Visit

岡本仁が巡る、名古屋のパブリックアート散歩案内

名古屋という町は、歩いているだけで様々なアートに出会うことができる。例えば、地下鉄の駅構内にひっそり佇む壁画だったり。わざわざ立ち止まってでもゆっくり鑑賞したくなる、パブリックアートを巡る散歩案内。

初出:BRUTUS No.895「名古屋の正解」(2019年6月15日号)

edit & photo & text: Hitoshi Okamoto

答えは壁に描かれているよ

どうしてそんなに名古屋へ行くのかと、この頃、よく訊(き)かれるので、その理由について書こうと思う。2019年の3月31日、栄にある中日ビル(中部日本ビルディング)が老朽化対策と栄地区の再開発という理由で閉館した。2020年度までに解体を終え、2024年度完成予定の新しい中日ビルが建つ。

閉館のニュースを聞いた時から、1階ロビーの天井に設置されたあの巨大なモザイク画は保存されるのだろうかと、ぼくは気がかりでならなかった。2019年の2月になって、どのような形になるかはまだわからないが、保存するという発表がありホッと胸を撫で下ろした。

中日ビルの天井モザイク画は「夜空の饗宴」というタイトルが付けられている。作者は矢橋六郎(1905~1988)という画家だ。矢橋六郎の名前は東京・有楽町にある〈東京交通会館〉の壁画の作者として知った。吹き抜けの階段に2.5階分の高さの大壁画があることに気づいて、作者名と作品名が書かれたプレートを読んだのだ。

わかりやすい具体的なモチーフがない、抽象画のようなそのモザイク壁画は、近寄ると大理石の小片を組み合わせてつくられていた。自然石そのままの色だから、例えば緑でもそれぞれに固有の微妙な色合いを持っている。

そのグラデーションを巧みに使っているため、大理石なのに「タッチ」や「ストローク」が感じられて、ぼくは矢橋六郎に興味を持ち、彼について調べ始めた。丸の内や日比谷にいくつかある他の壁画も見て歩いた。どれも素晴らしいものだった。それだけでは飽き足らなくなって、さらに調べると名古屋にもいくつかあることがわかった。

矢橋六郎は岐阜県大垣市にある矢橋大理石の創業者の六男で、画家を目指して東京の美術学校に進み、さらにパリに留学していたが、昭和8(1933)年に帰国して家業を手伝うようになった。矢橋作品が名古屋に多いのは彼の出身地に近いからだろう。そして矢橋作品の緻密さは、彼自身が素材となる大理石を熟知していたからこそに違いない。

矢橋六郎と北川民次、そしてメキシコ壁画運動

ところが作品集やネットなどで調べた矢橋六郎の壁画の中でも、とりわけ巨大な作品がエレベーターホールにあったらしい大名古屋ビルヂングは、すでに新築の建物に変わっているようだった。矢橋作品は1960年代に制作されたものが多く、ビルの解体や改築などで、撤去されてしまっているケースがある。

美術館に所蔵された作品とは違い、壁画はその保存を約束されたものではないのだ。興味を持つのが遅すぎたかとがっかりしたが、2017年の2月に大名古屋ビルヂングに行ってみたら、作品は一部が車寄せに移設保存されていた。他にも資料では地下商店街にあるとされていた壁画が、地下鉄の改札口の近くに移設されているということもあった。

名古屋〈大名古屋ビルヂング〉
大名古屋ビルヂング(名駅)
新しい大名古屋ビルヂングの車寄せに移設された矢橋六郎のモザイク壁画「海」(1962年)の一部。昔の写真では、エレベーターホールに2階分の高さの壁画が2面あったようだ。
住所:名古屋市中村区名駅3-28-12|地図

そのうちにどこそこの駅のコンコースにもありますよと、教えてくれる善意の人たちが現れ、すぐに駆けつけた。さらに、名古屋にはモザイク愛好家と名乗る女性がいると聞いた。その女性が矢橋六郎の壁画見学ツアーを開催するらしいと知り、すぐに参加を申し込んだ。数年前の秋から年に一度行われている『やっとかめ文化祭』のコンテンツのひとつだった。

街を歩きながら文化を知るというそのツアーで観た愛知県庁西庁舎の壁画は大きさといい完成度の高さといい、息を呑むような美しい作品だった。2018年の10月31日のことである。

名古屋〈愛知県庁西庁舎〉
愛知県庁西庁舎(市役所駅)
モザイク愛好家・森上千穂さんが案内する街歩きツアー(2018年10月31日開催)のクライマックスは、県庁西庁舎1階ロビーにある矢橋六郎の壁画。タイトル不明。
住所:名古屋市中区三の丸2-4-1|地図
営:8時45分〜17時30分観覧可能(土曜・日曜・祝日を除く)

この日にはじめて観たカゴメ名古屋本社の壁画は、原画を北川民次(1894~1989)が描いたものだった。北川が原画を描いた壁画はCBC会館にもあって、そちらは矢橋六郎が制作を担当したそうだ。絵をモザイクに置き換えるにあたり、自身も画家である矢橋に制作を任せることは、原画の作者にとっては大きな安心材料だったのではないかと思う。

