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歌人・穂村弘が語る、小説の楽しみ方「美しい言葉にただ浸る」

小説で言葉を楽しむのは当たり前の行為のように思えるが、ストーリーやキャラクターという刺激を優先して、言葉は意外と流されがち。物語の構成要素である言葉に着目して、ただそれを味わうような読み方を取り戻してみてはどうだろう。穂村弘さんが、基本に立ち返った小説の楽しみ方を語る。

photo: Takanori Ishii / text: Ikuko Hyodo

体験ベースでは得られない衝撃を
言葉で味わう。

ストーリーやキャラクターに偏向した文学表現には、昔から異議を唱えたかったんです。例えばテレビや映画の映像は、光の点で作られているけれども意識することはほとんどなく、通常はそれによって形作られる現実と等身大の物語を見ているわけです。

一方で小説はより原始的なメディアで、映像における光の点に相当する言葉をもっと意識しますよね。だけど最近は、映画やテレビのように小説を読もうとしている傾向があると思うんです。つまり言葉が透明化されて、伝達ツールにすぎなくなっている。言ってみればこれは、エンターテインメント小説の読み方なんだよね。それに対して純文学小説は、言葉そのものを否応なく意識させるようなところがあるから人気がない(笑)。読むときに抵抗感が生まれるからね。

僕も会社員をやっていたからわかるけど、通勤電車の中で立ちながら純文学なんか読みたくない。夜中に机に向かってとか、旅先で態勢が整ったときに読む気になれるものです。だけど今は多くの人が24時間、月曜朝の通勤電車の中にいるような精神状態になってしまっている。だからなるべく言葉を意識せず、映画やテレビのように楽しめる小説を読みたがる。気持ちとしてはわかるけど、ある意味残念なことだと思います。

文体と内容的な面白さが結びついたときに傑作が生まれる傾向はあるけど、極論すれば文体が好きな作家はたとえ失敗作でも面白いと思えるもの。僕の場合は倉橋由美子さんの文体が好きすぎて、呼吸するように摂取していた時期がありました。倉橋さんはその文体を窪田啓作さんが訳したカミュの「異邦人」で学んだらしく、読み返してみたらたしかによく似ていた。

「きょう、ママンが死んだ」という名訳で有名ですが、これがもし「きょう、母が死んだ」なら何の衝撃も受けないけれど、「ママン」という言葉がいきなり来たことで、日本でもフランスでもアルジェリアでもない異次元に連れ去られるような感覚が生まれたわけだよね。原作を超えたに違いない翻訳文体のすごさだと思います。

僕としては、本当に優れた純文学はエンタメ作品としても読めるという意識があるから、純文学度とエンタメ度の高さが両立していないと心から推せないんです。今回挙げた5作品は、その2つを兼ね備えた強度があります。エンタメ作品の中のエンタメ性しか知らない人はかわいそうだと思ってしまうくらい、こっちの方が面白いはずだと言いたい。

歌人・穂村弘

今回はどれも古い作品になってしまったけれど、最近の作家で文体が好きなのは岸本佐知子さん。岸本さんの作品はエッセイに分類されているけれども、その文体は散文詩的であり、ミステリーみたいなところもあって、それこそ純文学度とエンタメ度が両立しています。フィクションとノンフィクションという二分化を拒否した文体だと思うし、どれも見開きくらいの長さでちょうどいいような結晶度があるんですよね。

ストーリーやキャラクターは現実に対する似姿なわけで、それらに面白さを見出すことは、現実が一番面白いという価値観を強化しているにすぎないと思うのです。体験ベースで得る快楽ではなく、意識していなかった扉を開いてみたら、とてつもない世界が広がっていたというような衝撃を小説で味わってほしい。

現実ではなく空想世界に輝きを感じて固執することを、現代では中二病と呼ぶのかもしれないけれども、中二病の真実性を追求したような作品はどれもかっこいいよね。だって「暗い旅」とか「夢の時間」とか、我に返ると恥ずかしいタイトルばっかりじゃないですか!こういった小説をかっこいいと思って育ったから、今さら恥ずかしいと言われても困るんですよ(笑)。

『やぶにらみの時計』

 きみの目も、ようやく光に馴れてきた。早く起きて、水を飲もう。二、三度、まばたきしてから、きみはいっぱいに目をひらく。すると、天井が見える。川底の砂に映った真昼の波の影のように、木目のきれいな天井板だ。
見あげたとたん、きみはたちまち、渇きをわすれる。いつもの朝とちがうことに、気づいたからだ。

『暗い旅』

 なんのためにあなたは真冬の鎌倉までやってきたのか……今日は週のまんなかの日だ、十時からB教授の《Variété V》があったのに、あなたは出席しなかった。
あてもなしに東京駅にでた、大丸、丸善とめぐり歩いてまた東京駅へ……あなたの選択は二つしかなかったのだ、中央線の電車で吉祥寺のアパートに帰るか、それとも横須賀線で鎌倉にむかうか。

『蜜のあわれ』

「ちっとも羞かしいことなんか、ないわよ、あたい、おじさまが親切にしてくださるから、甘えられるだけ甘えてみたいのよ、元日の朝の牛乳のように、甘いのをあじわっていたいの。」

『女生徒』

 おやすみなさい。私は、王子さまのいないシンデレラ姫。あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?
もう、ふたたびお目にかかりません。

『夢の時間』

 アイは眠りたかったし、空腹でもあった。夜明けから、ほとんど何も食べていなかったのだ。K街道のガソリン・スタンドで若い男が満タンにオイルを入れている間、彼女は熱い珈琲を飲みながら、ガラス窓越しに空を眺めていた。
まだ東の空は明けきらず、ようやく白みはじめた青灰色の薄暗がりがあたりを包みこんで、アイはガラス張りの喫茶室の中で震えていた。