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おしゃべりって最高に面白い!いとうせいこう×九龍ジョー×TaiTan、世代横断ポッドキャスト鼎談

3人組のヒップホップユニット、Dos Monosのラッパーとして活動しながら、ポッドキャスト番組『奇奇怪怪』も手がけるTaiTan。このたび『奇奇怪怪』の書籍化にあたり、取材を申し込んだところ、「会いたい人たちがいるんです」と。ご指名を受けたのは、言わずと知れた作家・クリエイターのいとうせいこうと、ライター・編集者の九龍ジョー。この2人、3月に始まったポッドキャスト番組『だいじなケモノ道』でコンビを組んでいる。世代を超えて3人が語る、現代の“おしゃべり”談議。

photo: Jun Nakagawa / text: Ryuji Ogura

音もあれば意味もある。おしゃべりって最高に面白い

TaiTan

はじめまして。ラッパーのTaiTanと申します。

いとうせいこう

Dos Monosでしょ。知ってますよ。荘子itとは何回か一緒になったこともあるし。

九龍ジョー

もちろん僕も存じてます。『奇奇怪怪』も聴いてますよ。

TaiTan

お2人とも知っていてくださったなんて……光栄です。

『奇奇怪怪』
ラッパーのTaiTanと音楽家の玉置周啓によるPodcast番組。日々を薄く支配する言葉の謎や不条理、カルチャー、社会現象を強引に面白がる。Podcast発で書籍化、アニメ化を果たし、ガンダーラを漂う耳の旅。TBSラジオでは『脳盗』を放送中。

九龍

いきなり本題に入るけど、『奇奇怪怪』のすごいところは、あらゆる情報がものすごい密度で加速していく現代において、分散するカルチャーを俯瞰しながらきちんとさばいてるところですよね。しかも、一つ一つを細かくピンセットで摘むような手つきで。

いとう

それは職人技だね。

九龍

年齢を重ねると、どうしてもピンセットを扱うこと自体が難しくなってくるので、頼もしい限りですよ。

いとう

難しいよね。細かいところなんて老眼で見えないもん。

九龍

しかも、情報のあり方も変わっていて、一つ前の時代だったら、ドン・キホーテの圧縮陳列みたいなイメージだったけど、今や物体を伴わない電脳空間でしょ。そこに踏み入って、丁寧に仕分けをしているのが『奇奇怪怪』だと思う。

TaiTan

初手から褒められすぎて恐縮です。僕は言うまでもなくせいこうさんの膨大なお仕事の影響下にありますから。

いとう

僕はアナログの時代に育った身だけど、デジタルの時代が来て痛切に感じたのは、これからは「編集」が最も重要な役割を担う、ってことだったの。ここまで情報が増えまくると、すべてのことに目を配るのは無理なわけ。

それまでは、例えばジャンルごとにランキングをつけたりして情報を編集できていたんだけど、もうランキングなんて機能しないでしょ。

あまりに情報が多すぎて、編集を超えちゃった。それで誰もが不安になっている。フェイクニュースが横行するのも、その不安から来ていると思うな。

TaiTan

僕がポッドキャストを面白いなと思ったのは、まさに雑誌を編集している感覚があるからなんです。しかも音声なら、出版の工程をすっ飛ばして、即時的に世に出せる。

いとう

編集の担う役割が大きくなればなるほど、それを手がける編集者が重要になってくるよね。今ネットの記事とかを見ても、編集者の気持ちが伝わってこない。ただ褒めてるだけとか、早く出すことが目的になっていたりとか。

九龍

かつての雑誌は、誌面から編集者やライターの個性や気持ちがにおい立ってましたよね。それが今や雑誌は情報の羅列になって、においが全然してこない。

いとう

80年代かな、そのくらいのタイミングで雑誌は編集のにおいを消したんだよね。情報でもコラムでも、すべてを並列にレイアウトすることで、良し悪しの判断を読者に委ねた。だけど、ここまで情報が増えすぎちゃうと、読者は判断できないよ。