以前それを観た後で名古屋市美術館に寄った。北川民次の絵は名古屋市美術館に200点ほど所蔵されているし、矢橋六郎の絵も所蔵されているに違いないと思ったからだ。その時に気づいたのだが、名古屋市美術館はメキシコの近代絵画を多く所蔵している。これほどまでメキシコの画家に力を入れている国内の美術館を、ぼくは他に知らない。

これは北川民次がメキシコに15年ほど住み、メキシコ壁画運動の代表的画家であるダビッド・アルファロ・シケイロスやディエゴ・リベラと交流を持ったことと無縁ではないだろう。たしかにCBC会館の壁画もカゴメ名古屋本社の壁画も、大胆で力強い画風の中にそこはかとないメッセージ性を感じてしまうところは、とてもメキシコ的だと思う。そんな話を友人にしたら、名古屋とメキシコシティは姉妹都市なんですよと教えてくれた。

名古屋〈名古屋市美術館〉
名古屋市美術館(伏見)
コレクション展で観た北川民次「雑草の如く II」(1948年)。上部には権力者と酒と薔薇と女性、その下には虐げられ苦しむ人々。メキシコ壁画運動の影響が色濃く感じられる作品だ。
住所:名古屋市中区栄2-17-25|地図

名古屋の地下鉄はパブリックアートの宝庫

矢橋六郎の壁画を探し歩いているうちに、いつの間にか名古屋の地下鉄路線図がなんとなく頭に入ってきた。名古屋の地下鉄は、行き先や乗り換えのサインがとてもわかりやすいので、大阪の梅田駅地下みたいに迷うことがほとんどない(梅田の地下は何度行っても必ず迷う)。行きたいエリアのほとんどは地下鉄がカバーしているから、これほど便利な乗り物はないと思うようになり、地下鉄と徒歩だけでタクシーはほぼ使わなくなった。

ある日、久屋大通という駅で桜通線から名城線に乗り換えようとして、階段を上り名城線のホームに出た時に、ぼくは目を見張った。相対式のホームで、向かいのホームとの間には主柱というか、壁が立っているのだが、その壁にずうっと絵が描いてあったのだ。最初は楽器を持った男たちを見て、ニューオーリンズを題材にした絵なのかと思った。

でも、何か雰囲気が違う。おそらく壁の裏側にも絵が描かれているのだろうと推察して、反対側のホームに出た。そちらには女性ばかりが描かれている。その女性たちの服装や背景からメキシコのマーケットの様子なのだとわかる。ということは、さっきの楽器を持った男たちはニューオーリンズジャズではなく、マリアッチを演奏していたのだ。

ホームの端まで行くと、壁に作品名と作者を描いたプレートが掲示されていた。タイトルは「人間讃歌」で、制作は安藤幹衛、その後に制作協力者の名前が続く。ぼくはホームの端から端まで何度も行き来しながら夢中で写真を撮り、さらに反対側のホームでも同じことをした。不審者として尋問されてもおかしくないほど、普段、この駅を使っている人には奇異に見えたことだろう。

それからは地下鉄の駅にあるパブリックアートにも興味が出てきた。何度も気づかずにその前を通り過ぎていたものの中に、傑作があるのかもしれない。久屋大通駅にも名城線ホームの壁画以外にいくつか他の作品があったし、たいがいの駅にはモザイクやガラスを使った何かしらの絵があった。プレートには作者の名前がなかったとしても、必ず寄贈者の名前は入っている。企業であることがほとんどだった。

もしも駅に飾る何かを贈るというのが名古屋経済界の慣習なのだったら、ぼくにはとても良いことのように思える。これらの作品に気づかずに先を急ぐ人がほとんどなのだとしても、その美しさはいつか誰かに発見されるだろう。そこを経済的に支える人がいることは羨ましい。

いい壁画のある街にはやっぱりいい建築もある

ぼくの興味は壁画から、さらに名古屋のモダン建築に広がっていった。南山大学の校舎はアントニン・レーモンドの設計だし、名古屋大学の豊田講堂は槇文彦、そして中産連ビルは坂倉準三である。地下鉄を使うことをいとわなくなったぼくは、東山線に乗って藤が丘まで行き、そこでリニモに乗り換えて愛知県立芸術大学まで足をのばすことも平気だ。

個人住宅の名手とされている吉村順三の最高傑作を、ぼくは密かにこの大学の校舎だと思っている。残念ながら村野藤吾が設計した丸栄百貨店はいま解体作業中だ。西側にあった壁画はもう見られない。

もう充分に伝わっただろうか。ぼくが名古屋へ行くたびに、「名古屋に何があるんですか?」と不思議そうにしていた友人たちよ、こんなに素晴らしいものがある街に行かないキミたちのほうが、ぼくにはよほど不思議だよ!