未来は本流ではなく、分岐と流域にこそある⁉
今回の“変人”:石川善樹(予防医学研究者、博士(医学))
小布施典孝
……と、うまく焚(た)き火もおこせたところで、会議の趣旨をまず紹介しないと。日頃クライアントさんと「未来」について考えるメンバーが、仕事からいったん離れ、社会の一員として自由に話そうとしたのが、この会議のきっかけでした。
吉田健太郎
プレゼン資料も、スマホも持たず。どんな話になるか?
増原誠一
こうした会議を普段の業務でする時、ヨシケン(吉田)さんはデータを集めて理論面で補強してくれる役。小布施と僕は参加者からアイデアを引き出して未来のストーリーをつくったり、ビジュアル化したりする役に徹しますが、今日は自分たちの言葉で語りましょう。
小布施
自身の未来を考える時には当事者意識を持つことが重要。そのためのヒントをくれる人、未来を「変えよう」としている“変人”を招いて話し合う。第1回です。
石川善樹
記念すべき変人トップバッターに呼ばれて光栄です(笑)。

増原
どうしてウェルビーイング(*1)の研究者に参加してもらうのか。かつては、企業の経営者、いろんな組織や団体の方たちと未来づくりの話をする時には、「情報を整理する」仕事が多かったです。ところが最近は、みなさん「新しいことを生み出し、社会の活力につなげる話をしなくては」という意識がとても強いと感じます。自らの組織の損得とは違う角度からの意見を求める傾向が強くなっています。
小布施
個人のウェルビーイングの文脈でも、「自己実現」という言葉が、最近やや古くなってきた感覚があります。自分のために自分だけで頑張るのがちょっとカッコ悪いというか。独りよがりではなく、もう少しみんなで未来の夢を共有できる生き方が求められていると感じます。
石川
高度経済成長期には、政治家や、企業やアカデミアの人が集まって、こうした未来会議をたくさんやっていました。企業がスポンサードして、天下国家を論じながら「もっと産業界をどうする?」とか「どんな地球だったらいいだろうか?」と話し合っていたんです。
吉田
そんな大きな絵があったから当時の人々は仕事を頑張れたのかも。
石川
全体像が見えないのに部分のことだけやっていると嫌になって当然。未来のビッグピクチャーと日々のディテールを行ったり来たりするからこそ、新しいものがどんどん生まれたんですね。
吉田
今は多様化の時代だし、その「大きな絵」が全体最適(*2)みたいなものだと面白くない。それぞれが「あっちに行きたい」「こっちに行きたい」と目指せるのは良い社会だと思います。でも、それを誰か、もしくは何かのシステムがつながないと未来が見えてこないなとも感じます。
石川
無理に肩肘を張らなくても、未来の「素(もと)」は自然に生まれているものだと思いますよ。例えば、ほら。あの空に浮かんでいる雲がどうやってできるか知っていますか?
吉田
水蒸気が集まるからですよね。
石川
そうです。その核になるものの一つが森の香りの成分(*3)です。それに水蒸気がたくさんくっついて雲になっていき、山にぶつかって雨になるわけですね。地表から立ち上る森の香りや磯の香りが、実は雲の核。今この瞬間にも、この森から未来の雲が生まれていますよ。

未来を「良いもの」と考えるのは近代になってからの価値観
小布施
善樹さんは以前にこう言っていましたね。昔の人からすると、未来は決して良いものではなかった。それは、死の不安があったり、先の世の中が見通せなかったりしたから。どちらかと言えば、確認できる過去の方が良いものだと感じていた。より良い未来を考えようとする態度は、わりと最近の価値観だと。
石川
そうですね。じゃあ、今度はあそこに生えている木を例に考えましょうか。木って、ポーンと1本で立つのでなく、空に向かって枝が分岐していくじゃないですか。一般的に2本ずつ分岐するとされます。川はしばしば4本ですけどね。これを物理学でコンストラクタル法則(*4)と言います。自然って怠け者ですから、効率的な道を選ぶんですよ。

小布施
効率を求めると、分岐せずに1本だけになりそうですけど、違うんですね。
石川
ごく短い時間、まるで環境が変化しないという前提なら1本でいい。そうでないなら分岐をつくることが大切です。多様な流れをつくっておくことで、どれかが生き残ります。たくさんあればいいというわけではありません。会社で言うと新規事業が100個もあると多すぎるので、だいたい3つぐらいがいいという具合です。
吉田
なるほど。どれくらいの分岐が最適か見極める必要がある。
石川
未来をつくるということは、分岐をつくることです。それと同時に、今につながる過去の分岐はすべてが必然だから、流れを否定する必要はない。時を遡るほど分岐するのは、木の根っこと同じです。
増原
木の幹にあたるものが、現在というモデルですね。

石川
その通り。木を使って分岐の話をした理由は、未来や過去の話をする時に点と線をイメージしがちだからです。バックキャスト(*5)のような手法もある一点に向かって線を引く作業でしょう。しかし実際の未来や過去は、点ではなく奥行きを持って存在すると言いたかったんです。
吉田
時間軸を表す時、点と線で描いてしまう習慣を変えなくちゃいけないですね。
自然と時間を流れで捉えると物事の複雑さがわかる
増原
さっき善樹さんが「川の分岐は4本」だと話しましたけど、木と数が違うのはどうしてですか?
石川
川は2次元の平地を流れるもので、最終的には1次元の線に収束するからですね。この場合に最適な分岐が4本だとされています。
吉田
3次元より分岐が必要なんだ。確かに川の分岐や合流は多いです。
増原
以前、善樹さんと岐阜県の郡上(ぐじょう)で沢登りをした時に、川の「源流」は1つに限らないという話もしましたよね。