編集者ですら判断は難しい。だから編集者には、愛と勇気が必要なの。だって一つでも間違えたら、「あんなつまんないもの紹介するんだ」って言われちゃう。でもさ、本当に好きだったら、愛と勇気を持って取り上げなくちゃ。なんなら、間違いのある場所をあえて踏み抜く楽しさだってあるんだよ。

九龍

その点、音声メディアは声が丸出しなので、どうしたってにおいが出ちゃうんですよね。

左からTaiTan、いとうせいこう、九龍ジョー
左からTaiTan、いとうせいこう、九龍ジョー。

ポッドキャストは音楽だ

TaiTan

ポッドキャストをやっていて思うのは、人は情報なんか求めてないんじゃないかって。まず伝わるのは情感であり、リズムであり、それらが伝わって初めて情報が伝達する。

コロナ禍で雑談がブームになって、ポッドキャストが一気に増えましたけど、情報を扱うことをテーマにした番組ばっかりなんですよね。

いとう

僕はかなり前から、みうらじゅんさんと文化放送で『ザツダン!』ってのをやって、2019年からは自主的な配信で『ラジオご歓談!』というしゃべりをやっているんだけど、「みうらさんにまた会って話したいな」っていうだけで続けてるの。

聴いている人たちも「いい年した2人がめちゃめちゃ仲がいい」っていうところしか聴いてない。

九龍

学生時代にモーリー・ロバートソンさんのラジオとか、2000年代には『電脳空間カウボーイズ』というコンピューターの専門家がしゃべっているポッドキャスト番組が好きだったんですけど、内容は深く理解できなくても、しゃべっている人の熱とかリズムが好きだから聴いちゃう番組ってあるんですよね。

TaiTan

マニアックな話が音声メディアと相性いいのはなぜなんでしょうね。

いとう

知らない単語が出てきた時に、映像がないぶん、脳に考える余地ができるからじゃないかな。

九龍

音楽と一緒ですよ。歌詞の意味がわからない洋楽でも、声とリズムで聴きたくなるでしょう。

TaiTan

やっぱり音楽ですよね。『奇奇怪怪』はまさにいい音楽を目指しているんです。『だいじなケモノ道』は目指すものとかあるんですか?

九龍

僕がテーマを持ち込む回については、上岡龍太郎とか中島らもとか、固有名詞を出すと急にいとうさんが乗ってくる瞬間があって。

リアルタイムの人たちは、わざわざいとうさんにその話を振らないだろうけど、今のメジャーシーンにも大きな影響を与えている大事な人物や出来事について、直接いとうさんから聴くことで、次の世代につなぐ橋渡しになればいいなと思ってますね。

『だいじなケモノ道』
エンタメ道の裏側=ケモノ道を語り継いでいく、Podcast裏教養番組。いとうせいこう×九龍ジョーが、エンタメを支える裏方をゲストに迎え、時代を作った演出や革命を起こした技術など、明るみに出ていない類い稀なる仕事に光を当てる。

いとう

水道橋博士が「星座」と呼んでいるような、誰かと誰かが結びついて星座になることを発見する知的興奮があるんだけど、もしテレビでやるとしたら最初に相関図を一覧で見せちゃうでしょ。

それじゃダメなのよ。音楽用語で言う“オカズ”を聴いているうちにパッとわかる。そこに快感の原則があるんだから。

TaiTan

あー!まさにまさに!

