺は飛ばし屋 プロゴルファー・ギル』('96)で激昂癖のある主人公を演じ、ロマンティックコメディ『ウェディング・シンガー』('98)でドリュー・バリモアの相手役も務めた男だ。
エミリーは『奇跡の海』('96)をはじめ、幸薄い役のイメージが強いものの、ジャン=ピエール・ジュネが『アメリ』('01)の初期構想では彼女を主役に考えていたという“不思議ちゃん”キャラも内包する女優なのだ。
映画史をわかっている。それでいて、バリーの7人姉妹のうち6人は素人の本当の姉妹を起用する賭けもあり。
次に脚本も、実在する“プリン男”土木作業員デイヴィッド・フィリップス氏に取材し、彼の話を映画化する権利を買い取ることからスタート。はなからアダムとエミリーに当て書きしたシナリオゆえ、巧みに練られている。
特筆すべきは、世の中の刺激に怯えがちなバリーの知覚と連動した一人称カメラや、交通事故のシーンをはじめ、突如音量が大きくなるSEなど、サウンド&ビジョン効果を熟知していること。結果、PTAは、デヴィッド・リンチが審査委員長だったカンヌ国際映画祭で最優秀監督賞を受賞!
アルトマンの魂を継承し、
現在性の高い作品を撮る。
ところで、PTAといえば、27歳で1970〜80年代のポルノ映画業界における擬似家族の愛を描いた『ブギーナイツ』('97)を、29歳で12人の一見無関係な人間関係が運命のイタズラで共鳴する24時間を描いた『マグノリア』('99)を監督・脚本。群像劇を得意とするロバート・アルトマンの若き後継者としても高い評価を得た。
ちなみに、第2作は152分、第3作は179分。しかし、PTAは本作では群像劇を禁じ手にし、その頃同棲していたフィオナ・アップルの影響もあるのか、音楽を作るようにラブストーリーを撮った。尺は95分。
彼は自分で自分の殻を破ったのだ。おまけに、アダムに鮮やかなブルーのスーツを着せることで、アステア&ロジャーズ時代のミュージカルの雰囲気も漂わせる合わせ技あり。
ところで、サントラで印象的なのはアルトマンの怪作『ポパイ』('80)で、オリーブ役のシェリー・デュヴァルが歌う「HE NEEDS ME」(作詞・作曲:ニルソン)このラブソングが、2人の応援歌として多用されているところだ。『ブギーナイツ』のいい場面でビーチ・ボーイズ「神のみぞ知る」('66)をかけた、耳のいい監督ならではの選曲だ。
その後、PTAは闘病中のアルトマンから遺作『今宵、フィッツジェラルド劇場で』('06)のスタンバイディレクターに選ばれた。
2007年、PTAは、プロレタリア文学『石油!』('27)を大胆に改変した『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』を発表。宗教とエネルギーという現代性の高い問題に切り込む。ジョニー・グリーンウッド(レディオヘッド)の音楽は、作品のテンションを上げた。
現在はトマス・ピンチョン初の探偵小説『インヒアレント・ヴァイス』('09)を映画化中。PTAは自己模倣しない点でも、アルトマンの魂を継承する映画作家だ。
ポルノ映画版『アメリカの夜』と
話題になった出世作!
現代のLAに蘇った
ポパイとオリーブのような純愛映画。
緊張感溢れる、石油成金と
カリスマ牧師の仁義なき戦い。
ポール・トーマス・アンダーソン
を語るのキーワード
二世タレント:PTAの父、アニー・アンダーソンは地方局の番組でB級怪奇映画を紹介。その後、LAでテレビのナレーターとなり、人気者になった。
若き大物:第1作『ハードエイト』('96)で、ジョン・C・ライリー、フィリップ・シーモア・ホフマンなど性格俳優を起用する大物ぶりだった。
映画術:『ブギーナイツ』冒頭の、映画館の看板からディスコの中に入り、主要登場人物を一通り紹介する長回しなど、王道の映画術も持つ。
フィオナ・アップル:『パンチドランク・ラブ』の頃はフィオナと同棲していた。ミュージシャンの録音に立ち会って、小さな映画を撮る閃きを得たという。
師アルトマン:45歳上の敬愛する巨匠から『今宵、フィッツジェラルド劇場で』の撮影中に自分に何かあったらと頼まれるほど、信頼されていた。