吉田
そもそも何をもって川になるんでしょうか。
石川
「川とは何か」という話も深いです。地形を指して川と呼ぶのか、この流れ自体が川なのか。これは「自分とは何か」という話にも似ています。物理的な肉体が自分か、過去から未来へとつながる流れを自分と言うのか。
吉田
全身の細胞もすっかり入れ替わる(*6)から、少なくとも物質的には過去と同じではない。
増原
それで自分とは「流れ」だと。
石川
自分の中に何が流れているか。個人に限った話ではなく、会社でも国のようなものでも同じです。
小布施
未来を考える時には、流れを意識する。あんまり考えたことがなかったかも。流れから考えるなら、「ありたい未来」「つくりたい未来」を定めて目指すのは少し違うかもですね。
石川
そういう未来像だと点になりがちです。自然を観察したり、土地を流域(*7)で捉えたりすると、物事の成り立ちの複雑さがわかる。未来に向かう時も、理由なんて用意してもしょうがない。
増原
あそこのせせらぎに小石がたまっているのも、たまたま流れ着いたからですよね。
石川
そう。人は、どの地形にいるかで自分のアイデンティティを信じ込みやすい。「タワマンの何階に住んでいる」とか「外国から来た」とか。でも、そもそも僕らはどこかからやってきた渡来人(*8)。たまたま今という時代に渡来させてもらっているくらいの感覚でいるのがちょうどいいです。

小布施
ウェルビーイングを考える時、その単位をどこに置くのかは大事ですね。
吉田
地図上で割り振られた行政区分とか、所属する部署の肩書などではなく、流れを意識した新たな尺度がありそう。「多摩川流域にあるこの分岐に暮らす自分」とか。
石川
地球のウェルビーイングにとって流れを意識するのは生物多様性(*9)の観点からも有効です。例えば、都市のオフィスにグリーンが必要な時、外来植物なのか、その流域の在来植物を選ぶのかではまるで違う意味になるはずです。都市も地方も、流域で捉えたら一体ですよ。対立なんて馬鹿らしい。
ウェルビーイングに至る分岐を人類は常につくってきた
増原
私たちは未来構想のプロジェクトを通じて未来を考えますが、流れを意識しないと「独りよがりの未来」に向かってしまう。つまり、持続的なものにはならない。どこに足場を築き、枝を広げていくべきか。考えさせられますね。
石川
そういう時は根っこに立ち返るのがいいです。電通という会社はかつて、電報通信社という社名でしたよね。電報という手段で世の中に新しい流れをつくっていこうとした。重要なのは「通信」の方です。通信とはなんぞや?それは「信(誼(よしみ))を通じる」という意味です。血の通った「人と人との魂の交流」なんですよ。ビジネスのことだけやるのは、通信ではなくて通商。だから、こうして焚き火を囲んで「信を通じる」のはみなさんの本来業務なんですね。通商会社になってはいけない!
小布施
(笑)。信を通ず、良い言葉です。そもそも人はなぜコミュニケーションを取りたがるのだろう?
吉田
いつも増原さんが言っていることだけど、人間って他人の視点や考え方に刺激を受けて創発する生き物だからじゃないかな。こういう森に来て気持ちが良くなる、環境から新たな刺激を受けることはあります。でも、別の人からの情報や言葉には、自然界からは得られない様々な気づきがありますから。やっぱり他人の視点を取り入れるという姿勢に、すごくウェルビーイングへのヒントがありそうです。
増原
川の流れが、やがて大きな石にぶつかって分かれていくように、誰かと出会い、何かの話に影響されてこそ、また新しい分岐と流れが生まれる気がするな。
小布施
ウェルビーイングのためには「仲間がいるといい」という結論になりそうですね。信じ合える仲間をつくるって、人生においてとても重要。もしかしたら「自己実現」という目的のために、仲間をつくるのではなく、「仲間づくり」の方が人生の目的なのかもしれない。仲間とならどんな未来を歩んでもいいというのもアリだなと思う。
石川
有名な「一年生になったら」という童謡があるじゃないですか。「ともだちひゃくにんできるかな」って。あれこそ、信を通ずる歌です。子供たちに教えるのは、やっぱり人生における本質的なことであるはず。テストで百点とか、いい塾に入れるかな、という歌詞じゃない。
一同
(笑)。
石川
人類は歴史上、基本的な流れとして常にウェルビーイングを目指していると思います。アフリカから「こっちの分岐が良さそうだ」と飛び出してグレートジャーニー(*10)を始めた祖先も、まさに分岐をつくったと思うんです。今は資本主義という仕組みが世の中の本流ですが、それが効きにくい社会になってきたら、新たな支流を選べばいい。この連載をぜひ「未来分岐会議」としても続けてほしいですね。
未来のウェルビーイングをつくる
自己とは常に変わり続ける流れである。
人とのつながり方で、流れが変わっていく。