いとう

もっと奥まで考えるとね、僕は言語はさえずり起源説派だから、もともと歌だったのが、メロディがとれて言葉になったと思ってるの。それが中世になると、印刷の技術で、音のない言葉が一気に広まった。

そこからインターネットが発達して、映像の時代だとかって言う人もいたけど、実際に増えたのは文字だよね。文字が増えるとどうなるか。歌と出会う機会がぐんと減るんだよ。

さっきポッドキャストは音楽だって言ったけど、要は歌のやりとり。つまり、言語を音楽的なやりとりに戻す営みなんだと思うな。

TaiTan

情報は奥に沈澱しているだけで、音的な面白さの方が重要ですよね。

いとう

DJで考えると、違うジャンルの音楽を、スネアの音とかギターのフレーズでつないでいくのがいいプレーなわけじゃん。雑談もそれと同じなんだよ。

TaiTan

メディアで『奇奇怪怪』が取り上げられると、カルチャー紹介番組みたいに書かれることが多くて、けっこう不本意ではあったんです。

いとう

それは何かを宣伝しようとなった場合、文字を使わないといけないからだよね。文字で「この番組はいい音楽です」と書いても伝わらないでしょう。

この伝わらなさは、音楽であること、身体パフォーマンスであることの宿命。だけど、それが人間の言語の起源であることは押さえておかないといけない。

TaiTan

ただ、散々音楽だなんだと言いながら、僕もしゃべりのプロである芸人とかではないので、掛け合いの気持ちよさだけで勝負しようとも思ってないんです。そこで重要なのが情報だなと。

いとう

情報がないとスキャットになっちゃうからね。それなら楽器だけでいいもん。では、なぜ言葉でないといけないのか、意味が乗っかるからだよ。

九龍

ポッドキャストについて語られる時って、タイパ時代のうんぬんっていう宣伝文句が多いじゃないですか。耳からなら効率よく情報が入ってきます的な。

いとう

そんなことあるわけない。情報だけなら文字の方が早いに決まってる。

九龍

文字は情報の圧縮ですからね。

いとう

むしろポッドキャストは言葉が伸びているところが魅力で、わざわざ時間を費やしている。それはやっぱり音楽に近い。でもしゃべってるとさ、音とは別に、意味だけで話が展開することもあるわけじゃん。

ある言葉に相手がやたら反応したり。音と意味が両方あるだなんて、こんなすごいことないよ。だからおしゃべりって最高に面白いんだよ。

TaiTan

初めてです……僕、こんなに話が通じ合えたのは。

いとう

あっはっは。

TaiTan

最後に聞きたいことがありまして。以前せいこうさんが「本を読めない」という話をされていて。ストーリーが辿れない、描写しか頭に入ってこないんだ、と。

いとう

うん。ストーリー辿れない。

TaiTan

僕もまったく一緒で。描写の細部はめっちゃ覚えてるのに、全体を辿れないんです。で、そういう人間の方がしゃべりに向いてるんじゃないかと思うんですが、どう思いますか?

いとう

そう思うよ。ストーリーを追うタイプの人がしゃべると、先が読めちゃうんだよ。でも、やたら細かいところにこだわって熱く語っていると、先が読めない。だからずっと聴いていられる。

TaiTan

やっぱりそうですか。ストーリーを辿れないことがずっと悩みだったんですけど、せいこうさんも同じだって知って、安心したんですよ。

いとう

僕は映画も無理。あるシーンを観て、そのディテールについて考えていると、ストーリーが先に進んじゃうの。

TaiTan

まったく同じです!

九龍

それなら、TaiTanさんには能が絶対おすすめ。能って、物語の一部分の感情を延々と2時間とか演じてるんです。ディテールこそが命の芸能。

いとう

深い悲しみを表現するために、前に行ったり後ろに行ったりするだけっていう、究極の引き算芸だよね。

九龍

言ってしまえば、能が表現しているのはムードなんです。なんだけど、それが単純なものではなく、世阿弥はストリートと貴族階級を行き来できて、当時の和歌とか田楽とか王朝文学とか、ありとあらゆるカルチャーを吸収したうえで、ムードに結実させているんです。

TaiTan

めっちゃ高度ですね。能か……必ず行きます!